ボートの船着場は葦の原の中程にあった。薄暗闇の中、ぽうぽうと儚げな光が点滅し、一筋の明かりの線を残して飛び去った。
「わぁ、佐々木さん蛍です!」
「本当だ、蛍だ珍しいね」
「はい!」
「ボートに乗って良かったでしょ?」
「・・・はい、まぁ。蛍も見られましたから」
「またまたぁ、俺と一緒で楽しかったでしょ?」
佐々木隆二は、満面の笑みで小鳥の顔を覗き込んだ。
「・・・はぁ」
「それとも、田中先輩と一緒に居たかった?」
「そっ、それは嫌です!」
「じゃあ、その先輩から助けたのは誰かなぁ?」
「そっ、それは」
「誰かなぁ?」
「佐々木さんです」
ボートは鈍い音を立ててその動きを止めた。先に船着場に上がった佐々木隆二が小鳥へと手を差し出した。初めは戸惑った小鳥だったが、思い切ってその手のひらを握った。
(・・・嫌じゃ、ない)
意外な事に、触れた肌の感触は悪いものではなかった。
「はい!よいしょ!」
「・・・・あっ」
その時、白いボートが揺らいだ。係留するロープに足を取られた小鳥は、佐々木隆二に身を預ける形となった。
「おっとっと」
「ご、ごめんなさい!」
触れた佐々木隆二の胸板は逞しく、包み込む様に小鳥を支えた。
(あれ?)
ところが、佐々木隆二は平然を装いつつも緊張しているらしく、心臓の鼓動は早鐘のように波打っていた。
「ご、ごめん」
その情熱的に脈打つ血潮を耳にした小鳥の顔は、真っ赤に色付いた。
「いえ、ありがとうございます」
向かい合った2人がなんとなく気不味い面持ちをしていると、遠くから佐々木隆二を呼ぶ声がした。読書サークルの先輩が、「花火をするから取りに来い」と手招きをしていた。
「先輩呼んでるわ。俺、花火貰って来る」
「はい」
「小鳥ちゃん、好きな花火ってある?」
「じゃあ、線香花火をお願いします」
「線香花火ね、OK、ちょっと待ってて」
(あ)
佐々木隆二が踵を返したその先に、
(あれ?あの
光の華に浮かび上がるストレートの黒髪。肩甲骨までの長いワンレングスを指で掻き上げるその面差しに、小鳥は釘付けになった。
(あれは・・・田辺、田辺明美だ)
それは、2022年の
「小鳥ちゃん、お待たせ」
「ありがとうございます」
佐々木隆二が蝋燭(ろうそく)と線香花火を手に戻って来た。そこで、小鳥の視線が一点に向けられている事に気付き、不可思議な顔をした。
「どうしたの?」
「あの人」
「どの人?」
「佐々木さんのお友だちと一緒に花火をしている人は、田辺明美さんですか?」
「あれ?小鳥ちゃん、明美先輩の事、知ってるの?」
小鳥の面持ちは険しかった。
「はい、1度お会いした事があって」
「そうなんだ」
「はい」
「声、掛ければ良いのに」
「いえ、私がお見掛けした事があるだけなので、やめておきます」
「そっか」
「はい」
小鳥に向き直った佐々木隆二は、足元に転がっていた石を積み上げ、蝋燭(ろうそく)の炎が消えてしまわない様に囲いを作った。そしてしゃがみ込むと花火を火に翳(かざ)した。
「佐々木さん」
「なに?」
「そのヒラヒラした紙は取って火を付けるんですよ」
「え、そうなの!?」
「私のお
「へぇ、物知りだね」
小鳥と佐々木隆二は並んでヒラヒラした”花びら紙”を指先で捻(ひね)って外した。1本、2本と花火が2人を照らし出した。
「綺麗ですね」
「うん」
最後の5本は線香花火だった。
「小鳥ちゃんが3本ね」
「良いんですか?」
「大サービス」
「ふふふ」
パチパチパチパチ
二人の指先には線香花火が牡丹(ぼたん)の花を咲かせていた。煙が少しばかり目に沁(し)みる。そこで佐々木隆二が小鳥を凝視した。
「ねぇ、小鳥ちゃん」
「はい」
「俺さ」
「はい」
「俺、小鳥ちゃんと、どこかで会った様な気がするんだ」
「・・・え?」
心臓が跳ねた。
「どこで会ったかははっきりと覚えていないんだけど、なんとなくそんな気がする」
「そ、そうですか」
「小鳥ちゃんは・・・・俺と会った事ない?覚えてない?」
小鳥はこの場所が暗がりで良かったと安堵した。もしこれが明るい場所であったとしたら、小鳥と佐々木隆二が、なんらかの形で知り合いだった事が、いとも容易く露呈(ろてい)していた事だろう。
「ちょっと、私は覚えがないです」
「高等学校とか、中学校とか同じだったりする?」
「高等学校は女子校でした。中学校は南中学です」
「南かぁ、じゃあ違うね・・・でも、絶対、どこかで会ってると思うんだけどな」
「はぁ」
小鳥と佐々木隆二は”メビウスの輪”の世界で何度も出会っている。佐々木隆二が、小鳥に懐かしさを感じてもなんら不思議はなかった。
「小鳥ちゃん」
花火はやがて松葉の眩い光となってちり菊の様に萎(しぼ)んでいった。
「はい」
「今度、動物園か遊園地に行こうよ」
「動物園、2人でですか?」
「そうだよ、誰と行くつもりなの」
「それはデートですか?」
「ははは、そうだね。そうとも言うね」
3本目の線香花火の明かりに、佐々木隆二の照れ臭そうな笑顔が浮かび上がった。
「俺と付き合ってくれないかな」
「付き合う」
「俺、自分で言うのもナンだけど、お勧め物件よ?」
「お勧め物件ですか」
「そ、お勧め」
無邪気な笑顔が眩しい。
「じゃあ、お友だちからなら良いですよ」
「友だちかぁ」
「はい、お友だちからです」
「分かったよ。なら、デートの場所と待ち合わせの時間はLIMEで決めようよ」
「デート」
「なに、不満でもある?」
「なんでもありません」
小鳥は夜の闇の中、作り笑いでそう答えた。佐々木隆二の肩の向こう側に、
(・・・・拓真)
線香花火は蕾(つぼみ)となって、砂利の上にホロリと落ちた。