「すみません。少し遅れましたか?」
ステファノは6時を少し過ぎたところで、試射場の入り口を潜った。
「いや、遅くはない。5分過ぎだ。うん? 今日は柔の日でなかったはずでは?」
ドリーはステファノの道着に目を止めた。
「ああ。稽古がない時も道着を着ていた方が、何かと便利だと気がついたんです。洗濯物が減りますし」
中々に身も蓋もない考え方なのだが、ステファノはいたって真面目である。一日ごとに洗濯しているので、清潔は保っている。本人的には、極めて上手な「着回し」のつもりなのだ。
「そうか。私は構わないがね。それが、お前の言っていた棒と縄か?」
「はい。朽ち縄です」
ステファノは携えて来た棒と縄をドリーに差し出して見せた。
「見ても良いか? ふうん、本当にただの棒だな」
手に取って試みに少量の魔力を流してみたが、特段何の変化もない。縄も墨染で濃いグレーに染まっている以外は、何の変哲もないものであった。
「武器になるなら見かけなどどうでも良いのだが……。それにしてもこれを持ち歩くお前の勇気に驚かされるな」
「そうですか? モップのまま持ち歩くよりは目立ちませんよ?」
「比較の対象がおかしいぞ」
いかにも切り落としましたという切り口も生々しい棒なのだ。ステッキだとか杖だとか、心張棒だとか、何かの用途に使う物という気配がない。
どうにもおかしな代物であった。
縄の方も長さが中途半端で、物の役に立ちそうに見えなかった。
これはステファノがヨシズミに師事したことが原因の1つであった。
ヨシズミの術は「警棒術」だ。
もともと威圧感を持たない棒を武器とする捕縛術であった。市民の間に入って社会に溶け込むために、あえて警棒は物々しい気配を持たないようにしてある。
武器らしくない武器。意図的にそうしてあるのだった。護身を目的とするステファノには丁度良い武器に思えた。
「今日はこれで稽古するつもりか?」
ドリーは棒を返しながら、ステファノに尋ねた。
「はい。6属性の術を一通り練習できたので、今日は発動具を使ってみます。それと、後半は魔術具のテストをやらせてもらえればと」
「この間話したものだな。面白そうだ。ではまず棒の腕前を見せてもらおうか」
「武術としては警棒術または杖術というそうです」
ステファノはいつも通り5番ブースに入り、気負いなく半身に構えた。
「何を使う?」
「初めは『水餅』を使ってみます」
「よし。5番、無属性『水餅』。発射を許可する。準備良ければ、撃て!」
属性魔力を載せない技である「水餅」を、ドリーは「無属性」と呼んだ。安全規則上、術の性質を明示する必要があったからである。
もちろん棒を手にした瞬間からステファノの準備は整っている。棒を握った両手の指は「
陽気が巡り、ステファノの全身と手にした棒を薄く覆っている。
ドリーはまだ自ら太極玉を作り出して
見えないながらも、ステファノを「見えない力」が包んでいることはわかった。
「『い』の型、『
ステファノは技名を宣言すると、頭上で棒を1回転させてから袈裟斬りの軌道で振り下ろした。
瞬間、ドリーの「蛇の目」に棒の先からほとばしる水しぶきが確かに観えた。
棒がまとっていた陽気は赤い玉となって宙を飛んだ。20メートルの空間を重力を無視して一直線に飛び、標的に届こうとしていた。
「縛れ、『
ステファノが命ずると、陽気玉は5本の腕を伸ばした。細長く蛇の尾のように腕を伸ばした姿は、正にクモヒトデそのものであった。
1本の腕が50センチもの長さを持つ
物質化したイドの力に、標的を釣った鎖がぎしりときしむ。
「むう。やはり私には見えんな。当たったのだな?」
「はい。絡みついています」
ドリーは壁のレバーを操作して、標的を引き寄せた。
「検分するぞ? う、目には見えぬが確かに存在するな。ヒトデと言ったか? 気持ちの良い名前ではないな」
「イメージがしやすかったもので」
深海にすむ
「この技で競技会に出るつもりはないだろうが、何とも採点者泣かせだな」
「目に見えない上に、実害がありませんからね」
ただ動けない。離さない。それだけの技だ。
「実戦なら、空恐ろしい技だがな」
ドリーは想像して戦慄する。戦いの場で動きを封じられることの恐怖を。
「お前はこれに、『雷』を載せるんだよな?」
イドの利用は魔術ではない。「水餅」に雷魔術を載せても複合魔術とはみなされないのだ。
「次はそれを試してみます」
ステファノは棒を構え直した。
「5番、雷魔術。準備良ければ、撃て!」
ステファノは陽気に雷気を載せようとしている。始原の赤に雷の黄という組み合わせだ。
「『は』の型、『
雷の威力は気絶する程度に加減してある。
棒を取り回して振り抜けば、またも水しぶきを発してイドが飛んだ。今度は雷のイデアがまとわりついている。
チリチリと空気中の埃や水滴に反応して、線香花火のような細い電光が走った。
イドそのものが観えなくても、今度はドリーの「蛇の目」に雷のイデアがはっきりと浮かび上がる。
「観える!」
思わずドリーは心の内を叫んでいた。