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第69話 ヤン

(とにかく父上と話をして今後の策を練らなければ……)


シャールは、階下にいるヤンを客間に案内した。心配で仕方ないだろうに自身の立場を弁えて静かに待つヤンに、シャールは少し悲しい気持ちになる。

だが、客間のドアが閉まった途端にヤンがシャールの前に体を投げ出し頭を床に擦り付けた。


「えっ?ヤン!?」


「シャール様、不躾なお願いですがどうか一目旦那様に会わせていただけませんか」


「ヤン……」


どんな顔をしているのかは見えないが、ヤンの手は小刻み震えていた。平民であるヤンが公爵邸のプライベートな域に立ち入れるわけもない。彼はそれを重々承知で懇願しているのだ。


「ヤン、顔を上げてください」


「シャール様……」


ヤンの手を取ったシャールは自分もその場に膝をついて彼に向きあう。


「当たり前です。ちゃんと会ってもらうつもりです。お祖父様の側近なんだから家族も同然です。今はお医者様が診察に来ておられるのでもう少ししたら会いに行きましょう。待ってる間にお風呂に入ってご飯を食べましょうね」


「……ありがとうございます!」


「それにしても心外です。会わせてもらえないなんて思ってた?僕をそんな風に思ってたなんて……」


「えっ?!シャール様いやそんな……」


「ふふっ」


「……!からかったんですね?」


「まあまあ。じゃあ僕もお風呂に入って来ますね。こんな埃だらけじゃお祖父様の目が覚めたら怒られちゃう」


「……そうですね。では私もそうさせていただきます。道中で変な病気でも拾っていたら旦那様の病状を悪化させることになりますし……」


そう言ったヤンはようやく落ち着いたのかメイドに案内され風呂に向かった。

食堂ではリリーナがシャールとヤンの為に趣向を凝らした料理を用意していることだろう。


(……お祖父様に先に会ったらヤンは食事どころじゃなくなるもんね)


馬車だってシャールに椅子のほとんどを譲って自分は眠ることもなくここまで来たのだ。流石のヤンの体力も限界だろう。食事くらいきちんと摂ってもらわないと。


「僕も入ってこよう」


シャールは慣れた手つきで用意された湯を一人で使った。


しばらくしてさっぱりしたヤンが戻って来たので階下に行くと、案の定リリーナが席を設けて二人を待っていた。


「ようこそ!あなたがヤンね。シャールがお世話になったそうですね。ありがとうございます」


深々と頭を下げるリリーナに、慌てたヤンは泣きそうな顔になっていた。


「奥様!おやめください!平民に頭を下げるなど公爵家の威信が落ちてしまいます!」


そんな言葉にも構うことなく、リリーナはふふっと笑い「大丈夫です」と返している。彼女のすごいところはどんな身分の人に対しても態度を変えないという事だ。例えヤンがゴートロートの側近ではないとしてもそれは変わらないだろう。


「恩を受けたのに国王も奴隷も関係ないでしょう?それと同じですわ」


……いや……そこで国王を引き合いに出すのは流石にいかがなものかと……。


シャールはそう言いたいのを堪えながら恐縮しているヤンに椅子を勧めた。


「ヤン、母上はいつもこうだから気にしないでください」


「そうですわ。気になさらずゆっくりと滞在していただきたいです」


「あ、……ありがとうございます」


「じゃあいただきましょうね」


「はい」


シャールたちはテーブルに並ぶ料理を見渡した。メニューは肉を挟んだパンであったり手づかみで食べられる果物であったり。スープも皿ではなくカップに入っているのでいつもたくさん並んでいるカトラリーがほんの少ししかない。

……恐らくこれもテーブルマナーに明るくないであろうヤンが食べやすいようにとの配慮だろう。シャールは改めてリリーナに感謝した。

分かり合えないことはあれどリリーナのこう言った面をシャールはとても尊敬していてる。

最初は緊張気味だったヤンも美味しい料理とリリーナのお喋りで少しずつ気持ちがほぐれたのか最後には少し笑顔さえ見せるようになっていた。

デザートまで楽しんだところで「そろそろお医者様がお帰りになったんじゃないかしら」とのリリーナの言葉にヤンが急いで立ち上がった。


「どうぞゴートロート様に顔を見せて差し上げて。喜ばれると思うわ」


「ありがとうございます奥様!」


ヤンの焦る気持ちが痛いほど分かるシャールは、途中で食事を切り上げてヤンを伴い、再びゴートロートの部屋に向かった。



「お祖父様、失礼します」


医者に体の清浄もされたのか、アルコールのような匂いが部屋中に漂っている。薬のせいだろう先ほどよりも安らかに眠るゴートロートを見てヤンは痛ましい顔をしながら涙を堪えていた。


「どこの怪我でしょうか」


「背中です。後ろから刺されたようで……」


「こんな神様のように素晴らしい方を傷つけるなんて……」


シャールもまだ父と話が出来ていないので何があったかは分からない。けれどどんな理由や経緯があったとて、この人をこんな風に傷つける理由にはならないのだ。


「父が帰ってきたら詳しい話を聞きます。だからヤンもひとまず落ち着いて、一人で動かないでくださいね」


「……はい」


それでも、まだ見ぬ相手に復讐の炎を燃やしているヤンの鋭い目は、ゴートロートではなくどこか別の場所を見ている。


(……絶対に敵にはしたくないタイプだな)


そこでふと、彼はいつからゴートロートの側で仕えることになったんだろうかと二人の繋がりに興味が湧いた。


「ヤンはいつからあのお城で働いてるんですか?」


「…五歳のときからです」


「五歳?」


「はい」


「ヤンのご両親は?」


「捨てられました。孤児院にいましたが院長が酷い男で。機嫌が悪いと死ぬ一歩手前まで鞭打たれるんです。その傷が元で何人もの仲間が亡くなりました」


「酷い…!」


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