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第110話 シャールの涙

(暴漢に襲われたと言っていたが、もしやこの人がやったのでは?)


 それなら合点がいく。そんな奴の側にいたら治るものも治らない。


「助かった。縫い合わせる時にまた来る」


 そう言ってシャールを抱き抱えようとしたデモンを医者は慌てて引き留めた。


「毎日の消毒と診察が必要です。入院してください」


「必要ない」


「ダメです!死んでしまう!」


 その言葉にデモンがようやく医者の顔を見た。


「……連れて帰ったら死ぬのか」


「はい!間違いなく。まだ意識も戻ってないでしょう?」


「…………意識が戻ったら連れて帰る」


「分かりました。意識が戻ったらご連絡します」


 ひとまずこれで時間を稼ぐことが出来た。医者はほっとため息をつく。


「……よろしく頼む」


「はい、お任せください」


 デモンがふらふらと外に出ていくのを確認した医者は、看護師にそっと書状を手渡した。


「なんです?これ」


「おそらくあの患者はオメガ姫だ。誘拐されている可能性もある。隣町の騎士団の詰め所にこの手紙を届けてくれ」


「オメガ姫……えっ?!さっきの患者さんが?……どうりで美しいと思いました」


「ああ、だから知らせてくれ。あいつが戻ってくる前に早く!」


「わ、分かりました!」


 看護師はもう一度シャールの様子を伺うと、急いで病院を飛び出して行った。



 ◇◇◆◆◇◇



 シャールらしき人が見つかったとの知らせがアルジャーノンの耳に入ったのは、貴族会議の翌日だった。


 現在アルジャーノンの代わりに、騎士団を統括しているエイベルの元に届いた情報が、早馬でアルジャーノンに知らされたのだ。

 シャールを探して別荘からほど近い麓の街を捜索していたアルジャーノンは、幸いにもすぐに連絡をくれた病院にも向かうことが出来た。




「こちらです」


 医者が案内をしてくれる間、アルジャーノンの心臓は恐ろしいほどドクドクと早鐘を打っていた。


(本当にシャール様だろうか。大怪我をしていると聞いたが、どんな状態なのだろう)


 医者に聞くのも恐ろしく、ひとまず自分の目で確認しようと、アルジャーノンは病室に入る。


 ……目の前にいるのは、確かにシャールだった。


 目は落ち窪み、大きな包帯を両足に巻かれている。

 ほんの僅かの間に一体何があったのか……。


 アルジャーノンはシャールの前に跪き、その白い手を自分の額に当てた。


「シャール様……遅くなって申し訳ありません。二度と……二度とお側を離れないと誓います」


 それまで消毒液と血の匂いしかしなかった病室にシャールの匂いが漂う。


(ああ、ちゃんと生きている。そして俺のことを思い出してくれた)


 言葉はなくても二人の間にある運命の絆。

 再び生きて会えたことにアルジャーノンは感謝した。


「容態はどうですか?」


「足の腱を切られています。二度と歩く事は出来ないでしょう。けれど傷は快方に向かっているのでご安心ください。……ただ」


「……なにか?」


「腱を切られて治療もせず激しい痛みがあったと思います。ショック死してもおかしくないくらいの痛みを誤魔化すためにモルヒネを使っていたようで、恐らくこれから禁断症状が出るのではと思います」


「……モルヒネ……」


 麻薬と呼ばれるそれは、依存性が高い。その分、痛みを消し去ってくれるので医療用に限り、どうしてもの時のみ国から使用が許可されているものだ。


「そんなものを使わずにすぐに連れてきてくれていれば、足の腱だって繋ぎ合わせる事が出来たのに……」


「どんな男でしたか」


「真っ赤な髪に濃い赤茶の目をした貴族です。沢山の金を置いて行ったのでやましい事があるんだろうと思いご連絡しました」


「……そうですか。本当にありがとうございました」


アルジャーノンは医師に向かって最大限の礼をする。


 ……やはりデモンがシャール様を攫ったのか。


アルジャーノンは、シャールをこんな目に合わせた男を心底憎んだ。


「……ここにはまた来ると言っていましたか?」


「はい。意識が戻ったら連絡すると言ったんですが、連絡先は教えない、また来ると言い残して帰りました」


(それを待つか、こちらから仕掛けるか。だが、シャール様が目覚めた時に側にいたい)


 禁断症状が出た時、一人であればどれほど心細いだろうと考えて、アルジャーノンはここでシャールと過ごすことに決めた。

その代わり、駐在している騎士に王都のミッドフォード家へ伝達を依頼しよう。


「私はここにいますので、もしその男が来たらすぐ教えてください。気付かれないよう気をつけてお願いします」


「分かりました」


 医者が部屋を出た後、アルジャーノンはシャールの髪を撫でながらずっと手を握って側にいた。


「シャール様、もう二度と私の側からいなくならないでください。貴方がいなくなったら私はもう生きていけません」


 何度も何度も。

 歌うように自分の思いを繰り返しシャールに捧げる。

 その祈りが通じたのか、しばらくすると、シャールは痩せた瞼をゆっくりと持ち上げた。


「シャール様……!」


「ある……じゃーのん……よかった……会えて」


「はい、私もです」


「…もう、会えないかと……」


 なんて悲しいことを言うのだろう。


「痛みはどうですか?」


「……今はマシ」


 マシレベルか。だがあんな酷い目に遭わされたんだ。それだけでも御の字だ。


「……僕どうしてこんなとこに。……あ」


 何故か突然、シャールはアルジャーノンから顔を背けて目を閉じた。何かに耐えるようにぎゅっと拳を握りしめる。


「シャール様、痛みますか?」


「違う。僕……デモンに攫われて。足を切られてから記憶がない。……デモンは僕と結婚するって言った……ごめんなさい、もしかしたら僕はもうアルジャーノンと一緒になれないかもしれない……」


 そう言うなり、宝石の瞳からぶわりと涙が溢れさせ、子供のように泣き出した。その様子を見て、アルジャーノンはシャールが何に怯えているのかを理解した。


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