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第109話 血塗れの花嫁

 その頃、アルジャーノンは地図を見ながら目的地を目指していた。

 最短経路を走るので悪路は多いが、バリアン家の馬は手入れが良く、頑張って走ってくれている。


(この馬も夫人が世話をしていたのだろうか)


 男爵邸の中にも使用人は見かけなかった。馬番など雇う余裕もないだろう。


(無事にミッドフォード邸に着いているだろうか。ダリア様が戻ってこられたらシャール様もきっと喜ぶ。その笑顔のためならなんでも出来る)



 だからどうか……

 生きていてください。



 その思いで、アルジャーノンはひたすら馬を走らせる。


 そうして馬車なら五時間はかかる道のりを、二時間ほどで走り抜き、ようやく別荘に着いた。


(ああ、シャール様の匂いだ!)


 小さな別荘から彼の気配がして、アルジャーノンは我を忘れ、ドアを叩き壊す。


「シャール様!」


 寝室があるはずの二階に駆け上がり、シャールの気配を探して走り回った。そして一番奥の部屋の前で足を止めた。


「シャール様?」


 ここにいる!勢いをつけドアを開けると、そこにあったのは、小さな別荘に不釣り合いな豪華極まる部屋とベッド、それに血に塗れたシーツと床一面に捨てられていた同じく血のついた包帯。


「シャ……シャール様?」


 一体どこに?これだけの怪我をしてどこに行ってしまったんだ?


 アルジャーノンはフラフラとシャールがいたであろうベッドに近づいた。


 水と薬、食べかけの粥。

 けれどシャールはいない。

 そもそもこれだけ出血をして、人間は生きていられるのだろうか。


「シャール様!!」


 アルジャーノンは外に飛び出してシャールの匂いを辿ろうと集中した。だが、木々たちの緑の浄化が邪魔をして上手く匂いが追えない。


「どうして……やっと会えると思ったのに」


 膝から崩れ落ちたアルジャーノンは、地面の乾いた土に涙を落とす。脳裏には愛しいオメガ姫の笑顔が浮かんだ。


「……あれだけの怪我をしたシャールを連れて、デモンもそう遠くには行けないはずだ」


 アルジャーノンは両手で自分の頬をバチンと叩き、再び馬に乗って着いたばかりの別荘を後にした。



 ◇◇◆◆◇◇



 その教会は人々から忘れられたような場所にあった。

 森の奥深く、半分近く朽ちてしまったその建物は、まばゆい神聖さを増している。


 デモンは白いドレスを身に纏ったシャールを抱いて十字架の前に立っていた。


「シャール、ようやく今生で俺たちは結ばれる」


 そう呟くが、返事はない。

 シャールは昨日からずっと昏睡状態に陥っていた。


 ようやく血が止まったと思っていた足の傷は、運悪く化膿してしまい、切断部分を大きく開いたまま塞がる気配はない。

 しばらく続いた高熱が少し下がったので、回復の兆しかと思いきや、それを嘲笑うかようにシャールは意識を無くしてしまったのだ。


「全部治ってからにしようと思ってたのに待てなくてごめんな」


 腕に抱かれたシャールの肌は着ているドレスより真っ白で、触れれば崩れ落ちてしまいそうに儚い。

 デモンは美しい額にキスをして、神の前で永遠の愛を誓った。


「そろそろ薬の時間だ。帰ろうかシャール」


 もちろん返事はないが、デモンは満足だった。あれだけ焦がれていたシャールをこの手に抱いているのだ。今のシャールなら否定も拒絶もされず、ただ、自分に寄り添ってくれるだろう。


 教会の前に置いてあった車椅子にシャールを乗せ、落ちてしまわないように背もたれを倒した。少し遠出となってしまったが、夕刻には別荘に戻れる。


「シャール、俺たちはもう夫婦だ。元気になったら子供を作って育てていこうな。平民のように畑を作って、牛を育てて……。シャールは歩けないから俺が全部やるよ。何にも縛られず、誰にも怯えずずっと一緒にいよう。……シャール?」


 意識がないままのシャールの顔から脂汗がにじみ、さっきまで白かった顔色が青くなっていた。苦しみからか、その頬には絶え間なく涙が流れている。


「シャール!」


 デモンは再びシャールを失うかもしれないという予感にゾッと総毛立つ。


「シャール、待ってろ」


 デモンは車椅子を捨て、シャールを抱き抱えたままふもとの街まで走った。





「なんて事を!!すぐ手術の準備を!」


 病院にたどり着くと、シャールを見た医者は驚愕してそう叫んだ。


「一体何があったらこんなことになるんだ!」


「暴漢に襲われたんだ。私の妻だ、必ず助けてくれ」


 デモンはとんでもない額の金貨を医者の前に置く。この事は口外無用という意味だ。医者はそれを一瞥しただけでため息をついてデモンの目の前で処置室のドアを閉めた。


「……ひどい。両足とも腱が切れて短くなっている。昨日今日の怪我じゃないし、もう、繋げることは出来ない」


 医者はひとまず壊死した部分を消毒したナイフで切り取り、十分水で洗い流したのちに殺菌効果のある葉を当てて包帯を巻いた。


「もう歩けないですよね。若くて綺麗な方なのにお気の毒です」


 看護師が目に涙を浮かべる。それほどまでに、この美しい外見と酷たらしい傷はそぐわなかった。


(待てよ?汚れてくすんではいるが、この髪は白じゃない、銀色だ。まさか?オメガ姫??)


「終わったか?どうだった?」


「……大怪我です。壊死が治ったら表皮を縫い合わせますが、一生歩けないでしょう」


「それは構わない。命さえあれば」


 ……確かに死んでしまうよりマシだろう。だが、医者はデモンの言い方に疑問を持った。

 まるで歩けないのは問題ないとでも言うような口ぶりだったのだ。

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