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第十八話 藍と錯覚は事実を捉える

次の日、智也は都内にあるカフェバーへと場所に足を運んでいた。

向かうさなかの雑踏の音に会話に耳を傾けながら進んでいく。

指定された場所は足を踏み入れた事が無かったため、新鮮さを覚えつつも、気がかりな事があった。

角を1つ曲がる、道を1つ渡る、その度に人が少なくなっていくのだ。

おかげで、取引先なのか、自身の上司なのかと、忙しなく電話をしている営業マンの会話がはっきり聞き取れてしまうほどだった。



(おいおい。守秘義務どこ行った。)



生業上、情報の漏洩は死と同義。

自分自身だけならまだしも、掌に乗ってきた情報をどのように扱うかで、簡単に命を操る事が出来てしまうのだ。

故に、智也はデーター上のやり取りを好まない。

自ら赴く事は時代遅れも甚だしいと言うのが世間一般の評価であるが、機密情報を扱う身分の人間は電子のセキュリティーよりも南京錠を好む。


(結局原始的な物に戻るんだよな。)


そう考えている内に、目的の店に到着する。

都心によくある木製の洒落た建物だ。

アンティーク調の木製のドアを開けると、店内はテーブル席が4つ、カウンター席が6席並んでいた。

小気味いいベルの音を背に、店内を見渡すが、妙な事に気が付いた。


現在の時刻は平日の午前中である。

しかし、店内は一貫して人ひとり座っていないのだ。

目の端で景色を見ると、数人が店の前を歩いているが、誰もこちらに目を向ける様子は無く、通り過ぎて行くばかりである。


カウンター席に目を向ければ、眼鏡を掛けた40代位の男性が、食器類を片付けている。

智也はまっすぐ進み、中央の席に向かい、腰を下ろした。

何かを頼む為に来たわけではないのだが、カフェで何も頼まないというのもおかしい。

当然、初めてのため店の味も分からない。

無難にコーヒーを注文し、智也は、ぼんやりと外を眺めながら、昨日の連絡内容を整理することにした。

上着からスマホを取り出し、昨日送ったメール画面を確認する。



『kcolco net worc 』



送られたのは青色のこの文のみ。

だが、この文字を読んでも目的の場所にはたどり着けない仕組みになっている。


(ったく、回りくどい)


悪態胸の内に吐き捨てたと同時に、コーヒーが到着した。

挽きたての香りが鼻腔を擽った。

香りを楽しみつつ、一口啜った所で、扉が開く音がする。

ベルの音を追い越して向かってくる軽快な革靴の音は、智也の左に来たところで止まった。


「隣、構いませんか?」


トレンチコートを羽織った声の主は感情の読めない目でこちらを眺めている。

コートの隙間から見え隠れするのはスーツであろうが、およそビジネスには似つかわしくない品と価格のいいものであることが一目で窺える。

丁寧にセットしたのであろうブロンドヘアの男性はにこりと笑いながら反応を待っているようだ。



「どうぞ」


カップを持ったまま、了承の意を示すと、その男は表情を崩さず、席へ腰を掛けた。

足を組み、左手を上げて店員を呼ぶ。


「ご注文はいかがでしょうか。」


男の動きが一瞬止まり、少し口角が下がったようにも見える。


「おすすめを一杯。」

「ミルクと砂糖は?」

「ミルクは要りません、砂糖だけで。」

「はい。ご注文ありがとうございます。」

「…ん、お願いします。」


智也はソーサーに音を立ててしまう。

目の端で男を見るが、特段気にしている様子はなさそうであった。


注文を済ますと、その男は懐から手帳を取り出した。

数ページ捲っては戻り、何かを確認すると、これまた価格の良さそうな万年筆で何かを書き留めている。

その後、再び数ページ捲っては戻るを幾何繰り返し、初めの方に戻していた。

手帳をめくる音を楽しむようにカップを傾け、コーヒーをほんの少し口に含むと同時に、男が口を開く。



「土竜は夜しか動かないって本当でしょうか。」


土竜。

哺乳網、真無盲腸目に分類される。

目は小さく、体毛に埋まっているため視覚はほとんど発達していない。



「どう思われますか?蓼原さん。」



その言葉でこの男が何をしたいのかを確信する。

それと同時に、手順を間違えてしまったことにも気が付いた。

だが、男が気にする様子も無かったため、お決まりの言葉を発した。



「お前、なぜ俺の名を。」

「実に有名ですよ。ただし、貴方は名が多すぎる、数ヶ月掛けて貴方の行きつけの店と本名をあぶり出しましたよ。自分は蓮池と申します。以後お見知りおき願います。」



その言葉が合図だったのか、カウンターの奥にいた店主が奥の扉の方に入っていった。

2人きりとなった店内は昼間とは思えない暗さを生み出していた。


「さて、何からお話しいたしましょうか。まあ、貴方に頼みたい諸々はサブリナから確認していただくとして、私からはこの場に私がいる理由でもお話差し上げましょう。インディゴ、ご存知でしょう?」

「ファッションブランドでも作る気か?土竜に服は必要ない。」


即座に智也が返答したため、男は吹き出してしまう。

顔に手を当て、肩を震わせていた。


「何がおかしい。」

「貴方もお人が悪い…。インディゴノートですよ。」

「…何が狙いだ。」

「聖滅の刻、刻限のトリオンフォ…。近代イタリアの謀が動き始めています。この現代が数百年かけて手にした平穏を、今更になって壊しにかかっているのです。勘づいていらっしゃるのでは?」



智也はもう一度カップを口につける。

そろそろ潮時だなと思いつつ、どこで確信に迫るのかを巡らせた。



「おかしいとは思いませんか?現在、それらは写本として収められているとされてはいます。…しかしその全てが群青にどっぷりと染め上げられている。サン=ピエトロの奥深くに所蔵されているとは言えど、不可解な点が多すぎます。」

「もういい、義賊に堕ちろと?か?もういいだろ」



あまりの話の長さで憂鬱になりそうになった智也は、男の発言をさえぎり、体を向けた。



「えー?なんだよー。もう少し付き合っても良かったじゃないか~。」



先ほどまでの雰囲気から一変。

トレントコートもスーツも脱ぎ、セットした髪も無造作に崩し、智也に笑顔を向けた。



「あ~、やっと脱げたよこれ。いい男ってのは大変だね!」

「は?お前…、これの為に買ったのか?!」

「そだよ。形からっていうじゃん。」



さも当然のように語るその様子に唖然とする。

男はそんな智也の様子をもろともせず、話を続けた。



「いやー、蓮池がどんなの着てるかわかんないからさ。とりあえず、一番高いのにしたんだよね~。悪っぽい?はちょっとわかんなかったからさ、完全にイメージなんだけど。」

「お前な…。」



盛大なため息を吐き、項垂れる。

昨日のメールから何か仕掛けてくるとは予想をしていたが、

しっかりと原作に沿った服装で着ていたため、

冷静さを保たせるのがやっとであったのだ。



この男は吾桑宍道。

智也とは中学生から続いている友人の1人だ。

その昔は大名や朝廷につかえていたと言われた一族の末裔で、現在でもその権威は衰えていないと言う。

現に、この日本の道路は彼らが作り上げたと言われているのだ。


「さすが、お坊ちゃまですな。」

「それを言うな~!気にしてるんだぞ。」

「へいへい。」



宍道は自分の家が金持ちという事を嫌う。

本人曰く、金持ちの感覚が肌に合わないからという事らしい。



「まあ、でも実際このスーツ必要だったからね。集まりの為に。」

「それは、ご苦労様です。だな。」

「本当だよ~。も~諦めてくれないかな~。」

「それも無理だろう。」

「だよね~。」



カウンターに突っ伏しながら智也に顔を向ける。

宍道の実家吾桑家では、半年に一度、一族全員が集まる日が存在する。

吾桑家自体が、巨大なグループ会社となっているため、親族はそのどこかの会社に勤めている。

その中で、宍道だけが別の職種を行っているため、あまり歓迎されないのだ。



「まあ、これは僕の問題だから。いいっちゃいいや。それよりも、どうだった?これ」


宍道はスマホの画面を開く。

そこには智也に送信した英語のメッセージが書かれていた。



「ああ、直ぐにわかったぞ。ただ、回りくどくねーか?」

「良いじゃん。ちょっとやってみたかったんだ。返信無かったから、大丈夫かなって思ったけど杞憂だったね。」

「10時にカラス、そして青色ならここしかなかったからな。」

「さーっすが名探偵!」

「……やめろ。」



いたたまれない気持ちになり、コーヒーを一口啜る。

宍道を見れば満面の笑みで見ていた。



「で?それどーすんだ。」

「ああ~…。ごめん、飲んで?」

「だと思った。笑う所だったぞ。」

「いや~!苦かった!も~!本当に…!頑張って再現したのに!」



宍道が先ほどから話しているインディゴノートとは、最近販売された小説だ。

インディゴノートと呼ばれる2編の古門書をめぐり、5人の人物が抗う物と認識している。

数週間前に進められたその小説は、洒落た言葉がいくつも並んでおり、世界観に没頭させられるほど、よく作りこまれていた。

宍道から進められるものは基本、ハズレという事は無いが、その中では稀にある当たりだったのだ。



「お前、蓮池好きだもんな。」

「そーなんだよー!あいつ頑張って欲しいんだよ~!」

「好きならコーヒーくらい飲めろよ。」

「無理!無理なもんは無理!」



時折、宍道は自分の気に入った小説の再現を行う癖がある。

だから、覚えられる智也は宍道にとってこの上ない相手なのだ。

何か再現したいものがある時は、暗号のような送り方をし、その意図を伝える。

このやり取りは10年以上行っており、年々スケールが上がっている。

「物語の主人公になれるんだ。これ以上楽しい事なんてないだろ!」

最初にそう力説された。

初めは気乗りしなかったが、宍道が本気で挑んでいるのを見れば、情熱は嫌でも伝わる。

気が付いたら、智也も宍道の趣味に付き合うのを楽しみにしていたのだった。



「ま、お前煙草も無理だから、今回のはそもそも厳しかったわけか。」

「う、そうなんだよ~。」

「おまけに酒も弱いときた。」

「もう言わないでくれ~。」



恥じる事ではないが、と智也は思うが、

小説の再現に命を懸けてると言っても過言でない為、自分が出来ないという事が冒涜につながると思っている。

物語と自分は違うのだから当然だと思うが、そうにも行かないのが吾桑宍道と言う男なのだ。



「まあ、遮ったのは悪かった。さすがに、楽しめる状況じゃ無くてな。」

「いんや~、これはしょうがないよね。」



宍道は手帳から数枚の写真を取り出す。

その写真は昨日智也に来た依頼内容の物であった。



「事実は小説よりも奇なり、だ。詳しく聞かせてくれ。」



智也を見つめながら、優しく微笑んだ。



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