私は、いずれからっぽになる。
私からいろいろなものが流れていく。
だらだら流れていくそれは、
もともと私の中にあったはずのもので、
私から出て行って、私でないものになる。
私は最初は怖かった。
私がなくなってしまうこと、
私でなくなった、私であった内容物が、
私とされてしまうことが怖かった。
私とはなんだ。
いろいろ考えた。
考えてもしょうがない。
私からいろいろなものが流れ出していって。
きっとそれは私であったものであって、
過去形で、
そして、今の私にはもうないものなのだ。
どんどん私から中身が流れていって、
私は軽くなる。
けれど、私の中身はなくなっていく。
私は小さくしぼんで、
本当に、小さく小さくなって、
私の形を成していたものは、
本当に、空っぽになって行くのだ。
私は満ちたいと思ってはいけない。
もう、致命的な穴が開いていて、
そこを埋めることは不可能なのだ。
私はいずれからっぽになる。
悲しいことではないし、
自然現象の一つだ。
ただ、許されるならば、
願ってもいいならば、
少し私を覚えていてもらえるだろうか。
流れ出した私の内容物のことでもいい。
からっぽになった私の形でもいい。
あるいは、
満ちていた頃の私の顔でもいい。
少し覚えていてくれると嬉しい。
ああ、嬉しいなんて残っていたんだな。
私の中身が流れていく。
私はいずれからっぽになる。
嬉しいも悲しいも全部なくなって。
そのとき私は何になるんだろう。
虚ろな私は、それでも生き物なのかな。
ちゃんと、
みんなにわからないように笑えていたらいいのだけれど。
満ちていた頃と同じように笑えていたらいいのだけど。
願ってもいいのならば。
抱きしめてくれますか。
そうしたら、
満ちてた頃と同じように、笑えると思います。
その私が、生き物か人かはともかく。
私の欲求は、多分誰かの幸せだけになると思います。
そういう、からっぽの生き物がいてもいいと、思うのです。