【第一章までの、簡単なあらすじ】
・葉月が『黒湖様』に、巫女の候補として選ばれる。
・夜長姫を殺めた罪で、桜が処刑されかける。
・葉月が『月国の巫女』になって、桜を従者にする。
・巫女たちや桜と共に、各国を巡る旅に出ることに。
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空模様も清々しい青だし、目の前には壮大な山々が広がっているけど、僕が見たのは空でも山でもなく、地面だった。
「どうしたの? 下なんか見て」
「本当に線路なんですね」
「『せんろ』?
「あ、はい」
(しまった。この世界では『桜道』なんだった)
桜道のことだと理解してもらえたのは、
「それがどうかしたの?」
「なんていうか……本当にこの上を馬車が進んでるんだなぁって」
「そりゃそうでしょ。桜道なんだから」
「あはは、ですよね……」
元の世界にも馬車鉄道というものがあったらしいけど、僕の中で線路と言えば電車だ。桜道のことを知識で知っていても、やっぱり違和感は
とはいえ、巫女の専用ルートとして桜道が用意されているのは、旅をする上で、安全面でも機能面でも合理的だと思う。
昔の馬車はぬかるみにはまったり、石につまづいて横転したりといろいろ大変だったらしい。前回、そういった事故がなかったのは運が良かったのだと思う。
「葉月。そろそろ顔を上げたら? 下ばかり見てると頭に血が上るわよ」
「あ、はい」
幼稚園児レベルの注意を受けて、ようやく線路から目を離した。
すでに頭に血が上っていたようで、軽い眩暈を覚える。「おふ」と変な声を漏らしながら背もたれに身を委ねた。
「ほら、言わんこっちゃない」
「あはは……以後、気を付けます」
呆れ顔の桜さんに笑いかける。頭がぐらぐらするのに、桜さんと向き合って会話をする時間が楽しくて仕方がない。
今朝、七国の
約四、五か月かけて七国を一周する馬車旅だ。前に乗ったものより一回り大きな馬車が、桜道の上で七台連なっている。
ざっくりと言ってしまえば、平安貴族が乗りそうな馬車だ。馬車と馬車の間には馬が二頭いて、馬車をひくと同時に、電車でいう連結部の役割を成している。
巫女と従者の一組につき一台なのだから、
もっとも、それは国を守る巫女たちの視察だからなのだろう。前回は縛られた上におんぼろ馬車だったので素直に嬉しい。
「
「電車という乗り物です。馬車よりもずっと巨大で、軽く百人以上は乗れますよ」
「へぇ……まるで一つの建物ね」
「そう! そんな感じです!」
「じゃあ、馬どころか動物には引けないわね。どうやって動かすの?」
「うーん……静電気とか、分かります?」
「いいえ、知らないわ」
電気と言っても通じないだろうとは思ったけど、やっぱり静電気も駄目だった。
「乾燥した時期に人とか金属に触れると、ビリッて痛みが走るあれです」
「……あぁ。
どうやら存在はしているらしい。なんか、民間伝承っぽいけど。
「雷様って、神様ですか?」
「えぇ。暗闇だと
「雷も神様扱いなんですね」
「よく分からない現象は、神様や妖怪のせいにされるのが世の常よ」
「……神様や妖怪にとっては世知辛いですね」
「むしろありがたいんじゃない? 信仰がないと存在できないんだから」
「あ、そっか」
悪戯好きの神様や妖怪は多々いるけど、案外生きるために必死に道化を演じているだけかもしれない。現実の
(そういえば、僕も初めて会った時、道化師みたいって桜さんに言われたっけ)
道化師のように生きてきた僕が、一度死んだ後、神のように崇められる巫女になったというのは、ある意味では
「それで、雷が乗り物を動かしているの?」
「まぁ……そんな感じです」
「不思議なものね。巫女の力でも、百人をいっぺんに移動させるなんて聞いたことないわ。死体を運ぶなら話は別だけど」
「怖いこと言わないでくださいよ……」
この世界の人が電車を見たら、どんな反応をするんだろう。生き物にでも見えるのだろうか。それこそ『鬼』とか『神様』だと大騒ぎするのかもしれない。
桜さんでも、大口を開けてひっくり返ったりするのだろうか。
全く想像できないからこそ見てみたいけど、僕と出会った時も終始冷静だった彼女だ。すごいわねの一言で片づけるかもしれない。
「それにしても、この馬車……人間の徒歩と変わらないですね」
「まぁ、馬が歩いてるからね」
桜さんは淡々と
とにかく進みが遅い。
呑気な僕でも困惑するくらいに、遅い。
桜道上を進んでいることを差し引いても、乗り物特有の揺れが全くない。それほど遅いのだ。もしかしたら、これは早足で歩いた方が速いかもしれない。
「馬車って、前に乗ったやつみたいに走る印象が強いんですけど」
「馬車を走らせるなんて緊急事態の時くらいよ。馬が潰れてしまうもの。そもそも、七台分の馬車が連なっている時点で、あんな風に走らせるなんて不可能よ」
「ですよね……」
ちょっと遅い気がするけど、馬車の揺れで苦い経験をしたばかりだ。派手に飛ばされるよりは良い。
そもそも、この馬車には巫女を乗せているのだ。乱暴な運転をしていいはずがないと、今さらながら気が付いた。
「もうすぐ着くわね。ほら、見て」
「あ、ほんとだ。赤い建物がありますね」
ずっと山ばかりだったところに、一際目立つ建物が見えてきた。
黒瓦が敷き詰められた屋根に、真紅に染められた木造の屋敷だ。
質素な造りだけど、穏やかな緑に囲まれているからだろうか。真紅の鮮やかさと黒瓦の光沢がより際立って、厳かな雰囲気を
「あれが駅よ」
「なんか、
「ある意味、社ね。巫女にとっては離宮みたいなものだから。田舎に住んでいる人間にも、社がこういうものだって示す必要があるしね」
「あぁ、なるほど」
程なくして、馬車が駅の前で止まった。
遠目からでも目立つ建物だが、目の前にあると圧巻だ。存在感が半端ない。
いよいよ駅に入るのかと緊張してきたが、
「
「馬を退かしているのよ。このままだと邪魔で降りられないでしょう?」
「確かに」
この馬車は西洋のそれとは違って、前後から乗り降りする仕組みになっている。平安時代の
「それに、前の馬車に乗っている者から降りていくから、もう少し待たないと」
「あ、乗った時と同じですね」
僕たちの馬車は最後尾だ。この順番は、視察で回る国の順番に相応する。
「葉月様」
いつもより一段と低い声がして、僕は思わず彼女の方を見た。
桜さんが真顔で、じっと僕を見つめている。
桜さんだけど、桜さんじゃない。まるで別人だ。彼女が
「あなた様は
「え? あ、えと……はい」
「……ぷっ」
桜さんが、小さく吹き出した。
穴を開けた風船のように、張り詰めていた彼女の表情が一気に和らいだ。
「緊張しすぎ」
「すみません……」
「まだ慣れないのね。社の者たちからは、散々敬語で話しかけられてるのに」
「そりゃそうですよ。まだ三日目ですし」
それに昨日は桜さんが忙しくて、あまり顔を合わせられなかった。だから、従者としての彼女を見るのは今が初めてだ。
「でも、今言ったことは冗談じゃないからね。早く慣れてしまいなさい」
「肝に銘じます」
これからは、従者の桜さんとも接するのだ。
そう実感して、改めて自分が巫女になったのだと突き付けられた気がした。自分で選んだとはいえ、なんだか少し寂しい。
(いやいや! 何をネガティブなことを!!)
「それと葉月」
「はい」
「たまにそうやって変な動きをしてるから、気を付けた方がいいわよ。正直、挙動不審でしかないから」
「え……あ、はい」
一瞬なんのことかと思ったけど、頭をぶんぶんと振っていたのだと気付いて顔が熱くなった。こういうところも、桜さんに道化師と言われる
「失礼いたします」
外から声をかけられた。この馬車の
(あ、そうだった)
馬車の乗り降りには作法があって、乗る時は身分の高い者から、降りる時は低い者からとなっている。その作法に
「どうぞ」
桜さんが、手を伸ばしてきた。お手をどうぞというやつだ。
「え、え!?」
「馬車に乗る時、着物の
「あ……」
どうやら他意はないようだ。変な勘違いをしてしまった自分が恥ずかしい。
「あ、ありがとうございます」
おずおずと、桜さんの手のひらに指を重ねる。
桜さんが、凛々しく微笑みながら僕の手を握った。緩やかに歩調を合わせながら、ぎこちない動きをする僕を外へと導いていく。
僕の手を取る桜さんは、さながら童話に出てくる王子様のようだ。
桜さんのエスコートが完璧すぎるからだろうか。恥ずかしいのに、心地いい。もう自分が男なのか分からなくなりそうだ。
(まぁ――)
「『別にいいか』?」
「!?」
「あら、図星ですか?」
驚きのあまり、声すら出なかった。
反射的に、声のした方を見る。