目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第九話「開花 ーかいかー」 (前編) ③

「虹も言ってたけど、死んだ人間が蘇るなんてあり得ないわ。あなたが夜長と似ているのは事実だし、偶然にしては出来すぎているけど」


(出来すぎているなんてものじゃない)


 夜長姫が死んだ直後に、夜長姫と瓜二つの姿をした僕が現れたのだ。それも……夜長姫を殺した、桜さんの目の前に。


「……僕がこの世界に来たことと、何か関係があるんでしょうか?」

「分からないわ。だからこそ、もしおかしなことがあったら遠慮なく私に言ってちょうだい。私は、あんたの教育係なんだから」



 花鶯さんが胸を叩いた。


 私に頼れと、僕を力強く見つめながら。



「花鶯さん」

「何よ」

「ありがとうございます。その……いろいろと気にかけてくれて」


 花鶯さんが目を見張り、ほおを赤らめた。


「……べ、別にあんたのためじゃないわ。これも、巫女としての務めよ」


 ぷいとそっぽを向いてしまった。ただお礼を言っただけなのに。

 ちょっと可愛いと思ったけど、怒られたくないので口には出さない。


 花鶯さんが「話を戻すけど」と少々強引に軌道を修正しつつ、再び僕へと視線を向けてきた。頬にはまだ、照れの余韻が残っている。


「気を見れるようになったら、定期的に自分の気を確認すること」

「え、自分の気をですか?」

「気は鏡越しでも見えるから。国の気を管理する巫女が、自分の気一つ管理できなかったら話にならないでしょう?」

「確かに……」

「念のために、その白い箇所の状態も把握しておきなさい。今言ったように、少しでも違和感があったら私に報告すること」

「分かりました」

「じゃあ、私はそろそろ失礼するわね」


 講義に一区切りついたところで、黄林さんが僕たちに背を向けた。どうやら、僕に気を見せるためにだけに、わざわざ足を運んでくれたようだ。


「そうそう、かおちゃん。厳しいのはいいけど、あんまり意地悪しちゃ駄目よ?」

「しないわよ!!」


 むきになる花鶯さんを尻目に、黄林さんは「ふふ」と楽しそうに笑いながら部屋を後にした。完全に遊ばれている。


「まったく……」


 花鶯さんは溜め息をつきつつ、すぐに先生の顔付きになった。数秒前まで遊ばれていた人と同じとは思えない貫禄だ。


「じゃあ早速、私の気を見てみて」

「え? いきなりですか?」

「当たり前でしょ。そのための授業なんだから」

「でも……どうやって見るのか、全然分からないんですけど……」

「やってみてとしか言いようがないのよ! 巫女に選ばれた者は見えるようになるんだから、とにかく見ようと努力するの!」


(そんな無茶な……)


 まさかの実践からだった。習うより慣れろということなのか。


「もっとも、気が見えること自体は、巫女に限った話じゃないわ。見える人間は少ないし、その中でも個人差があるけどね」


(霊感があるみたいな感じなのか……)


 確かに、門の結界が見えるのは巫女に選ばれた者くらいだと言っていたけど、巫女にしか見えないとは言っていない。


(あ、そういえば――)




『いいえ! その御姿、御声、そして清らかな気!! 間違いなく姫様です!!』




 あの夜、僕を襲った人がそんなことを言っていたなと思い出す。


 確か、夜長姫の従者だったという話だ。

 今は、どうしているのだろう。そもそも、生きているのだろうか。仮に生きていたとしても、二度と会いたくないけど。


「だけど、赤と白の線が見えるのは巫女だけよ。当然、線に触れられるのも巫女だけ。気を整えて国の平穏を維持することは、私たち巫女にしかできないの」


 だから、としんな眼差しを向けてきた。


「巫女として生きると決めたからには、絶対に見えるようにならないと駄目よ」

「……分かりました」


 花鶯さんの言葉やよく通る声には、負の感情をかき消す力があるのだろう。できないという焦りや不安が――嘘のように、引いていく。


 僕は目を凝らし、花鶯さんの顔を見つめた。


「ちょ、私の顔を見てどうするのよ!! 頭の上を見なさい!!」

「すみません!!」


 顔を真っ赤にした花鶯さんに叱られてしまった。慌てて視線を上げる。



 そして、頭の上を見た。


 見つめて、見つめて、見つめ続ける。



「……すみません、全然見えません」

「気合が足りないのよ」

「根性論ですか!?」

「そうよ!!」


 どうやら僕は体力のみならず、根性もないらしい。地味にへこむなぁ。


しずかの社町から逃げようとした時は見えたんでしょう? だったら見ることはすでにできてるのよ。見方がなってないだけで」

「それは、そうですけど……」

「とにかく、黒湖様に選ばれた者は例外なく気を見れるようになる。これは確かなの。自分の目を、ちゃんと信じなさい」

「はい!」


 自分に発破をかけるつもりで背筋を伸ばし、大きな声で返事をする。


 僕は再び、目を凝らした。






    ***






 ふすまが開き、いつの間にか外が暗くなっていたことに気が付いた。


「失礼しま――ひゃっ!?」


 蛍ちゃんの声がした。驚かせてしまったというのに、謝るどころか、姿を確認することもできない状態なのが情けない。



 僕は、たたみの上にうつ伏せで倒れていた。



「え、葉月くん!?」

「見事なまでに伸びてらっしゃいますねぇ」


 襖を閉める音と共に、李々さんの声がした。さり気なく侮蔑の混じった声色だ。今の僕は、さぞかし間抜けな姿なのだろう。


「は、はは早く医者を――」

「大丈夫よ。少し休めば回復するわ」


 なんとか首だけ動かして、状況を確認した。おろおろと立ち尽くす蛍ちゃんの後ろには、真顔の李々さんが控えている。


 花鶯さんは、畳の上で無作法に足を伸ばしていた。


 生真面目な彼女らしくない恰好だ。声も、いつものはつらつとしたものではない。顔が紅潮していて、額は汗ばんでいる。


「あら。花鶯さまも、ずいぶんとお疲れのご様子で」

「もしかして……ずっと気を見てたのですか?」


 蛍ちゃんの問いかけに、花鶯さんが「えぇ」と溜め息混じりで答えた。


「かれこれ一刻半いっときはんほど」

「い、一刻半!? それは疲れますよ!」


 一刻というのは、二時間のことだ。それに半刻加えて三時間である。

 だけど、舞の練習の方が倍以上の時間だったし、その間ずっと体を動かしっぱなしだった。当然、体力もかなり消耗する。


 それなのに、今は舞の比じゃない。


 全身がなまりになったかのように重いのだ。それはもう、部屋に入ってきた二人に声をかけられず、間抜けな姿のまま倒れ伏せているほどに。


(あ、でもそれって……)


 気を見ようとしただけの僕でも、起き上がれない状態なのだ。ずっと僕の気を見ていた花鶯さんの疲労は、僕の比ではないだろう。



 だけど花鶯さんは今、座ってはいても、しっかりと体を起こしている。



「…………うっ」


 重力に引きずられそうな体に鞭を打ち、やっとの思いで頭を畳から離した。眩暈がする。上体を起こすだけでこのざまだ。


 花鶯さんに「ちょっと」とたしなめられた。


「休んでなさいって言ったでしょ」

「でも、僕より花鶯さんの方が……」

「私は慣れているから大丈夫よ。そろそろ桜が迎えに来るから、あんたはそのまま倒れてなさい。続きは明日にするわ」

「……すみません」

「謝らなくていいから、まずは体力をつけること。それと頭を慣らすために、日頃から気を見るようにしなさい。ただし、無理がかからない程度にね」

「はい」


 ここまで気を遣われては、どうしようもない。


 とはいえ、再び寝転んだら、冗談抜きで畳と一体化してしまいそうだ。重い体を引きずり、ひとまず近くの壁にもたれかかった。


(あ、なんかすごい楽になった……)


 今度は壁と一体化してしまいそうだ。


「それで葉月くん、どうでしたか?」

「全く見えないみたい」


 蛍ちゃんが「え?」と目を丸めた。そんな馬鹿なと言わんばかりの反応だ。


「でも、巫女に選ばれた人は、みんな見えるようになるんじゃ……」

「そのはずなんだけど、どういうわけか手応えが全然ないのよ」

「そうですか……お疲れ様です、花鶯さん」

「ごめん、蛍。あんたの今日の授業を取り消したっていうのに」

「いえ、そんな。私は大丈夫ですから、どうかお気になさらないでください」

「そんなわけにいかないでしょ。約束を反故にしたのは事実なんだから」


 どうやら花鶯さんどころか、蛍ちゃんにまで迷惑をかけていたらしい。


「……蛍ちゃん、ごめん」

「そ、そんな、葉月くんまで。えっと」


 蛍ちゃんが、あたふたしながら僕のところにまで歩み寄ってくる。しゃがんで僕と同じ目線になり、そして微笑んだ。


「私は大丈夫。元々気が見えるから、授業の日数はそんなに必要ないみたいなの」

「えっ?」

「ぼんやりとしか見えないから、今のままじゃ駄目なんだけどね」

「……すごいです」

「なんで急に敬語なんですかっ?」

「姫さまも敬語になってますよ」

「あ!」


 蛍ちゃんがバッと口を押さえた。



(……蛍ちゃん、見えるのか)



 気が見えるのは巫女だけじゃないと、さっき花鶯さんから聞いたばかりだ。


 それなのに、蛍ちゃんが気を見れると知って、軽くショックを受けている自分がいた。同じ場所に立っていると、勝手に思い込んでいたのだ。


(僕……ダメダメじゃん)


 自分の駄目さに気付いて、さらにへこんだ。

 それを敏感に察したのか、蛍ちゃんが「あっ」と声を上げた。


「だ、大丈夫だよ! 気が見える人って本当に珍しいし、今日は調子が悪いだけかもしれないでしょう? まだ始めたばかりだし――」

「ほんと、つくづく甘いお方ですねぇ」


 李々さんがあろうことか、主人の言葉をさえぎる形で吐き捨てた。しかも若干眉をひそめている。従者として大丈夫なのだろうか。


「姫さま。人って一度甘やかしたら、もう取り返しがつかなくなっちゃうんですよ? しかも男相手とか、軽率すぎにもほどがあるでしょう」

「え、軽率?」

「まぁ、姫さまがよろしければ、存分に甘やかしてくださいまし。そして、桜ちゃんのことがどうでもよくなるくらいにろうらくしぃ――!?」


 突然、李々さんが横に大きく飛び退いた。ズザザッと畳が擦れる音と共に、軽やかな動きで着地する。



 ぐったりと座っていたはずの花鶯さんが、なぜかふすまの前に立っていた。



 拳が、襖の直前で静止している。

 その状態で深く息を吐く姿は、巫女のイメージからかけ離れたものだった。


(え、なに今の!? 八極拳かなんか!?)


「……ちょっとぉ。あなた一国の姫君ですよね? 巫女さまですよね? ていうか体力消耗してるんですよねぇ? なんですか、その物騒な動き」


 李々さんが、ドン引きですと言わんばかりに口角を上げる。やんごとなき人に向けてはいけない顔だ。


 花鶯さんは拳を下ろし、挑発的な笑みを浮かべる李々さんをじっとえた。


「ただの護身術よ。あんたこそ、その泥棒猫みたいな見た目に反して動けるのね」

「子猫のような愛らしい見た目と言ってくださいまし。過去に芸事をいろいろとたしなんできたものでして、多少の荒事ならば対応できますよ」


 なぜか突然、バトルが始まりそうな雰囲気になった。二人の間には、常人でも一目で分かる殺気が充満している。


(いやちょっと待って!! この超展開にどうついていけと!?)


「例えばそうですねぇ。気の見過ぎでへろへろな巫女さま程度なら、無様に転ばせて差し上げることくらいはできますよ?」

「……蛍。この小癪な娘のよく回る口が、しばらく開かなくなるくらいには叩きのめすつもりだけど……構わないわね?」

「だだ駄目ですよぉ!! 花鶯さんがそのつもりでやったら一週間は動けなくなりますから!! それに花鶯さんもお疲れなのに」

「大丈夫ですよ、姫さま。わたしも従者です。姫さまのお顔に泥は塗りません。ちゃあんと、半々殺しで済ませますから」

「は、半々でも駄目ですよぉ!」


(お、恐ろしい……っ)


 今にも殺し合いを始めそうな空気だ。起き上がって正解だった。さっきの場所で転がったままだったら、確実に巻き添えを食らっていた。


(…………あれ?)


 一瞬、自分の目を疑った。

 花鶯さんの授業を受けていなかったら、間違いなく幻覚だと思っただろう。




 そのくらい、とうとつに見えた。


 二人から伸びる、鮮やかな桃色をした桜が。




この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?