「え? あの、桜さ――っ!?」
そして、背中を思い切り叩かれた。
一瞬、息が詰まった。マジで。
「敵意の察知能力、中の下。とっさの反応、下の下。驚いた時の可愛らしさ、上の上。総合して、下の上。論外ね」
「マジですか!? ていうか最後の全く関係ないですよねっ?」
「えぇ、冗談だもの。でも、襲撃から身を守るなら、前の二つは必須よ。まじで」
真顔で冗談を言う桜さんだった。
しかも、『マジ』の使い方に磨きがかかっている。適応能力高くないですか?
「気持ちだけは受け取っておくわ。ありがとう」
「僕、本気ですよっ?」
「だったら、人前に立つだけで不安がってる場合じゃないわね」
「――――」
多分、何気ない一言だったと思う。
「行きましょう。そろそろ支度を」
「桜さん」
歩き出そうとした桜さんに、声をかける。
「僕、強くなります。夜長姫に呑まれないくらいに――――強く」
驚くほど、落ち着いた声が出た。
不安も、緊張も、けして消えたわけではない。
だけど、それ以上に心が静まっていた。
強くなるしかない。僕の中に一つの決意が根付いたのを、はっきりと感じた。
「……うん」
桜さんが笑った。何も言わず、ただ静かに笑って僕を見つめている。
伝わったと思う。
気持ちだけでもいい。今は、それで充分だ。
***
本番前の
巫女の舞が始まるのは夜だ。
それまで待機ということで、巫女たちは社内にある
民衆の前で舞う花鶯さん以外は巫女服、もとい
加えて僕は、落葉さんと同じように
この世界において、長い髪は貴人の象徴だ。だから公の前に出る時は、男の巫女も髢を付ける必要がある。この世界で巫女にならなければ、僕が付け毛を付けることなんて一生なかっただろう。
それはそうと、僕は今、もの凄く困っている。
今日の主役である花鶯さん以外は、全員ここに来ることになっている。だけど現在、僕と炭さんと
端的に言えば、会話のない状態だった。
「…………」
「…………」
「…………」
(めっちゃ気まずい!)
思えば、この二人とはあまり交流がない。
何か喋ればいいのかもしれないけど、二人とも何を考えているのかよく分からないので、どう話題を振ればいいのか図りかねるのだ。
気を
町は、社の高楼にまで熱気が昇ってくるほどに賑わっている。
巫女が視察に来た際は、広場や大通りに屋台が立ち並ぶのだという。話には聞いていたけど、本当にお祭り騒ぎだ。
そして町の人のみならず、旅商人もここぞとばかりに商売をしに来るらしい。普段はまずお目にかかれないお宝や、用途がよく分からない珍妙な品などが数多く出品されるのだとか。すごく楽しそうだ。
(見に行きたいなんて言ったら、怒られるだろうな)
眼下で祭りが開かれているのに、出歩くことすらできない。しかも時折、美味しそうな匂いが
気持ちを紛らわすつもりだったのに、かえってそわそわする有様である。
桜さんに屋台で欲しいものを聞かれたので、後で食べられるとは分かっている。
だけど、やっぱり出来立てが食べたい。その場で買って、その辺に座って、祭りの空気と共に味わうのが屋台の
「………」
再び二人を見る。二人とも、この誘惑を前にこれといって表情を変えていない。巫女としての経験の
「……えっと、お二人は巫女になってどのくらい経つんですか?」
「かれこれ三年ほどですね」
「俺は二年」
「へぇ……」
秒で会話が終了した。こっちから話しかけないと会話が続かない状態だ。
基本的に僕は、人と話をするのが好きだ。一人の時間が長すぎると、必要以上に考え込んでしまうから。
だけど、お喋り自体が好きなわけではない。
一人語りで盛り上がれる話題もなければ、場の空気を一転させる話術もないのだ。むしろ相手の口が重すぎたり、話す気が全くなかったりすると言葉が詰まってしまう。今がまさに……それだ。
(このままじゃ、視察云々以前に僕の精神が擦り切れてしまう……!)
なんとかこの状況を打破しなければと、頭をフル回転させて言葉を探す。
内心で慌てふためきながら、絶妙に気まずい空気と格闘していたその時だった。
「す、すみません! 遅れまああ!?」
突然、
僕が混乱するまでもなく、李々さんが素早く、蛍ちゃんの腰に手を伸ばした。
「あ、李々さん」
「まったく、何やってるんですか?」
姫君を軽やかに
ちなみに僕は、地獄の空気を壊してくれた蛍ちゃんに、心から感謝していた。
「手間暇かけて整えた衣装を台無しにするおつもりですか? いくら姫さまとはいえ、仕事を増やすのはご勘弁願いたいですねぇ」
「すみません……」
李々さんの苦情を前に、蛍ちゃんはただ申し訳なさそうに萎縮した。忠誠心ゼロの態度に対して、異議を唱える様子は全くない。
「でも、ありがとうございます。李々さんのおかげで助かりました」
しかも、めっちゃ
その笑顔には、さすがの李々さんも調子が狂うのだろうか。
「……どういたしまして。それじゃあ、わたしは仕事に戻りますね」
「はい。ご苦労様で――」
言い終わる前に襖が閉まった。
蛍ちゃんの口から「あ……」と小さな声が漏れ、すぐさま祭りの喧騒にかき消される。また気まずい空気になってしまった。
「目に余るようなら、不敬罪で首にしたら?」
落葉さんがさらっと、労働者殺しの無情な言葉を言い放った。まぁ、仕方がないだろう。蛍ちゃんだから許されているようなものだ。
だけど当の姫さまは、李々さんを首にするのではなく、自分の首を傾げた。
「え? それはちょっと……。李々さんを怒らせたのは私ですし」
「まぁ、そこは否定しないけど」
(はっきり言っちゃうんだ!?)
落葉さんのことはよく知らないけど、真顔で悪気なくきついことを言ってしまう人なのは、この数日間で分かった。
かくいう僕も、何度かきついお言葉を頂いている。なんで時々変な動きをするのかとか、謝ってばかりだと足元をすくわれるとか。
「巫女としては致命的だな」
いきなり落葉さんが鋭い言葉をぶん投げてきた。突然の指摘に、蛍ちゃんが「え!?」と困惑する。
「私、そんなに駄目でしょうか……?」
「いやそこまで言ってないけど。巫女に向いてないと思っただけで」
「落葉さん、それ逆に追い打ちかけてますから」
「あ……」
炭さんが突っ込むも時
さすがの落葉さんも不味いと思ったのか、彼にしては慌てた様子で口を開いた。
「まぁ、大丈夫だよ。巫女に向いてないのは、葉月も一緒だから」
「えっ!?」
なぜか飛び火を食らってしまった。僕も向いてないのか……。
「お、何やら盛り上がってるね。新人いびり?」
やけに楽しそうなその笑顔を横目に、炭さんが「ほら蛍さん」と口を開いた。
「この人なんか、いつも当たり前のように遅刻してるでしょう? だから、転びかけたくらいで気落ちすることありませんよ」
「んん? 入ってきていきなり罵倒されちゃったぞ? 今度は先輩いびり?」
「いいえ、ただの事実です」
「あれま。こりゃおじさん、一本取られたね」
自称おじさん巫女の爆誕である。
炭さんはフォローしたつもりだろうけど、大人しい蛍ちゃんが、遅刻魔の虹さんを基準にすることはまずな…………あれ?
「あの、黄林さんは?」
今夜の主役である花鶯さんはともかく、黄林さんがまだ来ていない。虹さんと違って、こういう時に遅刻する人じゃないのに。
「あぁ、あいつも準備中だよ」
僕の疑問に、虹さんがさらっと答えた。
「え、舞うのって花鶯さんなんじゃ……」
「黄林の力も、視察で舞を披露する際にはけして欠かせないんだよ」
他の巫女たちも、驚いている様子は全くない。不測の事態ではないようだ。
「黄林さんの力って、確か、心や感覚を共有し合うというものでしたよね?」
「そうだよ。よく知ってるな」
「前に、気を見る授業の時に手を貸してくれて、その際に説明を受けました」
「なるほどね。ま、どういうことなのかは見れば分かるよ。ほら、そろそろだ」
虹さんが、視線で外を指した。
日が沈み出すと早いもので、ほんの少し雑談をしている間に、空はすっかり暗くなっていた。日の光がなくなったことで、町の光がより鮮明に見える。
いつの間にか、社に人が
普段なら、関係者以外は足を踏み入れることはおろか、近づくことも許されない。今日というこの日のみ、社に入ることを許されるのだ。
(すごい数だ……!)
町に入った時も思ったけど、一体どこから湧いてきたんだと驚くほどに人が
「私たちも移動しないとですね」
炭さんと落葉さんが立ち上がり、部屋を後にする。元々立っていた虹さんは、
「…………」
蛍ちゃんはといえば、立ち上がった状態のまま固まっていた。
「蛍ちゃん、大丈夫?」
「あ……だ……だだだだいじょ……ぶ……」
全然大丈夫じゃない顔だ。多分、僕以上に緊張しやすい質なのだろう。
「歩ける?」
緊張しているからといって、置いていくわけにはいかない。これは引っ張るしかないだろうと、手を差し出した。
「え、えっ?」
「あ、嫌ならいいんだけど」
「……ううん、大丈夫」
いきなり掴むのはマナー違反だろうし、そもそもヘタレの僕にそんな度胸はない。それが功を成したのか、蛍ちゃんの顔が若干緩んだ。
僕が差し出した手を、蛍ちゃんが恐る恐る握る。小さくて細い手だ。
緊張しているからだろう。震えていて、今にも僕の手から零れ落ちそうだ。そうなったら、また立ち止まってしまいかねない。
失礼にならない程度に、しっかりと握った。