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第十話「開花 ーかいかー」 (後編) ②

「え? あの、桜さ――っ!?」


 そして、背中を思い切り叩かれた。

 一瞬、息が詰まった。マジで。


「敵意の察知能力、中の下。とっさの反応、下の下。驚いた時の可愛らしさ、上の上。総合して、下の上。論外ね」

「マジですか!? ていうか最後の全く関係ないですよねっ?」

「えぇ、冗談だもの。でも、襲撃から身を守るなら、前の二つは必須よ。まじで」


 真顔で冗談を言う桜さんだった。

 しかも、『マジ』の使い方に磨きがかかっている。適応能力高くないですか?


「気持ちだけは受け取っておくわ。ありがとう」

「僕、本気ですよっ?」

「だったら、人前に立つだけで不安がってる場合じゃないわね」

「――――」


 多分、何気ない一言だったと思う。


「行きましょう。そろそろ支度を」

「桜さん」


 歩き出そうとした桜さんに、声をかける。




「僕、強くなります。夜長姫に呑まれないくらいに――――強く」




 驚くほど、落ち着いた声が出た。


 不安も、緊張も、けして消えたわけではない。

 だけど、それ以上に心が静まっていた。


 強くなるしかない。僕の中に一つの決意が根付いたのを、はっきりと感じた。


「……うん」


 桜さんが笑った。何も言わず、ただ静かに笑って僕を見つめている。


 伝わったと思う。

 気持ちだけでもいい。今は、それで充分だ。






    ***






 本番前のみそぎに着替えに食事と、目まぐるしい日程に振り回されている内に、いつの間にか空が鮮やかな茜色に染まっていた。


 巫女の舞が始まるのは夜だ。

 それまで待機ということで、巫女たちは社内にあるこうろうのぼっていた。ここからだと、いつにも増してにぎやかな町を一望できる。


 民衆の前で舞う花鶯さん以外は巫女服、もといはらい装束を身にまとっている。

 加えて僕は、落葉さんと同じようにかもじを付けていた。人生初の付け毛だ。


 この世界において、長い髪は貴人の象徴だ。だから公の前に出る時は、男の巫女も髢を付ける必要がある。この世界で巫女にならなければ、僕が付け毛を付けることなんて一生なかっただろう。



 それはそうと、僕は今、もの凄く困っている。



 今日の主役である花鶯さん以外は、全員ここに来ることになっている。だけど現在、僕と炭さんとおちさんの三人しかいない。


 端的に言えば、会話のない状態だった。


「…………」

「…………」

「…………」


(めっちゃ気まずい!)


 思えば、この二人とはあまり交流がない。

 何か喋ればいいのかもしれないけど、二人とも何を考えているのかよく分からないので、どう話題を振ればいいのか図りかねるのだ。



 気をまぎらわそうと、外に目をやった。



 町は、社の高楼にまで熱気が昇ってくるほどに賑わっている。


 巫女が視察に来た際は、広場や大通りに屋台が立ち並ぶのだという。話には聞いていたけど、本当にお祭り騒ぎだ。


 そして町の人のみならず、旅商人もここぞとばかりに商売をしに来るらしい。普段はまずお目にかかれないお宝や、用途がよく分からない珍妙な品などが数多く出品されるのだとか。すごく楽しそうだ。


(見に行きたいなんて言ったら、怒られるだろうな)


 眼下で祭りが開かれているのに、出歩くことすらできない。しかも時折、美味しそうな匂いがこうを刺激してくるオマケ付きだ。生殺しというほかない。


 気持ちを紛らわすつもりだったのに、かえってそわそわする有様である。


 桜さんに屋台で欲しいものを聞かれたので、後で食べられるとは分かっている。

 だけど、やっぱり出来立てが食べたい。その場で買って、その辺に座って、祭りの空気と共に味わうのが屋台のだいだと思う。


「………」


 再び二人を見る。二人とも、この誘惑を前にこれといって表情を変えていない。巫女としての経験のたまものだろうか。


「……えっと、お二人は巫女になってどのくらい経つんですか?」

「かれこれ三年ほどですね」

「俺は二年」

「へぇ……」


 秒で会話が終了した。こっちから話しかけないと会話が続かない状態だ。


 基本的に僕は、人と話をするのが好きだ。一人の時間が長すぎると、必要以上に考え込んでしまうから。


 だけど、お喋り自体が好きなわけではない。


 一人語りで盛り上がれる話題もなければ、場の空気を一転させる話術もないのだ。むしろ相手の口が重すぎたり、話す気が全くなかったりすると言葉が詰まってしまう。今がまさに……それだ。


(このままじゃ、視察云々以前に僕の精神が擦り切れてしまう……!)


 なんとかこの状況を打破しなければと、頭をフル回転させて言葉を探す。

 内心で慌てふためきながら、絶妙に気まずい空気と格闘していたその時だった。



「す、すみません! 遅れまああ!?」



 突然、ふすまが開いたかと思えば、蛍ちゃんの体が前に傾いていた。

 僕が混乱するまでもなく、李々さんが素早く、蛍ちゃんの腰に手を伸ばした。


「あ、李々さん」

「まったく、何やってるんですか?」


 姫君を軽やかにすくい上げた従者から出たのは、あるじに何事もなかった安堵でもたしなめの言葉でもなく、まるで虫でも踏み潰したかのようなしかめっ面だった。


 ちなみに僕は、地獄の空気を壊してくれた蛍ちゃんに、心から感謝していた。


「手間暇かけて整えた衣装を台無しにするおつもりですか? いくら姫さまとはいえ、仕事を増やすのはご勘弁願いたいですねぇ」

「すみません……」


 李々さんの苦情を前に、蛍ちゃんはただ申し訳なさそうに萎縮した。忠誠心ゼロの態度に対して、異議を唱える様子は全くない。


「でも、ありがとうございます。李々さんのおかげで助かりました」


 しかも、めっちゃほがらかな笑みを顔いっぱいに咲かせた。普段おどおどしているだけに、こうやって時折見せる笑顔が本当にまぶしいのだ。


 その笑顔には、さすがの李々さんも調子が狂うのだろうか。めずらしく何も言わず、ただ溜め息をこぼした。


「……どういたしまして。それじゃあ、わたしは仕事に戻りますね」

「はい。ご苦労様で――」


 言い終わる前に襖が閉まった。

 蛍ちゃんの口から「あ……」と小さな声が漏れ、すぐさま祭りの喧騒にかき消される。また気まずい空気になってしまった。


「目に余るようなら、不敬罪で首にしたら?」


 落葉さんがさらっと、労働者殺しの無情な言葉を言い放った。まぁ、仕方がないだろう。蛍ちゃんだから許されているようなものだ。


 だけど当の姫さまは、李々さんを首にするのではなく、自分の首を傾げた。


「え? それはちょっと……。李々さんを怒らせたのは私ですし」

「まぁ、そこは否定しないけど」


(はっきり言っちゃうんだ!?)


 落葉さんのことはよく知らないけど、真顔で悪気なくきついことを言ってしまう人なのは、この数日間で分かった。

 かくいう僕も、何度かきついお言葉を頂いている。なんで時々変な動きをするのかとか、謝ってばかりだと足元をすくわれるとか。


「巫女としては致命的だな」


 いきなり落葉さんが鋭い言葉をぶん投げてきた。突然の指摘に、蛍ちゃんが「え!?」と困惑する。


「私、そんなに駄目でしょうか……?」

「いやそこまで言ってないけど。巫女に向いてないと思っただけで」

「落葉さん、それ逆に追い打ちかけてますから」

「あ……」


 炭さんが突っ込むも時すでに遅し、蛍ちゃんは全身に負のオーラをまとっていた。ちなみに気ではない。一般人が普通に見て分かるたぐいのものだ。


 さすがの落葉さんも不味いと思ったのか、彼にしては慌てた様子で口を開いた。


「まぁ、大丈夫だよ。巫女に向いてないのは、葉月も一緒だから」

「えっ!?」


 なぜか飛び火を食らってしまった。僕も向いてないのか……。



「お、何やら盛り上がってるね。新人いびり?」



 ふすまが開き、今度は虹さんが入ってきた。

 やけに楽しそうなその笑顔を横目に、炭さんが「ほら蛍さん」と口を開いた。


「この人なんか、いつも当たり前のように遅刻してるでしょう? だから、転びかけたくらいで気落ちすることありませんよ」

「んん? 入ってきていきなり罵倒されちゃったぞ? 今度は先輩いびり?」

「いいえ、ただの事実です」

「あれま。こりゃおじさん、一本取られたね」


 自称おじさん巫女の爆誕である。

 炭さんはフォローしたつもりだろうけど、大人しい蛍ちゃんが、遅刻魔の虹さんを基準にすることはまずな…………あれ?


「あの、黄林さんは?」


 今夜の主役である花鶯さんはともかく、黄林さんがまだ来ていない。虹さんと違って、こういう時に遅刻する人じゃないのに。


「あぁ、あいつも準備中だよ」


 僕の疑問に、虹さんがさらっと答えた。


「え、舞うのって花鶯さんなんじゃ……」

「黄林の力も、視察で舞を披露する際にはけして欠かせないんだよ」


 他の巫女たちも、驚いている様子は全くない。不測の事態ではないようだ。


「黄林さんの力って、確か、心や感覚を共有し合うというものでしたよね?」

「そうだよ。よく知ってるな」

「前に、気を見る授業の時に手を貸してくれて、その際に説明を受けました」

「なるほどね。ま、どういうことなのかは見れば分かるよ。ほら、そろそろだ」



 虹さんが、視線で外を指した。



 日が沈み出すと早いもので、ほんの少し雑談をしている間に、空はすっかり暗くなっていた。日の光がなくなったことで、町の光がより鮮明に見える。


 いつの間にか、社に人が雪崩なだれ込んでいた。

 普段なら、関係者以外は足を踏み入れることはおろか、近づくことも許されない。今日というこの日のみ、社に入ることを許されるのだ。


(すごい数だ……!)


 町に入った時も思ったけど、一体どこから湧いてきたんだと驚くほどに人があふれかえっている。それが社に一気に雪崩れ込もうとしているから、なおさらだ。


「私たちも移動しないとですね」


 炭さんと落葉さんが立ち上がり、部屋を後にする。元々立っていた虹さんは、すでに部屋を出ていた。僕も後に続こうと腰を上げる。


「…………」



 蛍ちゃんはといえば、立ち上がった状態のまま固まっていた。



「蛍ちゃん、大丈夫?」

「あ……だ……だだだだいじょ……ぶ……」


 全然大丈夫じゃない顔だ。多分、僕以上に緊張しやすい質なのだろう。


「歩ける?」


 緊張しているからといって、置いていくわけにはいかない。これは引っ張るしかないだろうと、手を差し出した。


「え、えっ?」

「あ、嫌ならいいんだけど」

「……ううん、大丈夫」


 いきなり掴むのはマナー違反だろうし、そもそもヘタレの僕にそんな度胸はない。それが功を成したのか、蛍ちゃんの顔が若干緩んだ。


 僕が差し出した手を、蛍ちゃんが恐る恐る握る。小さくて細い手だ。

 緊張しているからだろう。震えていて、今にも僕の手から零れ落ちそうだ。そうなったら、また立ち止まってしまいかねない。


 失礼にならない程度に、しっかりと握った。

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