目次
ブックマーク
応援する
7
コメント
シェア
通報

第4話 母

 あの日から、要は前にも増して楓を気にするようになっていた。


 毎日のように話かけてくる要を、楓は避け続ける日々。


 楓はあの日以来、要と向き合うのが怖かった。

 要といると、ずっと心の中に封印していたものがうずく。それを認めたくなかった。




 ある日、楓の家に要がやってきた。


 チャイムが鳴り響くと、楓は嫌な予感がした。

 玄関のドアを開けると、そこには満面の笑みをこちらに向ける要がいた。


「よっ」


 軽やかに手を振る要に、げんなりとした表情の楓。


 なんで彼はこんなにも自分に構うのだろうか、と楓は要の存在が不思議で仕方なかった。

 イケメンで人気者なのに、実はちょっと変な人なのだろうか。


 もう、放っておいてほしい。


「何してるの?」

「何って……おまえに会いに?」


 要は悪気もなく答える。


「おまえ最近、俺のこと避けてるだろ? 寂しくてっさあ」


 さらっとすごいことを言う、恥ずかしくないのだろうか。

 寂しいって、言われたのいったいいつ振りだ? いや、はじめてかも。


 楓は下を向き、固まってしまう。


 きっと顔は赤くなっているに違いない。


「なあ、家族いねえの? 挨拶させてよ」


 要は家の中を覗き込もうと、顔をキョロキョロと動かす。


「何言ってんのよ、帰って」


 楓が扉を閉めようとすると、それを要が阻止してくる。


「なんで? せっかく来たのに。いいじゃん、ちょっとくらい」

「ダメ、絶対。とにかく帰って、お願い」


 玄関の前で二人が騒いでいると、


「何やってるの?」


 楓の妹の美奈が、要の数歩後ろから二人を訝しげに見ていた。


 要が美奈を指差し「誰?」と尋ねる。


「あなたこそ誰?」


 美奈が言い返す。


「え? あ、あの、その」


 二人に挟まれ、楓はあたふたする。


 こんな状況になる日がこようとは思いもしなかった。

 だって、楓を訪ねてくるような人はいなかったから。


 どういう反応をすればいいのか、楓の処理能力が追いついていかない。


「あ、妹か」


 要が勘を働かせ、見事言い当てる。

 すると、美奈も即座に場の雰囲気を察知し、可愛く微笑みながら挨拶する。


「楓の妹の美奈と申します、よろしく。そちらは?」


 絶世の可愛さと天使の様な微笑みを見ても、顔色一つ変えず要が挨拶を返す。


「あー、どうも。俺は楓さんの友達です!」

「ぶっ」


 あまりの不意打ちに、楓は噴き出してしまった。


 友達……と言ったの?


 美奈も驚いた様子で、ぽかんとしていた。


「……へえ、友達ですか。

 姉の友達に会うの初めてです。これからも姉と仲良くしてあげて下さいね」

「こちらこそ。仲良くしたいと思っているんで、大丈夫ですよ。なっ」


 要が楓に微笑む。

 楓はブンブンと思い切り頭を横に振った。


 それを見ていた美奈がクスクスと笑う。


「美奈ちゃん……」

「お姉ちゃん、よかったじゃん。楽しいお友達ができて」

「ち、ちが」


 楓が否定しようとした瞬間、恐ろしい声音が聞こえた。


「ずいぶん、楽しそうなこと」


 楓の血の気が一気に引いていく。


 この声は……、


「なんだか騒がしい声が聞こえると思ったら、やっぱりあなただったの」


 どこか買い物にでも出ていたのか、外から戻って来た様子の亜澄がゆっくりと要へと近づいていく。

 亜澄の背後には、物凄く邪悪なオーラが広がっているように見えた。


 要のことを虫けらを見るような目で見降ろす亜澄。

 その口から発せられる声は、氷のようだ。


 しかし、要はあっけらかんとしていた。


「このおばさん、誰?」


 この場の空気を完全無視した言葉が、要の口から発せられる。

 亜澄の表情は固まり、片眉が少しだけピクリと動く。

 楓も固まってしまい、下を向いたまま何も言わない。


 見かねた美奈が代わりに答えた。


「母です」

「へえ……怖えー母ちゃんだな」


 ケラケラ笑いながら、楓に話しかける要。

 楓はさらに血の気が引いていくのを感じた。


 もうやめて、何でそんなこと言うの!


 楓は心の中で要に向かって叫ぶしかなかった。


 余計なことはするな、余計なことは言うな。これが楓の決めたルール。

 少しでも荒波立てずに平穏に過ごすため、編み出した鉄壁の約束だったのに。要は簡単にそれを打ち破ってくれる。


 亜澄が不気味な笑みを浮かべる。


「さすが、楓の友達ね。マナーがないようで」


 語尾が強くなり、凄みを増していく亜澄。

 それに対し、要は全然気にすることもなく堂々と向かい合った。


「そうっすか。あなたもね」


 要は亜澄に対し挑戦的な態度で攻める。


「なっ、なんですって!」


 要のせいで、亜澄の感情が高揚しているようだった。


 楓は慌てて止めに入った。


「ご、ごめんなさい。この人すぐに帰りますから、許してください」


 楓が二人の間に入り、要を強く押す。

 早くして、とばかりに手に力を込めた。


「帰って」

「お、おい」


 要は戸惑いながら楓を窺った。


「お願い、帰って」


 その鬼気迫る様子に、要は仕方なく引き下がることにした。


「わかった、帰るよ……ごめん」


 要がしょぼくれた顔して、きびすを返す。


「ふんっ、もう来ないでね」


 亜澄の捨て台詞を聞き、要は言い返してやろうと思ったがやめた。

 楓をまた傷つけることになるかもしれないから。


「さあ、美奈ちゃん、お家に入りましょう。楓! 早くしなさいっ」

「は、はい」


 亜澄が優しく美奈を抱き、家へ入っていく。

 その後ろ姿を寂しそうな顔で見つめ、後ろからとぼとぼと入っていく楓。


 その様子を見ていた要は、楓が家に入ったのを見届けてから、大きくため息をつき「くそっ」と吐き捨てる。


 それから重い足取りで、要は帰っていった。

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?