「さて、後輩」
「はい、先輩」
「暇だね」
「世間はドラゴンパニック真っ只中ですけどね」
「そこで私がきた!」
大塚君の一件が片付き、僕たちは秋生がミッションを無事成功してくれるのをただのんびりと待ちぼうけしている。
コンパクトケースの件は外注に任せきりだし、ダンジョン事業も右肩上り。
ローディック師とサルバさんの宿題の答え合わせをするにはまだ日が経っていない。
そんな時に、読んでもない来客がやってきた。
母さんである。
「何よー、そんな顔しなくたっていいじゃない。漫画の最新話読ませてあげないわよ?」
そらそら、と見せつけてくるのはここ最近忙しくてアニメしか追えてなかった天才錬金術師NYAOの原作の新刊だった。
「え、この作品もう19巻も出てるの?」
「おかげさまでアニメも二期決定しちゃって、今まさにてんてこ舞いなのよね」
「ダンジョン問題こっちに放り投げておいて、いい空気吸ってるねー」
ぶっちゃけキレそう。
事の発端あんたなのにさぁ。
「まぁまぁ先輩。ちょうど暇してましたし。したいお話もあったじゃないですか」
「まぁね」
「あら、母さんにお話? 一体何かしら」
後輩はキッチンに引っ込み、僕と母さん向けにぬるいミルクティーを用意している。その間に僕は質疑応答の準備をする。
「差し当たって、母さんはこの問題のどこまで知ってるの?」
「一体何のお話?」
「りゅう族の瘴気による弊害かな? うさ族は寿命を減衰させられ、ニャン族は力を奪われた。じゃあ人類は何を奪われるか。可能な限りで知っておきたいなって」
「その話ね。流石に母さんだって何でもかんでもは詳しくないわよ」
「ミルクティーお持ちしました」
「あら、ありがとー。ヒカリちゃんは気が利くわねー」
どうせ僕は気が利きませんよー。
僕もミルクティーを受け取って、極々飲む。
おいちい。
ほんのり甘くて僕好みだ。後輩目、また腕を上げたな?
軽くサムズアップしてやると、にこりと笑った。
「阿吽の呼吸ねぇ。うちのお父さんもこれくらい私に気を遣ってくれたらよかったんだけど」
「父さんは本当に研究第一だったんだ」
お茶請けのシュークリームをもぐもぐしつつ、突っ込む。
母もそうだが、父の姿を見たことはない。
大体が母からのまた聞きで。
うちに父親がいるのか常々と疑ったものだ。
「それでお母様」
「みなまで言わなくても大丈夫よヒカリちゃん。尺がに話をこれ以上引っ張るつもりはないわ。りゅう族のことについてよね?」
「ええ。今私たち人類が抱える問題。それがりゅう族が地上に上がったら間接的に絶滅が早まる。先輩がうさ族から聞いたお話だとそうなるらしいですね。その第一段階が、女体化だと」
「ええ、間違いないわ。確認している限りで私たちにゃん族、うさ族、ピヨ族、ムー族は女体化し切った」
「ムー族?」
「地上にいる動物で例えると羊かしら? ぐるぐるって舞い立つのをこめかみから囃してるの。よく私たちと領地争いをしていた勇敢な種族だったのだけど……」
「女体化して弱体化した?」
母さんは答えず、頷くにとどめた。
「女体化は弱体化の第一段階。そう捉えていいんだね?」
「ですが女体化までは分かりますけど、弱体化とは?」
「りゅう族の瘴気は、肉体をりゅう族のものに作り変えるの」
「!」
それは、大塚君の身に起きたことと全く同じことだ。
番に任命されたから、ではなく。
瘴気を浴びすぎると皆がその世帯に陥るというのか?
新たに浮上した謎に頭痛がしてくる。
「でもお母様はそうなっていないように見えます」
後輩の指摘に、僕も頷く。
ずっと疑問に思ってた。
今の母さんに猫耳はない。
「そりゃそうよ、その肉体は捨てたもの。今の私はにゃん族の女戦士の魂を宿した全く別の人類よ。言うなればクローン?」
「なるほど。母さんは研究の果てに作り変えられた肉体を捨て、新しい体に乗り換える術を得たのか」
「そ。だからこの肉体で今のニャン族の指導者に会いに行っても門前払いされるのよ。記憶だけあっても、今の私は明確にはにゃん族ではないもの」
「だからって僕に丸投げしなくてもさ」
「ヒー君だからこそよ」
確信めいた言動で、ミルクティーを一気に煽る。
「ヒー君はね、真栗さんの生んだ卵から生まれたの」
「ふーん」
「あ、その顔は信じてないわね?」
「父さんは男だからね、卵を産む機能が備わってない。僕が何も知らないと思ったら大間違いだろ?」
「本当なのに!」
母さんたら、僕がそんな子供騙しに引っかかると思ってるらしい。
ニヤニヤしながらミルクティを口に含む。
それにしてもこう入ったらずいぶん神妙な顔つきでさっきの母さんの言葉を精査しているようだ。
こんなもの大嘘に決まってるのにさ。
「もしかして、お父様は瘴気を浴びて女体化、ドラゴン化しているのですか?」
「やっぱり気づく? そうなのよ。ドラゴン化するとりゅう族の長の波動を受けて産卵体質になるの。ほとんどはドラゴンが生まれるんだけど、たまーに母親の種族の子供が生まれるの。それがヒー君だった」
おい、その理論でいけば真の母さんは父さんってことになるじゃないか。
流石にもう騙されないぞ?
「じゃあ父さんは今どこに?」
「私と同様にその肉体を封印して、今は安静にしてるわ。精神の定着がうまくいかなかったの……」
神妙な顔。これは本当か?
いや、でもなぁ。
前と言ってることまるで違うし。
「冗談はさておき、今お父様はどこにおられるんですか?」
「あ、バレるー? さっすがヒカリちゃん。今お父さんはね、イルマーニに監禁されてるのよ。あ、イルマーニっていうのは私の妹なんだけどね? これがめちゃくちゃ強くて。母さんじゃ敵わないわけ。でも元の肉体があればワンパンよ?」
シュッシュとシャドーボクシングをしつつつ、額の汗を拭う仕草をとる。
元戦士というのも嘘くさいんだよなぁ。
何なら言動全てが嘘の可能性すらある。
こんな人の描く漫画が、アニメ化して世界中でヒットしてるというんだから世の中おかしい。
「そもそも父さんはどうして監禁を?」
「私の行方を唯一知ってる存在だからって」
原因あんたじゃねーかよ。
なんで父さんを捕まえられてのうのうと生きてられるんだ、この人。
「でも今のお母様は人間の姿。会いに行っても門前払いと?」
「そういうことー。で、ヒー君にお願いしたいなって」
「で、本音は?」
「えー、本当にそれだけよー?」
「僕としては父さんもそうだけど、にゃん族に対してそこまで関わるつもりはないんだよね。飛びかかる火の粉くらいは払うけどさ」
「そう、じゃあ黙って首を差し出す?」
ヒュッ
風邪を切る音と共に、鋭い刃が僕の首元に向けられた。
いつになく本気の母さんが、真剣な目で僕を見据える。
「冗談、じゃないんだね」
両手を上げながら降参の姿勢。
首元にナイフを突きつけられるとは思ってなかったけど、ここにいる僕らはスペアボディ。
死んだところで別の部屋にいる僕らが起き上がるだけである。
この住処は母さんに場所が破られてるうちの一つってだけだしね。
「協力してくれないというなら、外の情報を漏らされても困るから消すわ」
「そういうの、よくないよ? なんだったら勝手に喋ってこっちを巻き込んでおいてさ」
「慎重ね。ナイフが怖くないの?」
「そりゃ驚いたけどさ。元戦士というのは本当なんだなって思ったくらいさ。後輩、ミルクティー無くなっちゃった。おかわり頼める?」
「はーい」
一切動揺しない僕たちに、今度は母さんの方が折れる。
「それなりに修羅場を潜ってきたようね」
「名前が売れるとね、殺人予告を送りつけられる場合があまりにも多いんだ。そしてそれに対策する研究もやってる。さっき母さんはクローンを作った、そう言ったよね」
「ええ」
「実は僕も似たような技術を考案し、実際に運用しているんだ」
二枚入りのクッキーの袋を破り、そのうちの一枚を口に放り込む。
「今の僕の体、そのクローンだって言ったら信じてくれるかい?」
「!」
今度は母さんが驚く番だった。
あの時別れた時に、何か印でもつけたのだろう。
僕がこの部屋にいるタイミングで登場した。
だからその時から僕が僕じゃないことに気がつけなかったみたいだ。
「嘘、だってあの時から……」
「あの時からすでにクローンだよ」
「そういうことね。私の来訪を予見して?」
「うんにゃ、ただの物忘れ防止に」
「はい?」
あっけに取られる母に、初めて出し抜いてやったという感情が漏れる。
「母さんにとってのクローンはそれこそ延命。知識を未来に託すための技術だった。けど僕はそれとは異なる。それだけだよ」
手を叩く。
別の部屋から僕にそっくりなスペアボディが10体出てくる。
それは僕の周りに集まると、母さんに一斉に話しかける。
「「「「「「「「「「「こんな感じさ」」」」」」」」」」」
「ヒー君、まさかあなた……精神を同時に操作してるの?」
僕は他10人に休めと言い渡し、一人だけで喋り出す。
「何言ってるのさ。並列思考なんて熟練度200で散々やることだろ? それを10個に増やそうが、100個に増やそうが操ってみせる。そうでもしないと錬金術は極められない。最近仕事が多くてさ、ならタスク分けして同時にやっちゃえって思ったわけさ。僕は何か間違ってるかな?」
「バカなの? 精神のほうが先に壊れるわよ!」
「大丈夫だ。とっくにバックアップはとってある」
僕は、首からかけた懐中時計を手元でいじる。
「母さん、今の僕の熟練度を教えてあげようか?」
学会では370と公表したが、あれからこの記憶保管庫と肉体保管庫を運用してまた上がったんだよね。
「今の僕の錬金術熟練度は410。クローン技術だっけ? 過去に通り過ぎた技術を今更見せびらかされてもね」
へそで茶を沸かしてしまうよ。
鼻で笑いながら、冷めた目で母さんを見た。
「そう、ヒー君。あなたはもうそこまで至っていたのね。騙すような形で近づいてごめんなさい。母さんを助けてくれる?」
「そうだね、僕を産んだっていう父さんのことも気になる。そして母さんが僕を騙してまで協力させようという狙いも。全て話してもらうよ?」
「そうね。いつまでも黙ってるつもりはなかったわ」
「わ、先輩増えすぎです。二人分しか要してませんよ」
「と、いうことだ。君たち持ち場に帰って」
「「「「「「「「「「えー?」」」」」」」」」」
「今帰れば煮卵とぬる燗サービスしちゃう」
「「「「「「「「「「しょうがないにゃあ」」」」」」」」」」
僕のコピー体はちょろい。
何人いてもこのちょろさなら騙すのも余裕とか思われそうだな。
「こほん」
「いつ見ても先輩ズは可愛いですね。私もいっぱい衣装を考案し甲斐があるというものです!」
今の僕も女性体なら、呼び寄せた10人も女性体。
男のボディは日の目を見ることなく活動休止中なんだよね、とほほ。
「一人私にくれないかしら?」
「アシスタントにでもするつもり?」
「ちょっと連絡係にね」
「そういうの面倒だから、これを先にあげるよ」
「これは?」
僕は首にかけてた懐中時計と、例のカプセルを手渡した。
「精神分裂剤。あとは記憶保管庫?」
「こんなのぽんぽん渡して大丈夫なの?」
「ローディック師とサルバさんにも渡したよ」
あと大塚君とその息子の秋生にも。
そう考えたら大盤振る舞いしてるな、僕。
まぁ便利なアイテムだし。
大量生産する気は全くないけどね。
「あなたにとっては大したものではないかもしれないけど、それは流石にちょっと引くわ」
「それ、サルバさんにも言われた。僕の行いは母さんにそっくりだって」
「あの子もね、いつまでも私の幻影を追っかけてないでもっと前を向いて欲しいものよ」
「未練あるんだ?」
「そりゃ、あるわよ。私だって好きで肉体捨てたわけじゃないんだから」
母さんにとって、その話題はあまり振られたくなかったみたいだ。
僕たちは新しい研究仲間に母さんを迎え、にゃん族の対策とりゅう族の対策を同時に行なった。
あと、当たり前のように締切前のアシスタントの手伝いをさせられた。
そのための
「あなたみたいに同時に肉体を動かせるわけないでしょ! 頭がこんがらがっちゃうわ!」
とのこと。
お手伝いするんだからそれぐらいやって見せて欲しいよね。
昔は有能でもいつまでも有能とは限らないらしい。