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37.都市を都市たらしめる意思

 突然話が大きくなってしまったことに安岐は驚く。 


「君言ったよね。何にしてもとにかくこの都市が開かなくてはいけないって」

「え?」

「あの橋の上。俺が花を投げていた時。安岐は言ったじゃない。結局何にしても、この都市が閉じている限りどうしようもないって意味のことを」

「ああ」


 確かに言った記憶がある。そしてそれは間違いではない。彼がずっと思ってきたことだ。


「俺も、そう思う。だから、開かなくちゃならない」

「そんな、開く開くって簡単に言うけど、あんた」

「開くよ」


 HALは断言する。


「開くんだ。ちゃんとやるべきことさえやればね。然るべきところに然るべき人を置いて、然るべきことさえすれば、この都市は開くんだ。十年前のように」

「どうしてそんなことが判るんだ?」

「判るよ。閉じたのは俺だもの」


 「眠り男」は、都市を閉じるために眠りについた――― 


 仮説の一つが安岐の頭をよぎった。


「あの時は、そうしなくては、都市自体が壊れるところだった」

「あの時って…… あの時?」

「そう、あの時。でも安岐は思い出せないはずだ」


 確かに思い出せない。その時、自分が何処で何をしていたか。


「不安定要素はなるべく排除したかったからね」

「排除」


 その言葉は、彼に一つのことを思い出させた。


「『適数』もそう?」

「そう」

「だから黒の公安は『川』へ人を落とす?」


 川に、兄は落とされた。


「そう」

「それは、あんたの命令なんだ?」


 安岐は自分の声が微かに震えているのが判る。


「そうと言ってもいいけど、それは少し違う。あいつらは、俺を守っているんだ」

「あんたを」

「安岐に前に言ったろ?」


 そうだ。安岐は思い出す。朝のファーストフードスタンドで、彼は確かにそう言ったんだ。自分がこの都市なんだと。


「もともと『都市』として成立してしまうような人やものや情報や流通の密集地には、そこを都市たらしめる『意志』があるんだ」

「意志?」

「ここにも元々その『意志』はあってね。俺は便宜的に『彼女』と呼んでいるけれど。俺はその彼女と、ちょっとしたトラブルで入れ替わってしまったんだ」

「ちょっとしたトラブル?」


 やや皮肉げに安岐は繰り返す。だが原因について、HALは話す気がないらしい。


「その時に、この都市空間自体が丸ごと、別の次元、別の空間に飲み込まれそうになった。ま、『彼女』はそうするつもりだったらしいね。『彼女』はとても情熱的だったから。で、俺はそれをちょっと力技で俺の身体の方へ閉じこめて、『彼女』と入れ替わったの」


 淡々と言うには大きすぎる内容じゃないか?

 安岐はめまいがしそうだった。だが朱夏が自分を掴んでいる。それが彼を正気にさせていた。


「だから要するに、現在この都市は、『外』とはややずれた次元の中に居るんだけど、それを元に戻すのは、俺では無理。俺にはそこまではできない。『彼女』じゃなくちゃ」

「だけど『彼女』――― あんたの言うことが本当なら、『彼女』を眠らせたのはあんただろ? HALさん」


 HALは困ったような笑みを浮かべる。


「とにかく『彼女』を起こして、『彼女』を口説き落とさなくてはならないんだ。そのために必要な奴がいるの。ねえ安岐、そのために君と朱夏に協力してほしいんだ」


 安岐は何となく釈然としなかった。黙っていると横で朱夏の声が聞こえた。


「それでは、そのお前の言う『必要な奴』がこの『声』の持ち主なのか? そいつを捜してこの都市へ連れてくれば私の中のこの『音』も『命令』も消えるというのか?」

「かもね」


 都市を元に戻す。これは願ってもないことだ。HALの言うことも判らなくはない。嘘をつくにしても大がかりすぎる。

 朱夏の中の「音」と「命令」。それはBBのFEWだ。彼を連れてくれば彼女の中の不快な部分は消える?

 それは悪くない、と思う。

 とりあえず安岐はHALの言うこと自体は本当だと仮定してみる。筋は通っていなくもない。だが。

 何か釈然としない。


 HALは嘘はついていない、と思う。

 ここで嘘をついたところで彼が得る利益など無い。そもそも、彼が言うことが本当ならば、彼は今ここで、安岐と朱夏を自由にできるということでもあるのだ。あの列車をここまでつないだように。


 つないだ?


 そこで安岐ははたと気付く。


「ねえHALさん聞いてもいい?」

「何?」

「もしかして、この間の『SK』の停電はあんたが起こした?」

「ああ、やっぱり気がついたね」

「仕組んでいた?」


 HALは黙る。黙ったまま、軽くうなづいた。

 ああそうか、と安岐は気がついた。釈然としないのはそこだったのだ。

 自分達は―――自分と朱夏は、見られていて、会うべくして会わされたのだ。

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