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44.悪趣味同士

「長官、全員配置につきました」


 黒い制服を着た公安職員が腕まくりをした上司に告げる。ガムを噛みながらそれを聞いていた彼は、低い声でけだるげに指示する。


「手順通りに行け。容赦はするな。人間は一人として出すな」


 は、と職員は、軽く礼をすると自分の配置であるべきところへと戻って行った。

 「橋」の側には、順番待ちの車がずらりと並んでいる。

 あくまで取引は「橋」の上で行われるのだ。満月の夜の、外とつなげられている状態の「橋」は、人が入り乱れても構わない。時間と空間のはざまだ、と朱明はHALから聞いていた。

 そのHALだが、朱明はこの日、朝からその姿を見ていなかった。だが他のどんな仕事を飛ばしても、この仕事だけは飛ばせないのだ。まだ公安ができて間もない頃は、彼自身も、人が入り乱れる「橋」の上で人の襟首掴んで「川」へ叩き込んだこともある。

 それが都市の空間の「適数」のためとはいえ、決していい気持ちはしなかった。今でもいい気持ちはしない。大義名分が大義名分でなかったら、絶対にしたくないことの一つだった。

 逆に言えば、この大義名分のためなら、自分が何でもするだろうことを彼は知っていた。さすがに最近は、無謀なことをする者が減っているので、彼は多少安心している。

 整然と並ぶ車。その中の業者達。実のところ、中身が何であれ、彼は芳紫言うところの「御禁制品」でなければ何だっていい、と考えていた。何が持ち込まれようと、要はそれを手にした奴の責任だと彼は考えている。だがもちろん本音と建て前は別なので、おそらく今夜も幾らかの品は摘発されるんだろうが……


 おや?


 そんな車の列を一段高い道の上から眺めながら、彼はふと一人に目が行く自分に気付いた。


 HALではないのは判る。だがHALにが、居る。

 彼がHALを見つけるのは、勘だった。

 勘と言ってしまえば何だが、基本的にHALの意識は拡散している。その中で凝縮した部分がレプリカントに入り込んで動かし、彼や友人達と話す相手となりうるのだ。

 そういえば、と朱明は思い出す。こんなことを言ったこともあったな。


「……だから、一度に二つの身体を動かすこともできる訳」


 器用だな、とその時は朱明も答えた。


「でもあまりそういう時はややこしいことはできないよ。初心者にドラムは難しいだろ? 何でだと思う?」

「一度に手足をばらばらに動かせねえからだろ?」

「そ」


 それと同じだよ、と彼は笑っていた。

 その彼の勘が、そのHALに似たものは、HALではない、と告げていた。

 だが良く似ている。誰だったろう?長官の肩書きを振り回して呼び寄せてみようか?

 そう思った時だった。


「忙しそうだね」


 彼は思わず飛び上がりそうになった。


「何やってんの。ナイロンザイルの神経の持ち主が」

「お前の現れ方は心臓に悪いんだよ! ……ということは、あれはお前じゃあないんだな」

「あれ?」


 ふわり、とHALは朱明が親指で示す方向を見る。


「……ああ……」


 二、三度糸の切れた人形のようにうなづいて見せる。


「あれは違うよ。朱夏だ」

「朱夏?」

「結構偶然だよな、この名前って」

「何のことだ?」


 別に、とHALは言うと、黒の軽のボンネットの上にひらりと飛び乗る。月明かりに陰を落とす深いまぶたを半分下ろして彼は朱明を見おろす。


「どうせお前自身が手を下す必要もないんだろ?」

「必要があれば、俺は動く」

「必要ねえ……」

「それに何で今頃、こんなところに居るんだ? 俺に捜させる時はとことん何処かに雲隠れしているくせに」

「あんまり深い意味はないよ」


 そう言ってボンネットの上で彼はひざを抱え込んだ。


「ただちょっと、見物にきたの」

「悪趣味だな」

「知らなかった?」



 道に並ぶ車の中に、安岐や壱岐の「会社」の車もあった。軽ではあるが、ワゴン車である。

 取引物は、表向きは婦人服卸しであるので、その日公安に登録していたのは、「カジュアルウェア」だった。実際それも持ち込まれる。だが主な目的は、そのTシャツやらジーンズやらの梱包された袋の合間にすべりこませてある煙草である。

 もともと大気条例で煙草も規制物であると同時に、その日持ちこもうとしている煙草「ダズル」は軽い習慣性を持つ幻覚剤的役割を持つものであった。

 さほど身体に蓄積されない、ということで、「外」では容認させているものだが、この都市では規制される。


「……遅っせーなあ……」


 ハンドルを握る津島は隣の同僚につぶやく。


「何か手間取ってねえか?」

「みたいだな」


 ふう、と津島はハンドルの上に腕とあごを乗せる。


「お前さあ」

「何?」

「安岐と何かケンカしたの?」

「ちょっとね」


 同僚はポケットからガムを取り出すと津島に一つ渡した。サンキュ、とつぶやいて彼は受け取る。強いペパーミントが舌を刺した。


「それで今回奴は外されたのかな?」

「知らねーよ…… 壱岐さん何か言ったの?」

「いや言ったとかじゃなくてさ、壱岐さんここんところちょっと変じゃねえ?」

「変?」


 パー…… とクラクションが後ろから聞こえる。

 前方がやや空いていた。あ、と声を立てて津島は車を前に動かした。


「何が変だって?」

「何…… って言っていいか判んねえんだけどさあ……」


 同僚はあまりボキャブラリイが多くはない。それでも頭をひねって、その「感じ」を言葉にしようと努力する。


「確かに壱岐さんなんだけど、何か別の人相手にしているような気がしたんだ」

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