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45.友達思いへの仕打ち

「別人?」


 そしてまた前が空く。気になる話ではあったが、仕事が先だった。

 一時間程その状態が少しづつ進んでいって、ようやく彼らの番が過ぎた時には、月は中天にあった。月あかりとはいえ、満月の光はかなり明るい。

 何処に居たって月は綺麗なのに、と津島は思う。

 後部座席とその後ろに、交通法規に引っかからない程度に彼らのワゴンは段ボールを乗せて走っていた。


「ちゃんと防臭剤詰めてあるかなあ」


 同僚が後ろに身を乗り出しながら訊ねる。


「どうだろ。ちょっと見てみるか」


 「橋」付近で連なっていた車も、過ぎてしまえば散ってしまう。まだ周辺区域だった。人の通りは無い。津島はワゴンを道の脇に止めた。

 後ろに積んである段ボールを一つ取り出すと、その中の服を一つ一つ取り出す。「カジュアルウェア」と一言で言ってもいろいろあるが、彼らはその中の、なるべく弾力のあるふわふわした素材のブルゾンの中にダズルを隠していた。


「……これだこれ」


 同僚はぽんぽん、とそのポケットを探る。その中にはピンク色の、一見可愛らしいパッケージにくるまれた箱が入っていた。彼はブルゾンに鼻を押し当て、特有の臭気がしないか確かめる。


「どおだ?」

「まあ、大丈夫だろ」

「なら良かった」


 きょとん、として津島は目の前の同僚を見る。


「お前今何か言った?」

「……いや…… お前が言ったのかと」


 津島の肩がびく、と震えた。彼は目を疑った。

 同僚の肩の向こう。彼は目をこらす。


「……どうしたんだよ津島」


 彼は目をこする。月を一度仰ぎ、そしてもう一度同僚の肩越しに向こう側を見る。

 ワゴンの後部座席に誰かが居る。


「……おい、今日誰かもう一人居たっけ?」

「? どうしたんだよ?」

「そのままそうっと何ごともなかったように振り向いてくれないか?」

「……え?」


 だが彼は振り向くことはできなかった。

 同僚は、次の瞬間、糸が切れたようにその場に崩れ落ちた。


「……お、おい?」


 津島は、背中に冷たいものが走るのを感じた。後部座席に居たものが、ゆっくりと降りてくる。何なんだ一体これは。


「いけないもの、積み込んでるんだ」


 低い声が、津島の耳に届く。ふしは付けないが、その口調にはリズムがあった。耳の裏をかすられるようなその声の感触に、彼の悪寒が更に強まった。

 ゆっくりと、その声の主は、ワゴンから降りてくる。月明かりに見えるその姿は、その声からは想像がつかないくらい小柄で華奢だった。

 彼は、そのアウトラインに何処か見覚えがあると思った。だがそれが何だったか、やや思い出せない。

 それどころではなかったのだ。


 足が、動かない。


 侵入者は、肩くらいに切りそろえた髪を揺らしながら、津島のそばに寄ってくる。津島は声を立てたいと思った。だがそれが、できない。


「別にさあ、こんなもの取引しなくても生活くらいできるよね?」


 侵入者は、同僚の手にしていたブルゾンと、その中にあったパッケージを手にする。それは。


「可愛いパッケージだね」


 身体に似合った小さな手が、その可愛いパッケージをぺりぺりとむく。パッケージの中には無粋なほど地味な箱が入っていた。その箱もぽん、と彼は開ける。

 せっかくの商売モノなのに! 津島は動けない自分がひどくはがゆかった。一体何をするつもりなのだろうか。自分の身体が動かないのも、この目の前の奴のせいなんだ、と奇妙に判っていた。

 そして開けた箱の中からダズルを一本取り出した。それを口にくわえると、彼は津島のポケットをまさぐると、その中からライターを取り出した。


「自分で喫わないくせに。友達思いだねえ」

「!」

「別に俺は君が安岐くんに持っている感情が何だっていいけど」


 そして彼はそのライターで火を点けた。ずいぶん深く吸い込んでいるように彼には見えた。肩と胸が大きく動く。ああ、そんなに一気に喫ったら、幻覚が……


 だが。


 微かに開いた口から軽く煙が漏れている。何なんだ、と津島は思った。その形の良い唇が近付いてくる。

 次の瞬間、津島は何かが自分の中に一気に入り込んでくるのに気付いた。ふう、と相手の口渡しに、特有の臭気のある煙が流し込まれる。

 ゆっくりと身体を離した相手は、極上の笑みを浮かべると、ポケットから何かを出した。

 それが何なのか、強い煙を一気に吸い込まされた津島には判らない。頭が朦朧としていた。体質的には合わない訳ではないらしい。吐き気はしない。だけど……

 再び侵入者は津島に近付く。耳元で、その重力の無い低い声で何やら囁く。

 思考ができなくなりつつある頭には、その言葉がどんな意味を持っているのか判らない。そして何かが手に押し込まれる。

 手に当たる感触は、金属のそれだった。

 それが何だか、手にはその記憶があるような気もするし、無いような気もする。それを津島はふわり、とジーンズのポケットに押し込む。

 すらりと伸びた腕が、手が、何かを指している。津島はその方向を見ると、ふらふらと歩き出した。そしてそこに在った175CCのカブにまたがった。

 ずいぶん乗っていないから、忘れていると思っていたのに、身体は覚えていたらしい。津島は差し込んであったキーを回すと、エンジンをかけた。 

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