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59.時々ひどく馬鹿に見える

 何気なく朱明はHALの後ろ姿を見送っていた。

 見えなくなると、彼はくくった髪とバンダナを一度解くと、うっとうしくないように結び直した。するとその拍子に、視界の反対側に居た人物が目に入った。

 風の無い緑の風景は、さほどに動いた気配もない。ということはその人物は、結構前からそこに居たのだろうな、と朱明は気がついた。

 だったら奴は見たのだろうか。

 きり、とT字でスネアのビスを締めながら彼は思う。冗談めいたHALの行動は、昔からあった。それこそ彼が加入した直後くらいからあった。

 うっとうしいことやどろどろしたことは嫌い、と公言しているくせに、HALは男女関わらず、笑顔や軽いキスくらいを投げるのはざらであった。

 さすがによせよせと逃げていく芳紫は別として、そもそも彼を引きずり込んでヴォーカルに据えた藍地や、別に嫌がりもしない朱明は、彼の悪気のないセクハラの的になっていた。

 藍地が嫌がっていないことは、傍目にも判った。

 策士の様な顔をして実は良い人であることを全く隠せない藍地は、明らかにHALに惚れ込んでいたし、別に隠す気もなかったらしい。だからまあそれは判る、と朱明も思った。

 だが、どうして自分にまでそういうことを仕掛けてくるのだろう、と考えるとまるで答えが出ないのだ。

 何しろ、その頃HALに本命が居たことは、メンバー達の公然の事実だった。HALも隠さなかった。彼にしては珍しい程何もはぐらかすこともなく、その相手と付き合っているように朱明にも見えた。

相手は自分も良く知っている奴だった。BBの、FEW。

 朱明が自分の、このバンドのメンバーとしてBBに最初に会ったのは、ある雑誌の対談だった。

 とは言え、雑誌もその時に用があったのは、ヴォーカルであり、バンドの顔であったHALだけだった。一応全員揃ってその編集部に参上したのだが、結果的には、あぶれた楽器隊同士で交流が深まってしまったとも言える。

 朱明にしてみれば、苦笑したくなるような再会だった。実際その時の布由の顔はなかなか見られるものではなかった。

 その雑誌は、当時よくあった写真系の音楽専門誌で、その頃彼らのバンドとBBは新しく力をつけてきたバンドとして、よく比べられた。

 そしてその二つのバンドの中心的存在であり、一種カリスマ的要素を持つヴォーカルの二人が連載で対談をする。それがHALとFEWだった。

 当初は冗談だったらしい。遊び好きな編集長が適当に「第一回」などとつけてはみたものの、「第二回」は無いだろうと踏んでいたらしい。

 何しろ当時、ヴィジュアル重視という点以外、全く音楽性も人間性も違っていそうな二つのバンドである。本当にただの冗談のつもりだったのだ。したがって、その対談の載せられる場所も、当初はひどく雑多なコラムばかりの並ぶページにあった。

 ところがそこで美味しい誤算がおきた。その対談が妙に受けたのである。

 受けたのならば、記事は拡大すべきである。当然である。直接対談にして、二人揃った写真も載せる。本人同士の交流が深まるにはうってつけの状況だったと言える。

 それを思い出すたびに、朱明は今でも、当時の編集長を殴り付けたいような衝動にかられる。

 そんな機会がなくとも、当時の状況からしたら、彼らのバンドとBBは何処かで会っていただろう。メジャーのレーベルからデビューした時期も近く、他でも比べ称されることは多かった。あの雑誌で何やらしなくとも、比べられる二つのバンドが出会う機会はあっただろう。

 だが、確かに決定的だったのは、あの出会いだったのだ。

 朱明はBBを知っていた。下手すればそこに正メンバーとして入っていたかもしれないバンドである。ヴォーカリストであり、BBのバンドリーダーであるFEWの、引力のようなものもよく判っていた。だから。

 当時から、彼は結構嬉しそうに受話器を取るHALを見て複雑な気分になったものである。

 基本的には、HALは誰にもあいまいな感情しか見せてなかった。

 少なくとも当時の朱明は見たことがなかった。

 本当に嬉しい訳でもないけど笑う。本当に悲しい訳でもないけれど、困った表情をする。そして、本当に悲しいことがあったしても、絶対に泣かない。顔に出さない。行動に出さない。

 変わった奴だな、と最初は思った。

 だがそれがおかしい、と気付くのには時間はかからなかった。そしてその「おかしい」は「気になる」に変わり…


 やがて、「目を離せなく」なった。


 朱明はわりあい自分の感情については冷静に判断するタイプだった。自分の感情も人の感情も、冷静に、その正体が何であるのか考察し、結論を出すのが普通だった。


 だから、彼はすぐにその感情の正体の名前が判った。

 しかも、彼はその感情を案外簡単に認めてしまった。


 朱明は世間の常識を一応知識として知ってはいても、それが全く身に染み着かない男だった。常識というものは、社会の尺度であり、それが必ずしも「正しい」か「正しくない」かの二つで割り切れるものではない、と考えていた。

 だから彼は簡単に自分の感情を分析し、認めた。

 感情は、理性に優先する。まず感情があり、それは事実であり真実である。それを分析し、現実に生かすのが理性なのだ、と。逆であってはならないのだ、と。それが彼のポリシーだった。

 判りやすい言葉で言えば、彼はHALという人間に、意味もなく惹かれていた。

 何故かと言われれば、彼は答えただろう。判らない、と。実際判らなかった。だが言葉にならない部分では、おおよそこの様に解釈していた。


 HALが全てのものごとに絶望していたように見えたのだ、と。

 彼がどんなものごとにも「終わり」を夢見ているかのように見えたのだ。


 もちろん朱明とて簡単に全てのものごとに希望を持つというタイプではない。この世の全てのものを薔薇色に見てしまうには、彼は頭が良すぎた。

 だが朱明はあくまで現実主義者だった。そこにあるものを、そこにあるように認識し、ただその現実を抱いて、とりあえず前へは進もう。そうするしかないのだ。だから「終わり」はその際意識しない。

 立ち止まることはあるが振り返りはしない。ただそれだけである。そんなことしても仕方がないと判っているだけである。

 そういう彼から見ると、HALは時々ひどく馬鹿に見える。

 そして、ひどく悲しく見えたのだ。

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