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75.迷った先に見えたもの

 安岐は思わずにはいられない。

 同じ所をぐるぐると回っている気がする。いくら歩いても、走っても、どうしても結局この公園に戻ってきてしまうのだ。

 ……夢の中で歩いている時の感触に似ている。

 自分は正しい方向に歩いているつもりなのに、結局はその「正しい」にもつじつまが合わなかったりする。

 だとしたら、俺は夢を見ているんだろうか。

 そう考えもする。結構その考えは正しいような気もする。

 だが自分が夢の中にいるのを気付くことなどあまりない。

 何度も何度も、公園を出ようとした。実際出てみた。だが、そのまま離れていっている筈なのに、数本の大通りを越えると、またあの噴水塔が見えるのだ。

 かなり怖くなっていた。

 無意味に繰り返されることが、これほど怖いとは知らなかった。朱夏の不快感も少しは理解できる。

 自分がどれだけ逃げようと、遠ざかろうと、そこにあるのが当然、というように、古めかしい形の噴水塔は水を吐き出す姿を見せつけるのだ。

 そこの天気は良かった。ずっと良かった。

 だが決して暑くはない。通りを歩く人々がどれだけ半袖だろうがノースリーヴだろうが、陽射しに焼け付くような熱はないし、大気にはこの都市特有の、ねばっこい、あのまとわりつくような湿気もない。

 そして歩いても疲れることもないし、時間がずいぶん経ってるはずなのに、空腹になることもない。音も無い。風も無い。地面の感触すら無い。


 ……冗談じゃねえ。


 安岐はつぶやく。疲れもしないから汗もかくこともない。だが気分だけはどんどん低下している。

 ずいぶん時間が経っているように思えるのに、太陽はずっと中天にあって、動こうともしない。木の影はずっと同じ位置にある。

 だけど人だの車だの、そんなものは通りすぎていく。それは判る。だが彼らは安岐の存在に気付きもしないようだった。彼らの声も、車の音も、何一つ聞こえてこない。静かに通りすぎていくだけだった。


「……冗談じゃねえ!」


 今度はもう少し大きな声でつぶやいてみる。奇妙なものだ。自分の声だけは聞こえる。だが周囲の、影のように過ぎていく人々にその声は届いていない。


 まるで幽霊じゃないか。


 身体も足も全く疲れてはいない。だけど何となく、歩き回るという行為自体に疲れてしまった。

 何度となく姿を現す噴水塔のへりに座ると、安岐はぼうっと通りすぎる人々を眺めることにした。


「あれ?」


 目の前を通りすぎていく人の顔ぶれが変わってきていた。少女が多い。

 何かあるんだろうか、と安岐は噴水塔のへりから立ち上がる。

 もちろん近付いたところでその少女達の、さざめくような声も聞こえる訳がないのも何となく判ってきていた。だけど、何となく少しだけ期待していた。

 陽射しが、かたむきかけていた。

 それに気付いたのはいつだったろう。ずいぶん長い時間が経ってしまったような気がする。

 緑が両脇に立ち並ぶ公園内の、レンガ色の歩道を、ひらひらした恰好の少女達が歩いている。よく似た恰好が多い。それも似合う似合わないで選んでいるものではなく、一種、制服と同じものが感じられた。


 何処へ行くんだろう?


 だがその問いに対する答はすぐに見つかった。公会堂だ。

 公園の中には二つのホールがある。

 一つは「公会堂」と呼ばれ、もう一つは「ワーカーズホール」と呼ばれている。どちらも二千人くらいの人を収容できるコンサートホールになっている。「公会堂」の方が古い。入り口の石造りの柱だの階段の手すりだの、凝ったつくりになっている。

 少女達はその前でたむろしている。そして目の前にはまた噴水があった。位置関係がおかしい、と安岐は思う。どうしてここに噴水塔があるんだ。


 ……夢だもん。


 ふとそんな声が聞こえたような気がした。


 風が起こった。

 肌に触れる風が生暖かいものに変わったのがいつだったか、安岐は自覚していなかった。

 急に音が耳に一斉に飛び込んできた。噴水の水の落ちる音、少女達のざわめき、風に揺れる周りの木々……

 地についた足に実感が湧く。靴底にへばりつく小石がぐりぐりと足の裏を押す。ぽかんとしていると、急に肩をとん、と押す者がいる。


「あー、ごめんなさぁい」


 にこやかに、自分と大して変わらないくらいの女性がそう言って通り過ぎる。連れの男は、何やってんだよ、と彼女を自分の方へ引き寄せる。彼女は暑いからよして、と軽くそれをかわす。安岐はそれを見て小さく笑う。

 公会堂の前には次第に人が集まりつつあった。入り口の上には、その日のライヴのアーティストの名前が書かれた看板が掛かっているようである。白地に黒、シンプルなものだ。

 安岐は噴水のへりに再び腰を下ろした。人間を見ているなら座っている方がいい。


「遅いーっ!」


 さっきの女性が誰かに向かって怒鳴っていた。

 いい根性のひとだ、と思いつつ安岐は視線を飛ばした。彼女の周りには彼氏らしい男と、その友達らしい男と、もう一人別の男が居た。

 え? と安岐は目をこする。


「遅くはねえよ……」


 低音が響く。


「だって開場六時、開演六時半だろ?まだ六時ちょっと前じゃないか? 夏南子はせっかちすぎるんだよ」

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