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74.泣く代わりに笑う

「HALさんは、動ける身体が欲しいと言った時から、この都市を開く方法を考えていたよ」

「あの九年前から?」

「そ。九年前から。ただ、どんなものにもタイミングってものがあるだろ?」


 まあな、と朱明はつぶやく。


「計画は至って簡単と言えば簡単なんだ。BBの布由を呼ぶこと、それだけ。お前も知ってる通り、『彼女』には布由の声が必要なんだ。もちろん俺達には、その後のことをどうこうできる訳がない。それをどうこうできるのは、結局HALさんと『彼女』だけだからね」

「ああ」

「だから、相談された俺達は、布由を呼び寄せるための計画に手を貸したんだ。『動ける身体』もその一端」

「何で」


 いろいろ理由はあるんだけど、と芳紫は前置きする。


「まず布由を呼ぶ方法を考えたんだ」

「ああ」

「単純に、今の俺達の権力位置を考えれば、ただ呼ぶだけなら可能かもしれないよね。だけどそれじゃ駄目なんだ」

「どうして」

「必要なのは、布由じゃなく、布由の声なんだ。奴に歌わせなくちゃならない」

「だけど奴は権力に踊らされるのがもの凄く嫌いだったよな」

「そうだよ。そこが問題。だから、そうやって奴が来たしても、奴は絶対歌わない。そんなこと俺達が一番良く知ってることだもの。だから、何としても歌わせるためには、奴には自発的に来させなくてはならない」


 淡々と、そして子供の様な口調で芳紫は説明する。だがその内容は決して子供のものではない。朱明はこの同僚兼友人の一面に少しばかりぞっとする。


「だからそのためには、使者が必要だ、と俺達は考えた」

「メッセンジャー」

「そう。奴は本当のことに弱いからね。嘘偽りのない、本当の思いって奴。少なくとも俺達の知っている奴は、そうだっただろ?」


 そうだったな、と朱明はうなづく。


「だから、純粋な思いだけで動くメッセンジャーが欲しかったんだ。だけど人間じゃ駄目だ。お前も守っている『適数』があるからね。それに人間を使うといろいろ厄介だ。絶対にそこには別の思惑が入ってしまう。だから、もうひたすら単純に、だけど必死に、この都市を元に戻す理由を持った、『人間以外のもの』が必要だったんだ」

「それでレプリカント、か?」

「うん」

「だけどそれはヒューマノイドでもメカニクルでも良かったんじゃないか? 何も『外』でも珍しいレプリカントでなくとも」


 芳紫は首を横に振った。


「あのさ朱明、お前レプリカと他の違いって知ってる?」

「HLMを使っているかいないかの違いだろ?」

「そおだよ。だけどその違いが大きかったんだ」


 朱明は首をかしげる。


「このへんのことは藍地の方が詳しいんだけど…… 俺には専門外だからな……」

「それでも俺よりはマシだろ」


 まあね、と芳紫は軽く言う。ちっと朱明は舌打ちをする。


「そのHLMのせいなんだろうと思うんだけど、……ほら、『規則』ってあるだろ?レプリカには」

「ああ」

「何でアレを組み込むか知ってる?」

「いや……」

「アレを組み込まないと、レプリカは自主的な意志を持つから」


 さすがにそれは彼にとっても初耳だった。


「レプリカ・チューナーの間では結構知られたことだよ。他の人間型機械とかじゃそんなことはならない。HLMを頭脳に持つレプリカだけにそれが起こるんだ。だったら、最初の第一回路ファーストのチューニングの時に外しておけば」

「……ああなるほど」

「それが一つ」

「何まだ他にあるの?」

「あるよ。HALさんはレプリカなら容れ物にできる、と言ったんだ」

「何で」

「そこまで俺は知らない。たぶんHLMのせいだとは思うんだけど…… ま、それで俺達は、スペア含めて、HALの姿のレプリカントを何体か作った、と…… ただし、ただレプリカントを放しただけじゃ自我を持つまでにいかないだろうから、と藍地はそのいくつかには、矛盾した命令を入れた」

「また強引だな」

「強引結構。結果として、あの子ができた」

「朱夏のことか? 知っていた?」


 芳紫はうなづいた。


「黄色ったってなめてはいけませんよ。俺には俺なりに情報網ってのがあんの。でもあの子ができるまで結局ずいぶんかかったし、あの子が安岐くんを見つけるまでこれまた時間がかかったし」


 ちっ、と朱明は苦笑して再び舌打ちをする。


「結局お前らの手の中で踊らされた訳ね。俺も、あの子達も」

「まあそういうことだよね。でも朱明、知らない方が、幸せなことってあるだろ?」

「……」

「HALは、……HALさんは、それでもこの計画のスタートスイッチは入れたくなかったんだろうと思うよ」

「だけど奴はそうした?」

「何でだと思う?」


 それが判らない程彼は鈍感ではない。だけど。


「無論『都市』を開くことが必要だとは俺達も思っていたよ。だってそうだ。俺達の問題とは全く関係のない普通の人々が、巻き込まれすぎてる。『川』に落ちた人々が実は死んでいないと言ったところで、俺達があの人達の時間を奪ってしまったことには変わりはないんだ」


 そうだよな、と朱明は答える。それは彼も常々思ってきたことだったから。そしてHALに言ってきたことなのだから。


「だけどはっきり言えば、この計画の決着をつけるのは、俺達は辛かったし、HALさんも辛かったとは思うよ。だってそうだろ? HALさんは自分の処刑執行書にサインするようなもんだったんだから」


 朱明はうなづいた。そして彼は気付いていた。結局、そのサインをHALにさせてしまったのは自分なんだ、と。


「なあ朱明、HALさんさあ、レプリカの身体になってから無闇やたらによく笑うようになっていたよね」

「……ああ」


 昔はあそこまでではなかったはずだった。


「あのさ、HALさんって泣かない人じゃん。昔っから」

「そうだよな」

「だから、その代わりに笑うんだよ」 


 ―――朱明は思わず目眩がした。


「あのひとは、そりゃ嬉しい時にも笑うけどさ…… 泣きたい時にも笑うんだ。まあ、それに気付いたのは藍地だったけどさ」

「藍地は…… だとしたら」

「そう。無茶苦茶きついだろうな。だけど、仕方ないじゃん」

「何で」

「藍地がどれだけ思ってようが何だろうが、HALさんは、お前の方がいいんだから」

「!」

「だってそうじゃなくちゃHALさんが、わざわざ『動ける身体』を欲しがる訳が判らないじゃない。別にさ、ただレプリカを作るだけでも良かった訳じゃない。どうしてHALさんの格好にしなくちゃならない訳?」


 それは、朱明も疑問に思ったことだった。


「HALさんはひどく単純に、夢の中でなく、お前と馬鹿話や……」


 芳紫は言葉を濁す。視線を僅かにそらす。


「いろいろしたかったんじゃないの? 時間制限はあるけれど…… 時間制限があっても」


 そう言われてしまうと、朱明には返す言葉が無かった。

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