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エピローグ 代償が何であれ

「……やっと目を覚ましたよ」

「おーい朱明、生きてるかあ?」

「芳ちゃん生きてるから目を覚ましたんだよ」


 見覚えのある顔が、交互に自分をのぞき込んでいるのを朱明は感じた。そして自分が仮眠室の簡易ベッドの上に居るのに気付く。


「びっくりしたよ俺! お前までどっか行って帰らないと思ったじゃないかっ!」


 藍地の目はずいぶんと涙ぐんでいた。ああやはりいい奴だ、と朱明は思う。


「……俺は気を失っていたのか?」

「気を失っていたか、じゃないよ朱明。お前まる一日半寝てたんだよ」

「一日半!」 


 それはそれは、と彼は多少感心する。

 そんなに寝こけていたのか。そう言えば、と彼は窓の外に目をやる。昼間の陽射しが大きな窓から差し込んでいた。


「……ま、何にしてもお前だけでも、帰ってきた良かった良かった」

「芳ちゃん」

「だけどさ朱明、黒の公安の、お前の部下が命令を待ちわびてる。必要はなくなったけれど、俺達には残務処理という奴が待ってるんだわ。指揮してやってくれや」

「ああ、そうだな」


 朱明は髪をざっとかきあげる。二人とも意外に平静そうに見えた。だがそれは、忙しくしている故のものだということはたやすく判った。

 忙しくしていれば、忘れられる。


「地震の被害状況をまず集約しなけりゃならんな……」


 朱明はつぶやく。そしてよ、と身体を起こし、ベッドから飛び降りると、ポケットから黒いゴムを取り出し、長い髪を一つにまとめた。

 さすがにきちんとはできない。適当にまとめただけなので、後れ毛がずいぶんと出てくる。

 その時。


 ん?


「どうしたの?」


 不思議そうな顔で芳紫は訊ねる。


「……いや……」


 そんな筈はねえな。彼は内心つぶやく。


「芳紫そっちへ行けば、煮詰まったコーヒー入れてあるか? 俺一日半何も食ってねえんで、腹減ってるんだ」


 ああ、と芳紫は軽く笑う。


「そうだね、朱明は何も食わなかったらすぐ止まっちゃうもんな。煮詰まったコーヒーならあるよ」

「ついでにサンドイッチくらいつけてくれ」



  通信機の前で、ケータリングされた山盛りのローストビーフのサンドイッチを口にしながら、ジョッキに入れた濃いコーヒーを横に、朱明は部下に指令を告げた。

 その指令の一つに、都市を逃走しようとした者、都市騒乱の容疑が掛かっている者の釈放もあった。

 一通りの指令が終わると、彼が通信機を切ったのを見計らったように、芳紫がサンドイッチを一つ手に取った。


「いただき」

「ちょっと芳ちゃん!」

「いいじゃん、それだけあるんだから」

「へいへい。そっちも忙しそうだな」

「うん、もうたーいへん。……お前が寝てるうちから、じゃんじゃん周辺市や首都から電話がかかってきちゃってさあ……」

「ま、いずれにせよ、もうじき俺達も役目も終わることだしな」

「そおそお。こんなややこしくなってしまう所は俺達みたいな単純音楽馬鹿じゃ管理できないって」


 サンドイッチを口にしながら芳紫はもこもこと喋る。


「こんなね、閉じた都市でしかできないことだったからね。所詮」

「ああ」


 その時、何かが動いた、と朱明は思った。


「どしたの?」

「いや……」


 朱明は耳を澄ます。


「……おい、何か下で鳴ってないか?」

「え?」


 芳紫も耳に手を当てて、音を拾おうとする。やがて、ああ、と彼はうなづいた。


「タイマーだ」

「タイマー?」

「藍地が雇ったあのチューナーが、チューニング済みのレプリカの再機動のタイマーを入れておくって……」


 それは初耳だった。朱明はやや苛立つ自分に気付く。


「でも何だよこの音、ちょっとうるせえぞ? 藍地はどうしたの藍地は」

「藍地は電波塔の方。首都のTVの電波がつながった云々で、呼ばれてるんだってば」

「……ったくこういう時に…… とりあえずこの音何とかならねえ?」

「音くらいだったら、機械見りゃ判るかも」


 芳紫はどーだかなあ、とつぶやきなから、執務室を出ていく。


「レプリカ達、チューニングし直したんだな」

「HALがそう言ったんだって」


 へえ、と朱明は面倒くさそうに声を立てる。


「外見も変えたのかな」

「だったら一緒に来いってば。いくら何でもお前、その位の時間はあるでしょ」


 それもそうだな、と朱明はジョッキのコーヒーを飲み干した。

 階段を1フロア分降りて、それまで自分達が居た執務室の真下へと進んで行く。

 一つの建物の横の長さ自体が長いので、端にある階段から、「工房」と藍地が呼んでいた作業室までは結構な距離がある。

 甲高い機械の信号が鳴っている。

 このフロアは「工房」のためのフロアの様なものだったから、他職員はまず立ち入らない。赤の公安にしても、それは同様である。どちらにせよ、一昨日の騒ぎのせいで、職員は出払っていた。

 鍵はかかっていなかった。二人は扉を開けて、黒いカーテンの閉まった部屋の電気をつける。

 ちょっと待って、と芳紫は工房の横の部屋に入った。


「タイマー自体はこっちだって藍地言ってた気がするけど」


 やがて信号音が止まる。


 ……あれ?


 音が止まった瞬間、朱明は耳を澄ました。

 お待たせ、と出てきた芳紫は、不思議そうな顔で朱明を見た。


「何、何か変な顔してるけど」

「……いや……」


 その感じには、彼は覚えがあった。

 芳紫は「工房」の中扉を開ける。すると、HALとよく似ているが、やや違う顔のレプリカがゆっくりと動き出していた。

 中には朱夏とよく似ているものも居た。

 さすがに同じような顔がこれだけ並んでいると不気味だな、と朱明は何となく思う。


「何でレプリカをチューニングし直したんだ?」

「ん? 壊すのも可哀想だし…… かと言ってただの俺達にこれだけのレプリカはどうこうできないでしょ」

「まあ、そうだな」

「だから、朱夏程度にチューニングし直せば、ある程度人間のように感情のあるものになるかなあ、と」

「朱夏程度に?」

「うん」


 それなら大丈夫だ、と朱明は思う。

 支配を解かれたレプリカ達は、一人一人、黙ったまま芳紫と朱明に一礼をして出ていく。

 朱明は一礼される間も、通り過ぎるその顔に、何となく複雑な気分ではあった。


「……八、九…… あれ? これで最後か?」


 ふと、出ていくレプリカを数えていた芳紫が急にすっとんきょうな声を上げた。


「何、どうしたの芳ちゃん」

「いや、藍地の話じゃ、全部で十体あるはずなんだけど」


 おかしいなあ、と芳紫はレプリカ達が立ち去った後、あちこちを見渡した。


「あ」


 半ば物置のようになっているスペースが、部屋の隅にはあった。

 あまり見苦しいものは仕切っておきたい、という藍地の性格だろうか、そこにはカーテンが吊ってあった。

 そしてカーテンの陰に、それを見つけた。


「あれ、あの男、一人忘れたな…… 全然手付けてないや」


 え、と朱明はその声に振り向く。


 直感を、研ぎ澄ませ。


 ゆっくりと朱明は、カーテンの陰で、壁に背をつけ、手足を投げだし、眠るように座るレプリカに近付いた。

 何なの、と芳紫は朱明の方を見る。だが目が真剣だった。真剣すぎて芳紫は声がかけられなくなってしまった。

 朱明はそのままかがみこむ。そしてレプリカの両肩に手をかけ、大きく揺さぶる。


「……おい、目を覚ませ」


 芳紫は驚いた。朱明がとうとう切れてしまったのではないか、と本気で思った。


「朱明!」

「居るんだろう? 戻ってきたんだろう? HAL!」


 え、と芳紫は目を凝らした。

 ゆっくりと、レプリカは目を開けた。

 それだけなら、いい。それだけなら。だが。


「……朱明?」


 大きな目が見開かれて、目の前の人物を認識する。レプリカはそう認識した。そしてそう彼を呼べるのは。


「!!!!」


 芳紫は目と口を一杯に開けた。

 うわぁぁぁぁぁぁぁ!と高い声が驚きと喜びを混ぜて飛び上がった。

 彼は一瞬硬直した。

 数秒後、いきなり走り出していた。

 音を立てて芳紫は階段を駆け昇って行った。


 知らせなくては、電波塔に。


 一段抜かしで彼は階段を駆け上がる。それすらももどかしい。一瞬転ぶ音が、下の階に響いた。


「……何で、俺、ここに居るの?」


 HALは掴まれた肩を外すことも忘れて、呆然と、目の前の男に訊ねた。


「何でって……」


 自分の方が聞きたいくらいだった。二、三度目を瞬かせると、HALはつぶやく。


「ああそうだ俺、戻ってこれたんだ…… 何言ってんの朱明、お前が連れ戻しに来たんじゃないか」

「じゃあやっぱり夢じゃなかったのか……」

「全く無茶をする奴だね」


 ぴしゃ、とHALは手を伸ばして、朱明の額を打つ。


「……痛えな…… 朱夏にまで同じクセがついてるぜお前」

「仕方ないじゃない。俺が原型なんだから……」


 減らず口は変わらない。だけどやはりまだ声には疲れが見える。そのまま彼は額に当てた手をする、と頬にまで下ろす。


「それにしても無茶したもんだ。何であんなことした訳?」

「何でって」

「戻れなかったら、どうするつもりだったんだよ?」


 ああそのことか、と朱明は当てられた手を取る。


「考えてなかった」

「それでそんなことした訳? 馬鹿じゃないの?」

「いや、絶対戻れると思っていたから」


 HALは目を一杯に広げる。


「そりゃ確かに戻れたからいいけど、あれでもし……」

「やめやめ」


 空いた方の手を朱明はひらひらとHALの目の前で振る。


「済んだことあれこれ言うのは、俺は好きじゃねえんだ」

「だけど」

「それに」


 朱明はもう片方の手も掴んだ。びく、と相手の身体の震えが一瞬朱明の手にも伝わる。


「お前はもう充分すぎるくらいの代償は置いてきただろ?」

「代償?」

「身体と」


 その、歌と。

 HALはゆっくりうなづいた。


「ああ、そうだな……」


 そして目を伏せる。


「それでも俺は、帰りたいと、思えたんだな」

「朱夏に何か言われたらしいな」

「俺は、あきらめがよすぎるって」


 全くだ、と朱明はつぶやく。


「俺は、俺自身と、お前に対して、無責任だ、と言ってたよ。それは判っていたよ。でも、やっぱり、無理だと思ってた。……お前が起こすまでは」

「俺が?」

「夢の中まであんな、ひっぱたきやがって。しかも力一杯」

「だからなあそれは」


 くすくすくす、とHALは笑う。


「起こされるのを、待ってたんだ」

「え?」

「何でもないよ」


 何だよ一体、と朱明は掴んだ両手を引っ張る。

 何でもないよ、と同じ言葉をもう一度言って、HALはするりと掴まれたところから抜けだした。


「逃げるなよ」


 くすくす、と笑いながら、HALは朱明の首に手を回した。


「逃げないよ、もう」



 窓の外で大きく急ブレーキをかける音がした。

 赤い軽自動車から勢いよく人が飛び出してくる。それを待ちかねたように早く早くと手を振り、こっちこっちと今にも走り出しそうに待っている奴もいる。

 やがて階段を勢いよく駆け上がる音が聞こえるだろう。長い廊下をひた走り、やってくるのは時間の問題だった。


 だがそれは、大した問題じゃない。

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