三女リーンエレがラドルを連れ出してからしばらく、意識を失っていたシェパドが目を覚ましていた。
「……ああ、そうか」
――オレはエルフとの決闘に敗北したんだ。
経緯はすぐに思い返せた。しかし、状況が分からない。
決闘に負けて、すなわち命を取られて二度と目覚めることはなかったはずが生きている。
不可解なのは倒された場所にそのまま放置され、周囲に誰もいないということだ。
最低限、拘束されたり見張りがついたりして然るべきだと言うのに。
――ラドルは無事か?
「痛てて……」
弟分の安否が気になり、節々の痛みに耐えて立ち上がった。
「おーい!」
とりあえず呼びかけてもみたが反応は無い。
ため息一つ、シェパドは敵陣内を当てどなく彷徨い始めた。
「此処はなんにも変わってないな……」
などと呟きながら城内を闊歩する。
子供を解き放てばたちまち迷子になる。そう断言できた。
エルフ姉妹がたった三人で管理するには持て余す広さだが、他には何者の姿も見当たらない。
最初に遭遇したのは次女シエルノー。
「いいっ!?」
シェパドは驚きに呻いた。目が合えば殺されるかもしれない相手だ。
しかし、彼女は一瞥くれると彼の存在を無視して立ち去ろうとした。
「……ん?」
怪訝に思い、シェパドはそのあとを追いかける。
「おい待て、なんで無視した?」
「うるさい。もともと構う理由がない」
次女シエルは振り返らず、立ち止まらずに直進する。
「何をしてた、どこに向かっている?」
「馴れ馴れしい奴! 押し込み強盗にそこまでしてやる義理などあるか!」
「なんでオレを生かした、ラドルはどこに行った?」
「聴けぇぇぇ!!」
――なんだコイツ、命が惜しくないのか?
ネコの周りを駆け回るネズミか、物怖じしない弱者に対してシエルは困惑した。
「先に聴いてるのはこっちだぜ、まずはそっちが答えてくれよ」
種族、立場が逆ならば、即座に実力行使がされただろう。
しかし現状の保存を重んじる性質から、エルフは本来争いを嫌う種族だ。
「元はと言えば、おまえのツレが――」
シェパドからは引き下がる気配が微塵も感じられない。シエルは観念して状況を説明してやることにした。
「ラドルの奴、いつの間にそんな魔法のアイテムを……」
魔具を持っていたことも想定外だったが、なにより気弱な弟分の意外な行動力に驚いた。
同時に、お互いの無事が確認できたことに安堵する。
「リーンの安全のため、お前たちはしばらく放置だ。
だが下手な真似をしてみろ。口を縫い合わせて脳を溶かし、光合成して生きる長寿の植物に変えてやるからな」
「うっ……!」
想像するなり血の気が引く処遇に一瞬足を止めたが、それでもシェパドは付き纏う。
「――なあ、ラドルの奴は帰してやってくれよ。オレさえ監視できてりゃ妹は安全なんだろ?」
「どこまで着いてくる気だ。もう、ワタシの部屋だぞ……!」
出て行けと突き放すシエルにシェパドが尋ねる。
「どうした、機嫌でも悪いのか?」
「――ッ、お前たちが!!
……いや、それは違うか。レインと意見が合わないからだな」
激昴しかけたが一転、シエルノーは脱力して自室のベッドに倒れ込む。
不機嫌の原因が他にあることを自覚し、それが八つ当たりでしかないことを理解していた。
シェパドは厚かましくも部屋に押し入ると、自然とその横に腰を掛けた。
「喧嘩か?」
「ワタシたちは喧嘩なんかしない。人間じゃあるまいし」
「じゃあ、なにが気に入らなかったんだよ」
「リーンの『深化』をレインに打診したが、認めてくれなかった。……ああ、人間が呼ぶところのダークエルフになる儀式のことだ」
態度とは裏腹に、シエルは懇切丁寧に解説を混じえてくれる。
「どういうことだ、ダークエルフってのはなったりならなかったりするもんなのか?」
「ワタシたちはもともと純粋なエルフだった。ワタシとレインはエルフからダークエルフへと『深化』した。リーンだけがエルフのままだ」
シェパドは分からないことがありすぎて、何から訊いたものかといった表情。
シエルノーは起き上がると、しっかりと向き合う。
「一から説明してやる必要があるな」
「そうか、ありがとう」
不満を吐露してしまいたかったのだろう。質問が自分たちのことに及ぶと、シエルはスラスラと言葉を紡ぎ始めた。
「もともと、この森には大勢のエルフが暮らしていた。そこへ貴様ら人間の軍隊が攻めてきたんだ」
人間側の視点では衝突という認識になっているが、事実は一方的な侵略だった。旧帝国の領土拡大に巻き込まれた形だ。
「――応戦か、降伏か。対するワタシたちの意見は二分した」
シェパドは交渉、和平という選択の是非をわざわざ確認したりはしなかった。
民族が違うというだけで支配下に置こうとする人間が、他種族と対等な付き合いができる訳がないからだ。
下に置いて利用するか、虐げるかに決まっている。
シエルの話は続いた。
「当時の族長の判断は無条件降伏。血を流すくらいならば森を明け渡して他へ移ることを選択した。
ほとんどのエルフは森を捨て、他所へと移住したんだ」
彼女は大勢と言ったが、エルフの集落はせいぜいが二十人程度の規模だった。
精霊の声に耳を傾ければ少数でも事足りたし、一人で千年を担える。
代替わりがないに等しいエルフ族は固定の二十人を一単位とし、自らをその手足として考えた。
家族とも仲間とも異なる、独特でいて強固な連帯で成り立っている。
「で、残ったのが応戦を主張したオベロンの支持者である三姉妹ってわけだな」
シェパドの相槌は気持ちよくシエルの話を引き出した。
「そうだ。本来の五分の一にまで減少した人手をおぎなうのに『深化』は不可欠だった」
『精霊の通り道』である樹海において、エルフは無制限に魔法を使用し、絶対的なイニシアチブを発揮できた。
その上で二百年、人間による侵略を食い止めてこれたのは『深化』の力によるところが大きい。
「なんだって、レインはリーンのダークエルフ化を認めないんだ?」
単純なパワーアップならばするに越したことはないはずだと、シェパドは疑問を唱えた。
シエルノーは答える。
「ダークエルフになれば、エルフたちの輪には戻れないからな」
『深化』とは現世と精霊界、二つの世界に同時に存在することを指す。
それによって現世の生き物である事が曖昧になり体色などが変化した。
精霊界に存在することで精霊との関わりが密になり強い強制力を得るが、『協調』を『従属』へと変えるその行為をエルフたちは激しく嫌悪した。
エルフとダークエルフは決して相容れない――。
「だが、リーンはワタシたちとずっと一緒だ。戻ることを考える必要はない」
長女メディレインは同胞たちとの繋がりを維持するため、三女リーンエレをそのままにしておくつもりらしい。
次女シエルノーはそれに納得がいっていないのだ。
それは三女の身を案じてのことでもあるし、一人だけ引き返す道を残していることへの不満もあった。
シェパドは提案する。
「よし、じゃあオレとセックスするか」
――オレと、セックス、するか?
シエルノーは言葉の意味を脳内で検索する。
「……セックス、交配のことか?」
「そうだ」
「イカれているのか?」
どうしてその結論に至ったのか、理解に苦しむ。
「一蓮托生で頑張ってきた仲間たちがみんな出て行っちまった。そんで三人しかいねぇ姉妹で考えが食い違ってる。そりゃ、寂しいだろうさ!」
「あ、ああ……」
勢いに押されてなんとなく肯定してしまう。
「寂しがってるやつはセックスで慰める。そういうことになってるんだよ、人間はな!」
「人間は、か――」
人間は知らないがエルフは違う。
生殖は子孫を残すための機能だ。寿命の短い、または生物として脆弱な種ほど重視する行為。
千年生きる生物と百年生きない生物とで同じ比重であるはずもなく、生殖への本能が極めて希薄なエルフにとって性交はほとんど無縁の行為だった。
「蝉と同じだよ、おまえたちは」
早く産まなくては間に合わなくなるから、より男女が引き合うように仕組まれている。
不死にも近しいエルフから見れば、性行為に貪欲であるということは生物としての程度が低いということでしかない。
「人間は騒がしくてたまらない。そのへんも蝉と似ているな」
「なんだとぉ!」
嘲笑に対してシェパドは反発する。
「そう見下すがよ、エルフは人間との子供を身篭るらしいじゃねぇか! これはもうほとんど同じ生き物ってことだと思うぜ!」
極めて稀少だが、エルフと人間の交配種は確かに存在する。
異種間での受精が本来皆無に等しい中で、複数件の実例がある時点で紛うことなき事実だった。
その原因のほとんどが人間による非道や蹂躙による結果であることがエルフには煩わしい。
「不愉快なやつ」
屈辱的だが事実である以上、否定はしない。
「セックスしたことあるか?」
「無い、必要が無い。一生しない者も珍しくはない」
「知りもしねえことを偉そうに決めつけんな! 本能に操られてるっていうが、だからなんだ、セックスは最高だぜ!」
「そういう話じゃない。ワタシたちは人間とは作りが違うんだ。
必要のない機能だからな、性的快楽は進化の過程で備わらなかった」
異種である人間との受精ができるくらいだ。同種ならば確実性が高く、出産は千年に一度で足りる。急いで済ます理由が無かった。
「じゃあ、試していいか」
「はっ?」
気安い調子でシェパドは求める。
「認識が改まるかもしれないからな」
「性欲がないのに?」
「まかせろ。オレは戦士としては凡庸だが、セックスに関しては絶対王者だッ!!」
ワンパンで沈めたはずの男が力強く宣言した。
「大層な口を叩くじゃないか。おまえはどうせ口だけだ、決闘とおなじような醜態を再び晒すに決まっている」
シエルは鼻で笑った。
瞬く間に寿命の尽きる。愚鈍で数を増やすことしか脳の無い、虫にも等しい愚かな存在。
その中の支配層ですらない、使い捨ての底辺層が虚勢を張るだけ痛々しい。
余裕の態度であしらおうとするシエルに対し、シェパドは煽る。
「――まさか、恐いのか?」
それは取り合うに値しない見当違いも甚だしい指摘である。しかし、的はずれであることはむしろ効果的だった。
「……ワタシが何を恐れるって?」
不都合も事実であるならば受け入れる。ただし、言われの無い中傷には断固抗議する。
シエルは間違いを許せない。
――ならば、結果をもって証明するのみだ。
「いいだろう、受けて立つ!」
「さすがは魔王の娘! 素晴らしい高潔さ! 俺は敬意を表する!」
「当たり前だ! さあ、来いッ!」
かくして、対ダークエルフの二回戦目は開始された。
内容は語るまでもない。いや、彼女の名誉の為に語られるべきではない。
結果はシェパドの圧勝だった――。
闇の三姉妹だ魔王の娘だと恐れられた次女シエルノーを、この日、人間の代表がある意味で打ち果たしたのだ。
エルフはあまりにも弱かった。
シエルはシェパドにまったく歯が立たず、ちょろちょろのちょろで、コロコロと転がされた。
終始泣き寝入りをし、一回戦目のシェパドよりも遥かに恥ずかしい醜態を晒す事になったのだった。