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第一章

第一話 新天地


『劇団いぬのさんぽ』が再起を計って数ヶ月、港町では空前の演劇ブームが起きていた。


無法状態の規制という名目から活動には多くの制限が義務付けられ、すべての権限は商人ギルドが掌握している。


敵視された『劇団いぬのさんぽ』は居場所を失い、やむなく条例の適用されないドワーフ自治国『鉄の国』へと拠点を移した。


しかし人の出入りがない亜人の国には課題が多く、身一つで出来ることといえば基礎訓練くらい。


今日も家屋と工房と坑道の乱立する断崖都市で、ギュムベルトとイーリスは肉体の鍛錬をしていた。


「あいたッ!?」


イーリスのデコピンがギュムベルトの額に炸裂した。


「初動が分かりやすい、カウンターもらうぞ。出入りを速く、攻撃は距離ではずして」


「くそっ!」


やり返そうと構えたところにガードをすり抜けた彼女の平手がパチンと少年の頬を叩く。


ギュムは果敢に攻め立てたが彼女は殴られ屋よろしくストレートを外へ流し、フックを下へはたき、アッパーをスウェイで軽やかにかわした。


「攻撃部位を注視してるとフェイントにかかる、対峙したら相手の全体を視界に収めて気配に反応するんだ」


拳や蹴り足を目で追うと視界が狭くなる、見えている攻撃で致命傷を負うことは少ないが死角からの攻撃には耐えられない。


相手の全体を見失わないことが重要だ。


べつに戦士を目指しているわけではないが物騒な世の中、剣闘士時代につちかった勝負感をたもつためイーリスはこうした鍛錬を続けていた。


頭をふってジャブをかわし、ストレートを相手に張り付いて打たせず、フックを肩で受けてかわした。


懐に潜り込むとイーリスはギュムの足をパンと払いながらトンと肩を押した。


「わわっ!?」


少年は直立を維持できずに派手に転倒した。


「よそ見したろ」


少年はしりを叩きながら立ち上がる。


「いや、足もとをなにかが通り過ぎた気がして……」


「また?」


いつの頃からか、ギュムは視界のすみに幻覚を見るようになっていた。


時に近くに、時に遠くに、野生の獣と錯覚するような黒い影が現れては音もなく消えた。


その残像はイーリスの愛狼アルフォンスを連想させたが、座長は少し離れた木陰で眠るようにくつろいでいる。


「──なにかの障害かもよ?」


「体調は万全なんスけどね」


少年はバク転をして見せることで健康をアピールした。


数ヶ月の休業期間にエネルギーを持てあましているくらいだ。


「──肉体の鍛錬よりも台本が欲しいなあ」


劇団のメンバーは作家のイーリス、制作のニィハ、演者のオーヴィルとギュムベルト、舞台監督のリーンエレ、座長であるアルフォンスの五人と一匹。


『娼館パレスセイレーネス』で公演していたときよりも規模が小さく、新しい台本が必要だ。


「カラダを動かさないとアイデアもでてこないんだよ」


人狼ノロブから受けた毒の後遺症はしばらく続き、イーリスは四肢の末端に残る痺れに苦しんだ。


ようやく抜けきったので運動にはリハビリという意味もある。


「――使ってない機能は衰える。運動能力の他にも培った勘や知識、言語だって忘れていくんだから」


数日寝込んだだけで歩き方すらぎこちなくなり、自身の弱体化に背筋が凍る思いをした。


十代のうちは成長に応じて自然と体は強くなっていく、しかし二十をすぎたら意識的に鍛錬しないと衰える一方。


体力、知識、技術も失われるが、なにより感性の消耗が著しい。


「さすがに言葉は忘れないでしょ」


若いギュムには実感がないし、同世代のイーリスに言われてもいまいち説得力がない。


「忘れるさ、どんな職人も半年サボれば腕が落ちるし戦士も戦い方を忘れる。ボクがギュムくんにダメ出しするのは自分自身への確認も兼ねてるんだ」


人に教えることで自分が思い出すという効果がある。


初歩的なことや細かい技術は繰り返し反復しないといざ本番で抜け落ちる、常に確認しなくてはならない。


「──人の顔とか名前とか、すぐ一致しなくなっちゃう」


イーリスはしみじみと言った。


親しかった人の顔や名前もいずれは忘れてしまうのだ──。


「身につけたところでいつか失われるんだって思うと、なんだか虚しくなりますね……」


身に着けた知識や技術は時間とともに失われていく、そう考えると苦労に見合わないという徒労感がつきまとう。


「逆を言えば、続ければなんでもこなれてくるってことでもあるからね」


やらないぶんは失われ、やったぶんは身につく、そういう意味では順当にできていると劇作家は語った。



「おいガキども、なにをじゃれあって遊んでやがる」


二人が手を止めたところにひときわ屈強なドワーフが割り込んできた。


『鉄の国』の国王グンガだ。


子供たちが素手でパチパチとはたき合っている姿が遊んでいるように見えたらしい。


「遊びじゃないやい、稽古だい」


「やめちまえ、攻撃の手を止める癖がつくと実戦で振り抜けなくなるぞ」


グンガ王の言うことはもっともだが、そのたび怪我をさせる訳にもいかない。


このタッチゲームは駆け引きを養う訓練だ。


強者とばかり訓練するとチャンスを生かせなくなり、弱者とばかり訓練すると窮地をしのげなくなる。


なにを取るかの判断はなかなかに難しい。


「──それより、劇場とやらを建てるぞ」


国王の宣言に二人は「おおっ!」と感激の声を揃えた。


『鉄の国』では必要な物はそれを得意とする者が用意する。


必要かを判断するのは国王のグンガで資材は持ち寄り、資金は国庫から支払われる。


「そんな大掛かりなものを作ってもらっていいのかな……」


『鉄の国』に劇場の必要性を問えば不要と言わざるを得ない。


劇団の拠点を商人ギルドの圧力の及ばない場所に移したまでは良かったが、ドワーフたちには演劇がまったく刺さらなかった。


人間の物語に興味を示すはずもなく、製造、加工に対する執着が強すぎる彼らはおとなしく座っていることができずにその場で設計図を引きだす始末。


そうでなくとも百人程度しかいないドワーフ族を相手に興行をまわすのは無理がある。


外から客を呼び込まなくてはならないが、直近の町でもここまではけっこうな距離があるため集客は絶望的だ。


劇場ができたとして、まったく無駄になってしまう未来は想像に難くない──。


採算が取れるかも分からない公演のために資材や労力を割いてもらうことにイーリスは恐縮した。


しかし、作ること自体を目的とするドワーフ族にとって成果は度外視、グンガ王はまったく気にする様子がない。


「遠慮するな、それだけのことはしてもらった!」


劇場の建築は団員の働きへの対価、主に制作担当ニィハの功績に対する報酬だ。


商人ギルド幹部サランドロ・ギュスタムの不義理に憤慨した『鉄の国』は一世紀つづいたアシュハ国との契約を打ち切り、マウ国のルブレ商会へと乗り換えた。


儲けは副産物という考え方のドワーフたちに、すべてを儲けるための手段としている商人の相手は荷が重い。


それゆえサランドロにはやりたい放題されていた。


そこで劇団の金庫番を務めるニィハがルブレ商会とのあいだに入り、一方的な搾取を免れたことで『鉄の国』はこれまでになく潤うことができた。


「──で、どんなものを作ればいい?」


建築はグンガの得意分野だ、恐れ多くも王が直々に着手してくれることになった。


「うん、ステージさえあればなんとでもなるけど……」


「けど、なんだ?」


せっかく機会を得たのだから豪華な劇場が欲しいところだが、療養期間をふくめて復帰までにずいぶんと時間が経ってしまった。


──はやくしないと皆に忘れ去られてしまうもんな。


小屋を建てるとなればかなりの時間がかかる、野外に簡易的なステージを作るだけなら即座に開始もできるが音響が弱く天候に左右もされる。


「たとえば、あの横穴を利用するとかは?」


イーリスは岸壁にある無数の坑道の一つを指し、すでにある洞窟を活用できないかと提案した。


「──あの奥行きを利用して場面転換のスムーズな舞台にできたらいいな」


書き割りや紗幕で層をつくりその入れ替えで背景を演出できるような構造にして、あとは客席を並べたらすぐにでも始められるといった構想だ。


最低限の工数で済みそうな提案にグンガ王は眉間のシワを深めた。


「てめえッ、コラッ!!」


「ひゃあっ!?」


筋肉ダルマが獅子のごとく吠えたのでイーリスは驚いて硬直した。


「遠慮かなんか知らねえが、それじゃあワの出る幕がねえだろ! やってみなくちゃ分からねえような無理難題を提案しろ!」


簡略化ばかりのアイデアはドワーフの創作意欲をそそらない、せっかく作るなら採算度外視、既存の枠にとらわれない作品に仕上げたい。


「いやでも、あんまり時間かけていられないっていうか……」


「馬鹿野郎、爆速でやってやるってんだ!」


挑戦がない作業をさせられるのは苦痛だとばかりにグンガは怒鳴った。



同刻──。


岸壁の上では劇団員オーヴィルとドワーフたちが安全確認の巡回をしていた。


劇団の腕力担当は物資の調達や警備などのわかりやすい肉体労働で『鉄の国』に貢献している。


「それにしても平和な国だな……」


人間の集落ならば喧嘩だ強盗だと騒動にいとまがないところだが、ここに来て今日までたいした問題は起きていない。


『鉄の国』には顔見知りしかいないことから警戒が必要なのは外からの驚異に対してのみ、それにしても屈強なドワーフたちをおびやかす存在などそうはいない。


ほとんど散歩をしているだけの任務中、異変が察知されたのは珍しいことだった。


『オーヴィル──』


エルフ姉さんことリーンエレのささやきが風に運ばれてゴリラの耳に届いた。


「どうした?」


『東からなにか来る』


「なんだって……!」


神経を研ぎ澄ませたところでオーヴィルには察知できない。


エルフである彼女は精霊を通じて視界に入っていないものを見て、届かない音を拾うことができた。


『おそらく、逃亡者と数名の襲撃者』


「そいつは大変だ!」


山賊に襲われる旅人か、追い詰められる違反者か、正体を確かめるためオーヴィルとドワーフたちはリーンの案内に従って移動を開始した。


距離を詰める形になっていた双方はすぐに接触する──。



「誰かッ、誰か助けてくださいっ!!」


先頭は逃げ惑う男、全身に傷を負っている彼に二つの影がまとわりついている。


追われている人物には見覚えがある、しかしオーヴィルの目を引いたのは追跡者の異様だ。


「なんだ、あの化け物は!」


それは人間ではなかった、まるで泥を固めてつくったような人型が人間離れした動作で男の命を狙っている。


逃亡者が常人だったならば、たちどころに命を奪われていたにちがいない。


ドワーフたちは躊躇せず泥人形に駆け寄ると斧を振り下ろす。


「おいさあ!」「どりゃさああ!」


命中した部位からは見た目にそぐわない硬い音が響いた。


しかしドワーフの怪力は硬度をものともせず胴を振りぬくようにして粉砕、怪物は木片のように弾け散った。


「すまん、一匹逃がした!」


残りの一体はするりと斧の攻撃をかいくぐると標的に向かって直進を続ける。


「任せろ!」


逃亡者とすれ違いざま、背中の大剣を抜き放ったオーヴィルが泥人形を大上段から絶妙のタイミングで一刀両断、そして逃亡者に向かって叫ぶ。


「――おい気をつけろ!!」


呼びかけたが手遅れ、死に物狂いで疾走していた男は勢いあまって崖から飛び出し空中にその身を投げていた――。



崖下ではイーリスが愛狼を抱きすくめて撫でつけている。


「かわいいねぇ、かわいいねぇ!」


果敢にしがみついてくる主人を銀狼アルフォンスは心底迷惑そうに振りほどこうとしていた。


危険を察知したギュムが忠告する。


「そろそろ放さないと頭部をかみ砕かれますよ?」


アルフォンスは非常に賢いオオカミで皆と良好な関係を築いているが、主人であるイーリスにだけはなぜだか一向になつく気配がない。


ガッ、ゴッ、バキッ──。


宙に舞った逃亡者は岩壁、そして家屋の屋根などにバウンドしながら落下していた。


ギュムたちが気づいたのはそれが眼前の地面にたたきつけられると同時だ。


グシャアッ──。


激しい衝突音、飛び散る血液。


「なになになになになにっ?!」「えっ、あっ、えっ、あっ、ええっ?!」


ドワーフ設計の安全性にすぐれた岩壁都市で、頭上から人が降ってくるとは思わない。


ギュムとイーリスはパニックになって叫んだ。


この高さから落ちたのなら原型も残らずに即死で確定だ、しかし落下してきた男はまだ息をしている。


超人的に頑丈なその男はギュムたちの見知った人物──。


ギュムの顔に嫌悪の色が滲む。


「……あれ、こいつ」


空中でその身を変化させ毛皮をまとった逃亡者は、商人ギルド幹部サランドロの右腕を務めていた男、獣人ノロブだった。


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