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第7話

 日本庭園に鹿威しの竹の音が響く。



「初めまして、竹村真昼です。」

「初めまして、田村 龍彦たむらたつひこです。」




 真昼さんは22歳で叔父の紹介で見合いをし、一年後に結婚した。相手の名前は田村龍彦、31歳で自営業の後継ぎだと竹村警部補から聞いた。


ーーーー真昼さんが結婚して三年


 竹村警部補は定年退職を二年後に控え、警部への昇進が近いのではないかとささやかれていた。私はキャリアの道を順調に進み、警部から警視へと一階級上がる事が決まった。竹村警部補とのコンビネーションも七年が経過し「竹村さん」「久我」と呼び合う間柄となっていた。


「真昼はまぁ、うまくやっとるみたいだ」

「はぁ、そうですか」


 時折出る真昼さんの話題は軽く受け流し、上役から来る見合い話は断り、女性とは浅く付き合った。


(もうどうでも良い)


 そんな私の気配を察してか、どの女性との交際も長続きはしなかった。それ程までに真昼さんの存在は大きかった。


(いや、これも思い込みだ)


 実際私は真昼さんと付き合った事などなく全て記憶の中で美化されているとそう自分に言い聞かせた。


(ーーーもう一度、会いたい)


 然し乍ら真昼さんへの想いは募るばかりだった。





 二年後、私は警視正として勤務し竹村さんは警部へと昇進した。コンビネーションを組み八年目に入る初夏、茹だるような暑さの中で私たちは不審死が疑われる交通事故の現場検証に立ち会っていた。


(出会って八年か)


 職員食堂で竹村さんが私のワイシャツにカツカレーの米粒を飛ばしてから八年、あっという間だった。


(ふぅ、暑いな)


 日陰のコンクリートに腰掛けて足元を見ると黒い蟻が白い物を口顎に咥え規律を乱す事なく巣へと運んでいた。それはまるで警察官として働く自分の姿を見下ろしているようで複雑な面持ちになった。


(黒いものを白と言う、私は組織の中では蟻以下の存在だ)


 突然、額に飛び上がるような冷たさ。目の前には暑さで汗をかいた缶コーヒーがぶら下げられていた。


「ほれ、飲め、俺は甘いのは苦手だが、疲れには糖分が効くぞ」

「あ、ありがとうございます」


 隣に腰掛けたのは竹村さんだった。「あと半年で定年退職だ」と張り切っているが持病の腰痛が堪えるらしい。竹村さんは首に巻いたタオルで額の汗を拭いながら私に向き直った。


「おまえ、また上役にとかなんとか噛み付いたのか?」

「はい」

「不器用な奴だな」

「はい」


 無花果いちじくの葉が揺れ、頬に風を感じた。


「そんなもんはな、灰色で良いんだ」

「灰色」

「黒なら灰色、白なら灰色、自分の直感で動け」

「はぁ」

「上への報告なんざ後で良いじゃねぇか」

「それでは始末書」

「始末書の紙は事務所にたんまりあるぞ」


 周囲の警察官に気を遣い、それでいて周囲に惑わされず自分の意志を貫き通す竹村さんらしい発言だった。


「なぁ久我、迷った時は動け」

「はい」

「俺がおまえを守る」

「ありがとうございます」


 寺町交差点の左車線で青いツナギ、青い帽子を着た鑑識官が道路にへばり付きピンセットでガラスの破片や車の塗装片を収集している。


「あ」


 鑑識を避けるように2台の交通機動隊のバイクが低速で通過、竹村さんに敬礼をしてその脇を通り過ぎた。


「俺は、白バイ野郎も交通課も気に入らねぇ」

「なぜですか?」

「人の尻を追いかけ回して取り締まり」

「まぁ、それが彼らの務めですから」


「ちっ、点数稼ぎのハイエナみたいなもんだ」

「ハイエナ、ですか」

「沙代子はあいつらに殺されたようなもんだ」

「どういう意味でしょうか」


 その時竹村さんは重い口を開いた。沙代子とは竹村さんの奥さまで真昼さんが高校に進学してすぐに交通事故に遭ったと言う。


「まだ42歳だぞ、これからって時だ」

「そうでしたか」

「シルバーウィークの交通取り締まり期間で奴らも躍起になってたんだろうよ」


 高速機動隊のバイクが交通違反車両を追尾した。


「赤信号を無視した車に自転車ごと吹っ飛ばされた」

「そうでしたか」

「即死だった」


 少し目線を落とした竹村さんはコーヒー缶を逆さまにしてピッピと最後の一滴まで払い落とした。


「よっ!」


 自動販売機の隣のゴミ箱目掛けて放り投げた。

ガコンガン

 見事な一発芸、心の中で拍手、私は自動販売機まで歩いて行きゴミ箱にカフェラテの空き缶を捨てた。


(迷ったら動け、か)


 この頃から竹村さんは真昼さんの結婚生活が「上手くいっていないんだ」と愚痴をこぼし始めるようになった。

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