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第四章

第18話

 すっかり葉の枯れ落ちた街路樹にはクリスマスを彩る青白い電飾が輝き、レンガの路上には木枯らしが吹いていた。その寒さの中にあっても繁華街にたむろする学生たちは詰め襟にマフラーを巻いてハンバーガーに噛り付いている。


「さっびぃのに、よくもまぁ、なに喋ってんだか」

「あの年頃はそれが楽しいんですよ」

「おまえも楽しんだのか」

「いえ、私は真っ直ぐ自宅に帰っていました」

「クソ面白くなさそうな青春だな」


 警邏中の私と竹村さんは歩道に目を配りながら左斜線をゆっくりと走行していた。


「久我」

「はい」

「おまえたち、あれくらいはしてんのか?」

「はい?」


 赤信号の交差点では少し高校生が手を繋ぎ、終いには抱きしめ合い深い口付けを交わし始めた。


「ありゃ、不純異性交友だな」

「あっ!駄目です!」


 竹村さんが捜査車両のマイクを持ち上げ、私がその手を止める、この繰り返しだ。渋々とマイクを定位置に戻した竹村さんは唇を尖らせた。


「こう、むちゅーーーーっとかしてんのか」

「竹村さん、これ、録音、録画されていますよ」

「良いじゃないか、俺は早いとこ孫の顔が見たい」

「まっ、孫!」

「アヒルの日は言ってくれ、カラオケにでも行く」

「あっ、アヒル!」

「動揺しすぎだろう、36歳で童貞でもあるまいし」

(ーーーーーちっ、覚えていたのか)


 私が顔を赤らめていると警察無線が入った。





<各局、住宅に侵入を試みる事案入電中>


 確認すると私たちが現場により近かった。


102いちまるに移動局、対応します>

<102了解>


「おい、久我、これうちじゃねぇか」

「まさか、こんな時に冗談はやめて下さい」


 よくよく確認すると住所は我が家、まさかと思ったのだろう竹村さんが私用携帯電話を取り出していた。


「おい、久我」


 真昼さんからのLINEメッセージや着信が何件もあった。


ルルルルル

ルルルルル


ルルルルル

ルルルルル


 発信音四回で真昼さんが出た。涙声で興奮している。竹村さんがスピーカーをONにした。


「お父さん、誰かが家に入ろうとしているの!どうしたらいい!?」

「おまえ、今、どこにいるんだ」

「二階、お父さんの部屋にいる」


 布団の中に隠れているのだろう、声がくぐもっている。


「男か、女か」

「分かんない、玄関のドアをガチャガチャしたり、窓を開けようとしてた」


 確かに、階下から扉を叩く音が聞こえる。


「それほど遠くないですね」

「交番の応援も要請しよう」

「はい」


 竹村さんは無線機を握り、今一度通信司令本部に対応する旨を伝えた。サイドウィンドウを開け、慣れた手付きで赤色灯を取り出してルーフに取り付けた。頭上でサイレンが響き渡る。


「我が家に向かって回すたぁなぁ」

「田村さん、何のんびりした事言ってるんですか!」

「大丈夫だ、交番の巡査も向かっとる」

「大丈夫じゃなかったら!」

「前みろ、前!」


 竹村さんの慌て具合から察するに、ハンドルを握る私の顔はさぞ焦っていたに違いなかった。


「久我、到着する前に事故ったら意味ないぞ!」

「はい!」

「ちゃんと前を見ろ!」

「見てます!」

「おまえの細い目だとよく分からんな!」

「はい!」


 時刻は20:00を過ぎ郊外の大通りの交通量は少なかった。ところが片側二車線、突然前を走っていたタクシーがコンビニエンスストアに入店しようとウィンカーを右に出した。


「うおっ!ミラー見てんのか!」

「はい!見てます!」


 「見ています」と言いつつサイドミラーを見落としていた。危うく接触事故を起こすところだったがこれは言わなかった。そして赤信号の交差点でUターン、振り幅が大きく遠心力に負けた竹村さんの頬がサイドウィンドに張り付いた。


「こ、こら!スピード落とせ!転がるかと思ったじゃねぇか!」

「すみません!」


 ウインカーを左に出し細い住宅街の道を進んだ。沈丁花の垣根の向こう側、一足先に駆け付けた交番のミニパトカーの赤色灯が周囲の住宅の壁を照らしていた。


 竹村さんはサイドウィンドを開けると赤色灯を片付けた。捜査車両のブレーキを踏む瞬間、脚が震えていた事に気が付いた。脇には汗が滲み、動悸がした。


「ありゃぁ」

「どうされましたか」

「おい」


 巡査が職務質問している不審人物は背が高く、赤色灯にメガネのレンズが反射していた。


「田村龍彦だ」

「ーーーえっ」


 白いヘッドライトに浮かび上がったのは端正な横顔、真昼の離婚した夫、田村龍彦で間違いはなかった。


「龍彦くん、こりゃあ」

「お義父さん!」

「ーーーーー!」


 突然の予期せぬ来訪者に私と竹村さんは呆然とした。


 竹村さんは交番の巡査に挨拶をした。


「よ、ご苦労さん、助かった」

「お疲れさまです」

「ご苦労さん」


 竹村さんは事案解決の旨を通信司令本部に入れた。閑静な住宅街はパトカーの慌ただしいサイレンと赤色灯に騒然となった。


「龍彦くん、まぁ、中に入れ」

「はい」


 玄関先で目にした田村龍彦の出立ちは前にも増してだらしがなく醜かった。竹村家の周囲を彷徨うろつき沈丁花の垣根を掻き分けたのだろう、指先には切り傷、モスグリーンのコートには葉や枝が付いていた。


(酒臭い)


 吐き出す息からは多量のアルコール臭がした。


「龍彦くん、今更なんでまたうちに来たんだ」

「・・・・・・・・」


 リビングのカーペットの上で正座した田村龍彦は黙り込んだ。


「おい、久我、見て来い」

「はい」


 竹村さんは二階の様子を見て来るようにと指を差した。田村龍彦の視線が動いた様な気がした。階段を登ると襖は閉められ中から物音一つしなかった。


「真昼さん、久我です」

「久我さん」

「もう大丈夫です。竹村さんもいらしています」

「お父さん」

「はい、開けても宜しいでしょうか」


 襖を開けると掛け布団の中から真昼さんが這い出し私に飛びついて来た。あまりの勢いに後に倒れそうになり慌てて手を突いた。


「怖かった、怖かった」

「もう大丈夫ですよ」


 髪の毛を撫でていると真昼さんが私を見上げた。


「久我さん、捕まったの?」

「ーーーーえ」

「犯人、捕まったの?」


 その不審人物が田村龍彦である事を真昼さんは知らない。


「あの、それが」

「どうしたの」


 階下から竹村さんの慌てふためく声が聞こえた。


「おい!それを離せ!離すんだ!」


 その緊迫した声色に、私は真昼さんから身を離した。階下の気配は尋常ではなかった。田村龍彦がなにかを起こしたに違いなかった。


「真昼さん、ここから動かないで下さい」

「どういう事?」

「訳はまた後でお話しします、ここにいて下さい」


 やや急な階段を駆け降りるとそこには信じられない光景があった。


「た、竹村さん」

「お、おう」


 目がすわった状態の田村龍彦は右手に刃渡り18cm程の三徳包丁を握っていた。竹村家の物ではない。床には黒い紙箱が落ちていた。


「コートの中から出しやがった」

「田村さん、それはこちらに渡して下さい」

「ーーーーーーーーんだ」

「龍彦くん、な、それを離しなさい」

「ーーーーーーーーんだ」


 足元はよろめき上単身が落ち着かなく揺れていた。


「ーーーーーーーーんだ」


 アルコール臭の中、何やら口走っているが聞き取れなかった。


(銃刀法違反、なんて事だ)


 確かに真昼さんの別れた相手だ。男女の別れ話に付きまとい行為や傷害事件は往々にしてある。然し乍ら、離婚に至った原因は田村龍彦本人の不倫行為に拠るものだった。


(・・・どうしたら)


 その男がこのような行動に出るとは想像すらしなかった。


(なんて事だ)


 これは現場に駆けつけ龍彦の姿を確認した時点で署に連行すべき事案だった。


(油断していた)


 自身の甘さを悔いたがもう遅かった。


「田村さん、今ならまだ間に合います、包丁を床に下ろして下さい」

「ーーーーーーーーんだ」

「龍彦くん、それを離すんだ」

「田村さん」

「ーーーーーーーーんだ」


 そしてもう一つ悔いた事がある。


「たっちゃん!?」


 真昼さんに不審者が田村龍彦である事、決して絶対に階下に降りて来ないように念を押しておくべきだった。


「ーーーーーーーーんだ」


 田村龍彦の視線が階段の手すりに掴まった真昼さんに注がれた。


「たっちゃん、それ、なにしてるの」

「ーーーーーーーーーーーーんだ」


 竹村さんの足先がジリジリと田村龍彦の背後へと動く。私に目配せをし、少し左にずれろと指示した。


(どういう事だ)


 私が左に移動すれば田村龍彦から真昼さんまで一直線だ。


(まさか、真昼さんをおとりにするのか?)


 真昼さんは、畳み掛けるように言葉を発した。


「たっちゃん、それはなに」

「ーーーーーーーーーーーーんだ」

「なにしに来たの」

「ーーーーーーーーれたくないんだ」

「なに」

「ーーーーーかれた、たくないんだ」

「なに」

「真昼と別れたくないんだ」


 田村龍彦の目は虚ではあるが先程よりも視点が定まっていた。


(ーーー復縁を迫りに、来た?)


 竹村さんの足はジリジリと近付き、その目は私と田村龍彦を交互に見た。


「真昼と別れたくないんだ」

「なに言ってるの!たっちゃんには凪橙子が居るじゃない!」

「いないんだよぉ」

「は?」

「橙子先生が居ないんだよぉ」


 握られた包丁はカタカタと震え姿勢がやや前屈みになった。


「ーーーー消えたんだよぉ」


 うわ言を要約すると、田村龍彦と真昼さんの離婚が成立し、後悔に苛まれた凪橙子は借家を引き払い実家の岡山県に戻ってしまった。


「もう、誰も居ないんだよぉ」

「わ、私は凪さんの代わりじゃない!」

「真昼ぅぅ」


 竹村さんはその背中の真後ろに移動していた。声を出さずに口を動かす。


(お、う、い、ほうち、包丁か)


 喉仏が上下した。


「真昼、俺と死んでくれ!」


 田村龍彦が三徳包丁を握り直し、真昼さんに向かって足を踏み出した。その瞬間、竹村さんが羽交締はがいじめして私が手に握っていた包丁を叩き落とした。


「久我!」

「はい!」


 真昼さんの目の前で、田村龍彦は手錠を掛けられた。


「21:06、田村龍彦、銃刀法違反で逮捕する」


「真昼!真昼!おまえしかいないんだ!」

「静かにしろ!」

「俺と死んでくれーーー!」

「静かにしろ!」


 その間も田村龍彦は両脚をばたつかせながら真昼さんの名前を呼び続けた。真昼さんの顔は真っ青で、階段に座り込んでいた。






「じゃあ、戸締りしっかりな」

「うん」

「あぁ、交番の奴らが来るかもしんねぇ」

「分かった」

「多分遅くなります」

「うん、気を付けてね」


 手錠を掛けられた田村龍彦は金沢中警察署へ連行する事となった。所持品を確認し異常なしと認められ、竹村さんと捜査車両の後部座席に乗り込んだ時には暴れる事なく項垂うなだれていた。


「では、出します」

「おう、さっさと行ってくれや」

(哀れなものだな)


 私はルームミラーに映る田村龍彦に大きなため息を吐いた。

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