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第17話

で、どうだった、の次は温泉旅行だった。


「おう、久我、留守番頼むぞ」


 今夜、竹村さんは警察学校以来付き合いのある面々と一泊温泉旅行に出掛けるという。


(まさか、これも竹村さんが罠ではないだろうか)


 真昼さんの再婚禁止期間もやがて明ける。

 警邏中、竹村さんは散歩を楽しむ保育園児の列を眺めては「親父ってのは良いもんだ」を連発する。

 真昼さんは真昼さんで最近私との距離が近く、肌と肌の触れ合いを強く求めている。


(この前など手を握ろうとしたーー!)


 女性に免疫がない訳ではない、年相応の経験はある。然し乍ら、恋焦がれた憧れの相手真昼さんとなると話は別だ。手を握った事すらない。


(あぁ、離婚問題の時のぎゅーーーっはノーカウントだな)


 あれは致し方なかった。愛情というよりは憐れみに近かった。


「・・・・おや?」


 日報をまとめデスクに戻ると見覚えのある物体が並んでいた。しかも特大、大、中、小のアヒルの四個セット。


「これは」 


 犯人の目星は付いている、実行犯は竹村さんだ。今夜、竹村家には私と真昼さんが二人きり。になるだろうとデスクの上に置いたに違いなかった。 


「ーーーーーあ、アヒル」


 竹村さんの中では、私が真昼さんと一緒に風呂に入る=性行為=アヒルの日という方程式が出来上がっている。一日も早く孫の顔が見たいと既成事実に躍起になっているのだ。


大方、


特大=竹村さん

大=私

中=真昼さん

小=竹村さんの孫


と言った感じだろう。


「あれ、警視正、可愛いですね!」

「え、いえこれは」


 女性警察官が目ざとく見つけて手に取るとアヒルは「きゅぅ」と鳴いた。


「彼女さんへのお土産ですか」

「まぁ、そんなところです」

(ーーーーー竹村さん!)


 ほくそ笑む顔が脳裏に浮かんでは消えた。


「ご苦労さま、お先に」

「はい!お疲れさまでした!」


 デスクに片付けて施錠、私は濃灰のコートを羽織った。


「ただいま帰りました」


 そして小雪降る中帰宅すると玄関マットの上には黄色いアヒルが並んでいた。


「あ、アヒル」


 似たもの親子とはこの事だ。


「お帰りなさい、寒かったね!」

「はい」

「今夜はお鍋だよ!」


 土鍋の中では精力が付きそうなニラや牡蠣がグツグツと煮えていた。鍋は雑炊にして頂いた。


「ふぅーーーー、もうお腹いっぱいです」


 私が座敷に敷いた布団の上で大の字になっていると鍋を洗い終えた真昼さんがその隣に正座した。


「ど、どうしましたか」


 私も慌てて正座をし、やや俯き加減な顔を覗き込むと真昼さんは真剣な面持ちをしていた。


「きゅぅ」


 なにかと耳を澄ますとそれは例のアヒルの声だった。


「ど、どうしたんですか」

「久我さん」

「はい」

「私って、やっぱり魅力ないのかな」

「え」


 そうだった。

真昼さんは前夫に五年間不倫をされた挙句離婚に至ったのだが、その間の夫婦生活は決して愛のあるものではなかったと竹村さんから聞いていた。


(・・・・それで触れ合いを求めていたのか)


 私は竹村さんや真昼さんの深い思いに気が付かなかった。


「きゅぅ」


 私は自身の浅はかさを悔やんだ。


「いえ、そんな訳ではありません、十分魅力的です」

「じゃあなんで久我さんはキスしてくれないの」

「それは」

「いつも私からじゃない」


「なんで手を繋ごうとしてくれないの」

「それは」

「久我さん、本当に私の事が好きなの」

「好きです」


「どうして手を繋いでくれないの」

「上手く言えませんが、大切にしたかったからです」

「そんな事より抱きしめて欲しかったのに」

「すみません」


「謝らないでよ!」


 憤慨した真昼さんは布団から立ち上がると自室に篭ってしまった。途方に暮れた私は扉の前で二往復、三往復したがなんと言葉を掛けて良いのか答えが見つからなかった。


コンコンコン


 ノックをしてみたが返事はなかった。すっかりへそを曲げたに違いなかった。この部屋に鍵はない、このまま中に入ろうと思えば入れるのだがそれでは意味がないような気がした。私は扉に寄り掛かり真昼さんの動向をみる事にした。事件の張り込みに近かった。

 真昼さんの気配が伝わって来た。真昼さんは私に気が付いているだろうか、静かな時間が流れた。


(・・・・・尻が冷たい)


 流石にパジャマ一枚では寒かった。冷気がフローリングを伝い身体全体を冷たくした。肩が震え始めた頃、ようやくその扉が開いて私はマット運動をするように背後へと転がった。


「なにしてるの」

「真昼さんが出てくるのを待っていました」


 逆光の中、真昼さんが私を見下ろして力無く微笑んでいた。私もつられて口元を緩めた。


「私、立て籠りの犯人みたいね」

「待つ事には慣れていますから」


 手が差し伸べられ起き上がると真昼さんが私に抱き付いて来た。心臓が跳ね上がったが冷静を装った。


「確保」

「捕まりましたね」

「このままベッドに連行しても良い?」


 私は大きくため息を吐いた。


「お手上げです」

「良いの」

「勿論です」


 私は真昼さんの口を塞ぐと舌を差し込んだ。一瞬戸惑った様子の真昼さんの舌先が絡まり付き快感が後頭部にジワリと広がった。お互いのパジャマのボタンを外しながらベッドへと倒れ込む。マットレスがぎしっと軋んだ。



「きゅう」



 気が付くと私の目の前にはアヒルがいた。その奥には真昼さんの満足げな笑顔、私は急に照れ臭くなった。


「久我さん、お父さんになって」

「それはプロポーズですか」

「そうなるの?」


 私はパジャマを羽織ると真昼さんのパジャマのボタンを留め髪の毛を整えた。「ちょっと待っていて下さい」座敷から戻った私の手には臙脂色の小箱があった。


「手を広げて下さい」

「な、なに」


 左手薬指の指輪は少し大きかった。


「愛しています、結婚して下さい」

「ーーーーー!」

「愛しています」


 その後、真昼さんは「ぐ、ぐがざんありがどぅ」を連呼して子どもみたいに泣きじゃくり、翌朝その目はパンパンに腫れていた。


「あ、ありがどう」

「鼻水、出てますよ」

「ゔん」


 私はといえば久方ぶりの性行為に腰が痛み、廊下では手摺りに掴まって歩いた。


「警視正、腰、どうされたんですか」

「筋肉痛みたいなんだ」

「湿布、要りますか」

「ありがとう」


 すると、温泉まんじゅうを口に頬張った竹村さんがいつの間にか私の横に立っていた。「きゅぅ」手には黄色いアヒルを持っていた。


 12月21日が私と真昼さんのアヒル記念日だ。


「久我、おまえアヒル使ったな」


グホッ


 書類に承認印を捺していると竹村さんが黄色いアヒルを「きゅう」「きゅう」と鳴らしながらデスクの前に座った。その重みでパイプ椅子が音を立てた。


「さっさと真昼にプロポーズしろや」

「は、はぁ」


 竹村さんは机の上の鉛筆を握るといきなり捜査資料の表紙に相合傘を書き、右側に真昼、左側に隼人、ハート模様を撒き散らした。


「ちょ、竹村さん、それ捜査資料です!」

「捜査と結婚とどっちが大事ダァ」

「それは」

「どっちもだよ!馬鹿かおまえ」


 ぐるぐるとハートを飛ばす竹村さんに、


「プロポーズはしました」

「したのか!?」


 竹村さんがパイプ椅子から勢いよく立ち上がりガシャンと倒れた。一瞬周囲は静かになったが何事も無かったように捜査資料をクリップで留め始めた。


「竹村さん。大声を出すのはやめて下さい」

「指輪もやったのか」

「はい」


「ふーーーーん」

「なんですか」

「ふーーーーん」

「なんですか」


「宝石屋の姉ちゃん、ガサ入れに来たと思っただろうな」

「思いません!」


「ふーーーーん」

「なんですか」


 黄色いアヒルを「きゅう」「きゅう」と鳴らしながら竹村さんはほくそ笑んだ。


「久我」

「はい」

「今度からと呼べ」

「は、はい?」

「お義父さまでも良いぞ」


 そして竹村さんは黄色いアヒルを「きゅう」「きゅう」と鳴らしながら自分のデスクに戻って行った。


(ああ、面倒くさい)


 私は捜査資料の相合傘を消しゴムで消した。

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