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第74話 山本渚

「──つまり、山本渚ってのは、別の名前ってことか?」


「別の名前っていうか本名が山本渚だったんだよ。私と同じ一期生として、まだ創設されたばかりのアイドル科に入学した元浦高の『穂坂渚』。すずちゃんとどんな繋がりがあるのかまではわからないけど、同じ浦高だからお互い知り合っていてもおかしくはない」


 電話口から「うーん」と有門のうねるような声が聞こえる。後ろに微かに聞こえる音楽はおそらく今、流行りのピアノポップバンドだ。どこかのお店にでもいるのだろうか。


「でもどうしてすぐにわかんなかったんだよ。『山本渚って誰よ!』とかって叫んでたじゃねえか」


「仕方ないじゃない。渚は入学してすぐに辞めてしまったんだから、それこそきっと『アイドルとして』に押し潰されて」


「? なんだそれ?」


「ああ──いえ、こっちの話」


 ついつい頭の中に目下の懸念事項が浮かんでしまう。今は彼女が誰なのかに集中しなくてはいけないのに、心が漏れ出てしまうみたいに美歌の顔ばかりが頭をもたげる。


「それで、山本……じゃない穂坂渚は、そのあとどうしてるんだ?」


「それがわからないのよ」


 単純な疑問符が返ってきた。瑠那は当然の反応ね、と透明なガラステーブルを眺めた。ノンカフェインのコーヒーが穏やかに湯気を立てている。


「彼女は浦高を退学したの。同時に当時のメンバーの誰からも連絡を断ってしまった。消息不明。突然すぎて私も含めてみんな驚いてたけど、浦高を立ち上げた直後で慌ただしかったこともあって誰も連絡を取ることができなかった」


「おいおい、マジか……いや、でも、逆にほとんどわからないんだったら、山本渚がお前の言う穂坂渚と同一人物とは言い切れないんじゃないか? 完全に別人でオレらには何も関係がない人物かもしれないだろ?」


「ねぇ、有門」


 ミルクを入れると、マドラーでゆっくりと渦をかくようにコーヒーを混ぜる。白と黒とが混ざり合い、ちょうどお互いの中間地点で茶色に同一化した。


「私は美歌ちゃんと出会った。そして美歌ちゃんは車田直人とすずちゃんに出会い、今度はすずちゃんが山本渚に出会った。いくらなんでもさ、できすぎているとは思わない? ドラマみたいに誇張過ぎる運命の出会いを演出しているみたいな」


「……偶然だろ? オレは美歌もお前も知らなかったし、他にもあのダンジョンには大勢のプレイヤーがいるが、現実世界では関わりのないやつらばかりだ。確かに、ダンジョンで出会ってトップアイドルのお前とこうやって普通に電話してるのは不思議な気分だけど、それこそいくつもある糸がたまたまもつれただけじゃねえのか?」


 有門の言うことももっともだった。ダンジョンのプレイヤーの数は把握できないくらい多い。たまたま偶然に、ダンジョンに呼ばれたプレイヤーの中に知り合った人がいた、と考えた方が現実的ではあるかもしれない。


「だけど、あの頼りないスラッグが言ってたじゃない。『選ばれし者のみが入ることが許された』って。それに、彼らは私たちを呼ぶときにプレイヤーとも呼ぶけど、ギフテッドって呼ぶときもある。あんた、ギフテッドの意味ってなんだかわかる?」


「ああ、そう言えば。でも、考えたこともないな」


「『生まれつき高い才能を持つ者』のことをギフテッドっていうのよ。でも、この才能って何なのか、プレイヤーみんながギフテッドだと呼ばれているのなら、あのダンジョンに入ることのできる能力を持つ者のことをギフテッドって呼んでいるんじゃないかって」


 スマホを通して息が吐き出される音が聞こえた。なんだか少しいら立っているような雰囲気が電話越しでも伝わってくる。


「……有門?」


「ああ、悪いな。それで、その能力がある者として、偶然じゃなくて必然に小生意気なすずと山本渚が集められたっていうのか? いくらなんでも──」


「そうね、確かに何の根拠もない。実生活と能力の関係もわからないし、全く関係ないかもしれない。だけど、これは……いえ、まあ、とにかくすずちゃんからはまだ連絡が返ってこないから、今、動いてもあまり意味がないかも」


「そうだな。返信がないんじゃ待つしかないだろ。次のダンジョンではどうしたって話は聞かなきゃならないだろうし、まあ、オレはとにかくあの糸のやり方には腹が立ってんだ。勝手に戦いに干渉してきやがって」


 「そうね」と苦笑を浮かべると、瑠那は通話を切った。スマホをテーブルの上に置いてコーヒーカップを口にする。


「今は待つしかない、か……」


 独特の苦味がしばらく舌の上から消えなかった。

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