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第7章 音を合わせて

第75話 半々ずつの気持ち

 開いた視界にレッドカーペットが映り、美歌の気持ちを重くさせる。今日のこの日を望んでいた自分と望んでいない自分がちょうど半々ずついて、なかなか顔を上げることができなかった。


 前回の冒険。消えてしまう直前に彼がしたことが、その意図に自分がまるで気づかなかったことが重石のように背中にのし掛かる。


 その半面、連絡の途絶えたすずから事情を聞けると思うと気持ちがはやる。この日のために、自分の音と向き合ってきたんだ。


 コツコツと革靴の音が近づいてきた。おそるおそる視線を上げると、ネイビーのシャツに薄手の黒いジャケットを羽織り、春の装いに身を包んだ車田直人の姿が現れる。


 ぎこつない微笑みを繕う直人に、「待って」と告げると途端に彼の足音がピタリと止んだ。


「どうして、あんなことをしたの?」


 いつになく両の目には力が込められていた。いつもは小動物のような大きな瞳が瞬きせずにじっと直人の切れ長の眸を見上げる。直人は何も言えないままに、目を逸らした。


「私は、怒ってるんです。どうして、あなたの命を犠牲にして私を生かしたんですか? どうして、作戦を教えてくれなかったんですか?」


「……あのときは、ああするしかなかった。負けないためには、お前を生かすしか」


「だからって犠牲になったんですか? 何で相談もなく! 私は信頼されてないの?」


 口調が荒くなる。自分でも理由がわからないほど、黒いものが沸き上がってきた。胸が怒りに満たされていくように。


「何か言ってください! 卑怯ですよ! そんな、馬鹿みたいじゃないですか! なんとか戦おうって、勝とうと思って必死に演奏したのに! 最初から期待されてなかったんですか? 私は、足手まといなんですか!?」


 美歌は、固く握り締めた両拳をももの上に叩きつけた。感覚はない。そのことがさらに感情を込み上げ、うっすらと涙すら表出される。


「それは違う。そうじゃない」


 やっと返ってきた声には戸惑いの音が混じっていた。


「お前を、美歌を守りたかった……たぶん、ただそれだけ」


 鼻をすすってもう一度顔を見上げれば、変わらず感情を読み取るのが難しい無表情。違いと言えるのはわずかに、高度な間違い探しのようにわずかに眉根が寄っているくらい。


「前に海の中へ落ちたとき、美歌は飛び込んでくれた。足は不自由なはずなのに。その光景が頭に浮かんだんだ。意識を失う最後の最後まで、手を離さなかった。だから、そう、だからだ、きっと」


「……『きっと』とか『たぶん』とか──」


 不思議とおかしさが込み上げてくる。黒いもやもやは急速に消えていき、温かな赤い灯火が広がる。春の穏やかな陽光が照り出すように。


 なぜかわからないけど、声を聞いているだけで落ち着くと、そう思った。


「謝っているつもりなんですか?」


「……まあ、一応」


 あいまいな答えではあるが、今度は視線を外さなかった。


「わかった。もう、大丈夫です。でも、もう、泣いちゃったよ!」


「それは、すまない」


「大丈夫。だけど、次からは私をかばおうなんて考えないでください。私だって戦える。一緒に、戦えるんだから」


「ああ。それで、お前を迎えに来たんだ。松嶋すずが美歌を待っている」


 酒場に入ると、前回と同じ店の奥のテーブルに金髪の瑠那の姿を見つけた。横に並ぶのは有門に月守、そして向かいにはすずがうなだれたようにうつむいて座っていた。近づいていくと、影に隠れて見えなかったが、あの少年──佐久間翔の姿もあった。


「あ、翔くん! ギルドに入ってくれたの?」


「そんなわけないじゃん。なんだか知らないけど呼び出されたんだよ、そこのおばさんに」


 こっちはこっちで相変わらずの憎まれ口を叩くが、美歌は気にも止めずに引っ掛かった言葉を口にした。


「おばさんって……?」


「おそらく私のことだろう。この中では一番最年長だし、まあ、生意気なガキからすればおばさんだろうね」


 と、しれっと言ってのけた月守はまるで気にしていないとでも言うように手に持っていたワイングラスを傾けると、流し込むように赤ワインを飲み込んだ。


「おぉ! リーダーすげぇ飲みっぷりだな!」


「飲んでないとリーダーなんてやってられないだろ? 有門優」


 月守は、感心した有門に向けて少し赤らんだ顔でウィンクしてみせる。二人の間に挟まれた形の瑠那は、月守の視界を遮るように前傾姿勢を取ると、パンと軽く手を叩いた。


「美歌ちゃんも来て、これでギルドのメンバーは全員そろった。話を進めましょう。糸のプレイヤー、山本渚について」


 直人に背中を押され、美歌はすずの横へと移動する。それでも、すずは美歌が隣に来たことすら気付いていないみたいに俯いたままの姿勢を崩すことはしなかった。


 直人が美歌の横に座ったことで、全員の視線がすずに注がれるが、言葉を発する気配すら見られない。どこでもいつでもアイドルとして見られることを意識しているいつものすずからは考えられない態度だった。


(すずちゃん、いったいなにが──)


「そしたら、私から」


 一番最初に重苦しい空気に切り込んだのは、やはりと言うべきか瑠那だった。スペシャルブレンドを一口飲むと、オフホワイトのハーフスリーブのシャツの上で軽く手を組む。


「有門と相談したんたけど、山本渚って、浦高一期生だった穂坂渚のことなんじゃないかって思ったんだけど」


「穂坂、渚……って! もしかして、あの伝説のアイドルの穂坂渚ですか!?」


「そ、そうなの?」


 意外な反応を示した瑠那に、美歌は食いぎみに言葉を畳み掛けた。マスターが置いていったホットミルクが揺れる。


「そうですよ! ほとんど活動はされていませんし、動画も肉声も残されていませんが、陶器のような白肌に愛らしい小顔、抜きん出た9頭身のスタイルのよさで活動を続けていればきっとトップクラスの人気が出たのではないかと、コアなファンからは伝説とまで呼ばれた人ですよ! って、あ……」


 やってしまったと思ったときにはもう遅かった。すずに注がれていた視線が今度は自分に向けられている。しかもどれも驚いたような唖然としているような、ようするに引いているような視線。コアなファンは美歌自身だった。


 そうだ、今はアイドル談義をしているわけではなく、穂坂渚について語り合っているわけでもなく、糸のプレイヤーをどうするか、どうやってダンジョンを攻略するか話し合っている途中なのだ。


 完全に、やってしまった。


「す、すみません」


「大丈夫だよ。美歌ちゃんが浦高に憧れているのはもう聞いてるから」


 追加注文した赤ワインをグラスの中で踊らせながら微笑んだのは月守だ。


「それでどうなんだい? すずちゃん」


 直接問いかけるが、返事はおろか反応すらすずの小さな体は示さなかった。それを見て、月守はテーブルの上へ静かにグラスを置いた。


「聞こえてはいると思うんだけどね。いいかい? すずちゃんと糸のプレイヤーとの間に何があったのかは知らないし、そもそも詮索するのは嫌いなんだ。だけど、あえてリーダーとして聞くよ。その穂坂渚という人物は、あんたが追いかけた山本渚と同一人物なのか?」


 そのテーブルの場だけがボリュームを絞ったかのように静まり返った。満員に近い賑わいを見せる店内の喧騒は変わらず続いているが、どこか壁一枚挟んで隔絶されたように遠くに聞こえる。


「……すずちゃん」


 美歌はすずの背を撫でていた。自分でもよくわからなかったが、勝手に左手が動いていた。手のひらを温かな感触がじわりと伝わる。撫でるごとにピクリとすずの背が少しずつ動き出し、場に音が戻ってきた。


「……はい」


 消え入りそうな声とともにうなずくと、やっとすずは顔を上げた。今にも泣き出してしまいそうな悲痛なその表情に、背中に回った手が止まる。


「……渚、なんです。山本渚。ずっと、ずっと、探していた──でも、渚は私を……殺した……」 

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