「もうちょいかかるし、夕飯食べていかないとな」
「はーい」
安曇神社から仁科家を経由し、和都の自宅がある桜崎市へ戻る途中。高速道路を走らせていると、サービスエリアへの看板が見えてきたので、仁科はそちらへハンドルを切った。
安曇神社や仁科家のある地域と、和都たちの住む桜崎市のちょうど中間地点ほどにある、
駐車場はそこそこ車が駐まっており、建物から少し距離のある位置に車を駐めた。
「行きの時みたいにはしゃぐなよ?」
「べつにはしゃいでないし!」
二人は車を降りると、駐車場から飲食店などのある建物へ足を向けた。
ふと空を見上げると、オレンジから紺色へ変わっていく夕暮れ時。すでに遠く山向こうに太陽が落ちていて、その稜線がくっきりと見える。
建物の入り口まで来て中の様子を窺うと、時間帯もあるのか、思っていたより人は少なく、そこまで並ばずに利用できそうだ。
さて何を食べようか、と考えながら仁科が和都のほうを見ると、山間に燃える空をどこか嬉しそうに眺めている。
「どうした?」
「あ、ううん。空、綺麗だなぁって思って」
そう言って笑うと、和都は出入り口に掲げられた店舗案内のプレートのほうへ駆けていった。仁科は少し考えながら後をついていき、どれにしようか悩んでいる和都の横で、見知った店舗の看板を指差す。
「……ここのならテイクアウトできるし、外のベンチで食べようか」
「! うんっ」
仁科の言葉に、和都は嬉しそうに頷いた。
施設の外にある展望台を兼ねたスペースには、ベンチと小さなテーブルが備え付けられていて、二人はテイクアウトしたお弁当をそこで食べることにした。
少し人目から離れた端のほうではあったが、未だ燻る夕焼け空のオレンジがよく見える。サービスエリア自体が少し標高の高い場所にあるせいか、そこから望む山陰の麓を、街明かりがチラチラと彩り始めていて、夜景の準備が始まっていた。
ベンチに並んで座ると、和都は夕暮れと夜の切り替わりの風景を楽しむように、お弁当を噛み締めている。
「……こういう夕焼けとか夜景とか、好きなの?」
あまりに熱心に見ているのでずっと黙っていたのだが、仁科はやはり気になって尋ねた。問われた和都は、口の中のものをごくんと飲み込んでから、少し考えるような顔をする。
「あー、特別に好きってわけでもないんだけど……」
「けど?」
「おれんちの窓から、あんまり綺麗に空とか見えないから」
言われて仁科はそういえば、と和都の自宅周辺を思い出した。
和都の自宅は、道路を挟んだ向かい側に大きな公園があり、ちょうどその周辺を大きな木が囲んでいる。自室は二階にあると聞いているが、それでも空を眺めようと思うと、やはり見えづらそうではあった。
「ああ、近くの公園の木、結構大きいもんなぁ」
「それに出掛けること自体、あんまりしないからさ。なんていうか、珍しいもの見たさ? みたいな感じ」
「なるほどぁ」
ちょっと照れくさそうに答える和都に、仁科は納得する。
夏休みの前半、今回の泊まりがけでの外出許可をもらうため、和都の母と少し電話で話をしたが、あの口ぶりから察するに、やはり家族でどこかへ出掛けたことはないのだろうなと思った。
今は自分が
「……中学の時は、線路沿いに山になってるとこあって、そこによく行ってたんだ。わりとよく空が見えるから」
和都が夕焼けの残り火を遠く眺めながら、懐かしそうにポツリと話し始めた。
狛杜高校の最寄り駅から、狛山へ向かうのとは逆の、一つ隣の駅。
その駅の辺りはたしか、山を削った崖下を線路が走っていた。線路の向こう側には大きな建物がなかったはずなので、空は一際広く見えるのだろう。
「それに、あそこ人通りが全然なくってさ。柵も頑張れば越えられそうな感じで。……タイミングよくそこ飛び越えたら、簡単に死ねそうだなーって」
「……よく、家出してたって時期?」
「うん。あの頃は父さんに逢いたくて、仕方ない時がよくあって。だから時々、そこに行ってたの」
「そっか」
仁科は和都の頭をそっと撫でると、ぐっと肩を抱き寄せた。
以前、五人で白狛神社跡地を訪れた際、昼食がてら入ったファミレスで、そんな話をしていたのを思い出す。
父親が亡くなり、頼れる人がいなくなった世界に一人きり。
彼なりに懸命にもがいて、足掻いて、少しでも呼吸のできる場所を探していたのだ。
「……でも、今日こそ飛んでやろうって時に限って、ユースケが探しに来ちゃうんだよね。塾の日のはずなのにさ」
腕の中、大人しく自分に身体を預ける和都が、思い出したように小さく笑う。
「もしかしたら、春日クンも咲苗ちゃんみたいに、そういう勘がいいのかもね」
「あー、そうなのかなぁ?」
──バクが春日クンを『邪魔なヤツ』と言ってたのは、そういうことがあったからか。
前の晩、和都の身体を乗っ取って、金色の瞳が苦々しい顔で春日のことを話していた。
死を望む彼に唯一手を伸ばし、なんとしても生かそうと執着し続けている彼は、祟り神ですらそうとう手を焼いていたとみえる。
勘の良さか、執念か。あるいはそのどちらともか。
その本心はなんであれ、和都が今生きていることへ繋げてくれている。
「……最近は行ってないから、夕焼けとかゆっくり見るの、なんか久々かも」
ゆっくりと息を吐くように、和都が遠い空を見つめて呟いた。
オレンジ色がなりをひそめて、ベンチ周辺の花壇に置かれたガーデンライトが、煌々と明るくなってきている。
「今は?」
「ん?」
「今は死にたいって思ったりする時、ある?」
仁科の問いかけに、夜空と同じ色の瞳がこちらを見つめてから、少し考えるように視線を逸らした。
「父さんに、逢いたいって気持ちは、変わんないよ。……でも、最近はもう少しあとでも、やりたいことやってからでも、いいのかなって」
「やりたいことって?」
「別にコレっていうのが、あるわけじゃないんだけど……」
そう言ってから、少し照れたように和都が顔を上げて笑う。
「とりあえず、修学旅行は今のままだったら行けそうだから行きたいでしょ? それから、菅原たちと今度は遊園地とかも行ってみたいしさ」
「……そっか」
「あと、先生ともまた、こんな風に出掛けて──」
藍色に染まる世界で、楽しそうに笑う顔に自分の顔を近づけて、息を吹き込むように唇を塞いだ。
すぐに離して、驚いて固まった顔に笑いかける。
「今日の分、してなかったな、と思って」
「……そう、だけど」
ガーデンライトに照らされた頬が、ほんのり赤く染まって見えた。
驚きと戸惑いと、その隙間に嬉しそうな感情がチラついている。
「足りない?」
「へ?」
「俺は足りない」
「……あ」
頬を軽くつねって、もう一度小さく開いた唇に噛みついた。
差し入れた舌を拙い舌に絡ませると、縋りついた手が身じろぐ。
先ほどより少しだけ長く、唾液を掻き混ぜてから息を吐くように唇を離した。
「外だと誰かに見られる、よ……」
目を潤ませ、蒸気した顔からついて出るのは、そんな言葉で。
どうやらもう、怒られることも、呆れられることもなさそうだ。
「意外と他人て見てないもんだよ」
そう言って、恥ずかしそうにこちらを見つめる和都に笑い、いつものように頭を撫でる。
優しい乳白色の明かりが所々を照らす藍色の隙間で、もう一度だけキスをした。
ベンチから見える風景は、すっかり夜景の支度を整えて、キラキラと星屑を集めたように瞬いている。つい、もう少しだけ、と思ってしまっていけない。
「さ、夜になっちゃったし、いい加減帰らないとね」
「……うん」
ベンチ近くのゴミ箱に食べ終えた弁当の空箱を捨てると、自販機で缶コーヒーを買った。あと一時間以上は運転することになるので、これは必須アイテムである。
それから駐車場に駐めた車へ向かう時、何気なく隣に並んで手を繋いだら、和都もぎゅっと握り返してきたので、それが嬉しい。
「さ、もう一踏ん張りしますかね」
運転席と助手席に乗り込むと、車は桜崎市へ向けて出発した。