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17-02



 ノックもなく、ガラガラと勢いよく保健室のドアが開いた。

「失礼します」

「あれ、春日クン。どうした?」

 ちょうどコーヒーをいれようと、椅子から立ち上がったらしい仁科がそう言った。春日はそこに大股でズカズカと歩いて近寄ると、仁科のシャツの襟首を白衣ごと掴み、数センチしか変わらない高さの顔に、自分の顔を近付けて言う。

「……面談、いいですか」

「こえーなおい、わかったから!」

 見たことがないくらいのしかめっ面が目の前で言うので、仁科は宥めつつそう答えると、保健室のドアプレートを『面談中』に切り替えてドアを閉めた。

「和都の首の後ろ、なんすかアレ」

 椅子にも座らず立ったまま、腕を組んだ番犬に敬語もなく睨まれる。

 もう、心当たりしかない。

「……ありゃ、バレたか」

「それで、言い残すことは?」

 分かりやすく怒りながら、春日が自分の手の指をパキパキと鳴らす。

「暴力反対! 手は出してないってば!」

 仁科はあれこれと思考を巡らせた。が、軽はずみな嘘ではきっとバレてしまうだろう。

 なので、半分くらい正直に言った。

「──あー、酔っ払って付けちゃったんだよ」

「……胸のも?」

「え、なんでそっちもバレてんの。……そーだよ」

「ハッタリだったけど、胸にも付けたんすね?」

「あっ、ズルい!」

 仁科の反応に、じとっと見つめる春日の眉間のシワが深くなる。

 口車に乗せられて、うっかり自供してしまった。

「本当、いっぺんシメていいですか?」

「いや、マジでそれ以上は何もしてないから。暴力はやめよう? な?」

 両手を突き出しどうどうと、仁科が春日を落ち着かせるように手を振って言う。

 宥められて落ち着いたわけではないが、春日は大きく息を吐いた。

「……アイツからは何も聞いてないんで、問題になるようなことはないんでしょうけど」

 そう言葉を区切ってひと呼吸置くと、仁科をまっすぐに見て言う。

「中途半端なことは、やめてやってください」

 春日の言いたいことは分かる。以前話してくれた、姉の件があるのだろう。

「……そこは大丈夫だよ。ご心配なく」

 仁科は春日に向かって迷いなく言った。

 それについてはもう、自分の中で決着がついている。

 何を言われようと、何が起ころうと、和都のためにできることを、彼の側に居続けることを決めた。

 これだけは、譲れない。

「お前、ほーんと俺のこと嫌いだよねぇ」

「そこまで嫌いというわけではないんですが、やっていることと見た目が合っていなくて、なんかムカつきます」

「まぁひどい」

 見た目については、そう見えるよう、自覚して振る舞っている部分もある。

 しかし見た目と合っていないということは、自分の仕事そのものについて、去年保健委員だった春日はそれなりに評価してくれているらしい。

「心配しなくても、お前が俺を警戒する理由は、ちゃーんと分かったからさ」

 仁科はそう言いながら、談話テーブルの椅子に腰を下ろす。すると、何の話をされているのか思い至ったらしい春日が、ふっと視線を床に逸らした。

「……聞いたんですか、去年のこと」

「うん。──俺は、アイツにお前がいてくれて、よかったと思ってるよ」

 椅子に座ったまま足を組み、仁科は立ったままでいる春日を下から見上げる。そこからは伏せていた、悔しそうで辛そうな表情がよく見えた。

「……俺は、何もできませんでしたけどね」

「んなことないよ。ちゃんとこっち側に引き留める『理由』になってるじゃん」

 起きたことを、未然に防ぐことは出来なかったかもしれない。

 でも、高校に入る前は死にたがりだった奴が、ちゃんと生きて卒業すると約束した。

 その約束を守るために、命を手放さずにいたのだ。

 果たしてそれのどこが『何もできていない』のだろう。

「まぁ、ちょっと過保護すぎるかなーとも思うんだけどさ。そろそろ俺には、手ぇ抜いてくんない?」

「いやです」

 春日が即断とばかりに返すので、仁科は呆れて苦笑した。

 この番犬の執着は、どこまでも続くらしい。

「あっそ。……それなら、お前にも一緒に抱えてもらおうかな」

 仁科が自分も座るよう椅子を指差すので、春日は近くの椅子を引いて座る。

「何ですか?」

「……バクと話した」

「バクって、和都が狛犬だった時の名前、ですよね?」

 和都の最初の説明では、本人はハクとつがいになっている狛犬『バク』の生まれ変わり、ということだった。

「うん。時々、アイツの目が金色に光ることがあって、気にしてたんだけど。眠ってるアイツの身体を使って話しかけてきてね」

「そんなことが、出来たんですね」

「泊まってたとこが神社の敷地内だったしね。チカラが強かったのもあるんじゃねーかな」

 仁科が何気なく説明したのだが、春日ははたと気付いてジロリと睨む。

「……そんなとこで、よくあんなことやりましたね」

「いや、だから手は出してないってば! セーフだろ」

「キスマークつけてんだから、ほぼアウトですよ」

「……ぐっ」

 何も反論できずに仁科が黙ったので、春日は呆れて息を吐いた。しかし、そんなくだらない話をしている場合ではない。

「それで? バクはなんて?」

 言われて、仁科は小さく咳払いをして改まると、少し悔しそうに眉をひそめた。

「……あれは、俺たちの予想通り、生まれ変わりではなく『祟り』そのものだったよ」

「そう、ですか」

 春日が小さく握った拳に力を込める。

「憑いている奴が死んだら次の子どもへ……ということを繰り返してきたらしい」

 仁科家の血を受け継いだ末子だけを、苦しめ屠る祟り神。

 薄明かりの下で、金色の目が吠えていたのを思い出す。

「バクが末子に代々憑いていたのなら、ハクも一緒にいるはずでは? でも、先生の弟さんの時って、ハクは居なかったんですよね?」

 春日に言われ、仁科は頷いた。

「視たことはないし、弟からも聞かなかった。でも多分、居たんだろうな。気付けなかっただけで。霊力で幽霊は視えるけど、神様や神獣の類は、向こうがこっちに合わせてくれないと視えないからね」

「ではなぜ……」

 本来なら祟っている相手には姿を見せないつがいのハクが、和都の前に現れたのか。

 鬼が和都を狙って現れたから、ではない。

「今回で、最後だそうだ」

「は?」

「アイツを最後に、祟るのを辞めてくれるそうだ」

「できるんですか? そんなこと」

 訝しむ春日に仁科は呆れたような顔で口を開く。

「ハクを実体化させ、アイツごとバクを取り込んで、一つの神に成るんだと」

 ハクは言っていた。

 人間は『食べやすい』のだと。

 肉体ごと食べてしまえば、魂の格が違っても簡単に取り込める。

「つまり、ハクとバクは、最終的にアイツを食うつもりでいるんだよ、まるごとね」

 春日が目を見開いて、声を詰まらせながら言った。

「……実体化を、辞めさせるしか!」

「それは無理だ。今いる人間じゃあの鬼たちを祓うのは無理なんだと。実体化したハクに食ってもらうしか方法がない」

「そんな……」

「もし仮にハクの実体化を止めたとしても、鬼に食われるかバクの祟りで殺されて、次は俺の甥っ子にバクが憑く。八方塞がりってヤツだよ」

 仁科は大きく息を吐く。

 何をどう足掻いても、和都が死ぬという結末を、回避できない。

「ただ、一つだけチャンスをもらった」

「なんですか」

 春日が食い気味で聞いた。

「白狛神社が移動した理由は、表向きは宮司の自殺になっているが、実際は宮司の安曇真之介が仁科孝四郎に殺されたからだ。でも、二人は仲が良かったらしい」

 あの時の、バクの話しぶりからするに、孝四郎が真之介を殺すというのは、到底あり得ない。

「バクはその事件の真相を知りたいんだと」

「しかし、そんな昔の事件の真相なんて……」

 ただでさえ白狛神社に関する資料は、あらゆる都合によって消されている。そんな事件の真相を見つけ出すのは、そう容易たやすいことじゃない。

「手掛かりがないわけじゃない。実家の開かずの金庫の中に、仁科孝四郎の日記が残っててね」

 そう言うと仁科は立ち上がり、出入り口近くにある私物入れのロッカーを開けた。

「それを解読していけばいいんですね?」

「ああ。安曇の蔵になかった白狛神社に関する記録と、全部合わせて四冊ある。くずし字で書かれてるから解読アプリで少しずつ読んでるんだけど、悪筆だったり汚れてるせいで分かんないとこもあって、結構時間かかっててね」

 仁科は通勤用に使っている鞄から、古びた本を一冊取り出し、春日に差し出す。

「春日クンも、一冊協力してもらえる?」

「わかりました」

 春日が受け取った本の表紙には、仁科孝四郎の文字と、日付が書かれていた。どうやら日記のほうらしい。

「封筒に入れて持っていきます。アイツには見せないほうがいいでしょ」

「あぁ、そうだね」

 和都の中には、バクがいる。どのような意図を持って事件の真相を求めたのか分からない以上、この日記の存在を知ったら、どう動いてくるのかが見えない。

 仁科は春日に、学校の名前が書かれた大きい封筒を渡した。

「あと、絆創膏もください」

 受け取った封筒に本を入れながら、春日が言う。

「えっ、なんで?」

「酔っ払いのふざけた痕を隠すためです」

「……はい」

 春日がいつもの調子で言うので、仁科は大人しく治療用品の入った棚から絆創膏を一枚出して渡した。

「まったく」

「……今回の件、アイツには伏せといてやってね」

「わかってますよ」

 和都は仁科家の祟りも、ハクが最終的に自身を食べようとしていることも、知らない。

 知ってしまえば、自分を犠牲にすればいいと、最悪の手段を選んでしまうような奴だ。

 だからこそ、彼に知られてはいけない。

「そろそろ戻ります」

「はいよ」

 保健室のドアを開けようとして、春日が立ち止まって振り返った。

 おや、と仁科が見ていると。

「俺、やっぱり先生のこと、嫌いです」

「……俺はお前も好きよ」

 仁科が口の端を片方だけ上げて返すと、春日とてつもなく嫌そうに眉をひそめる。

「殴っていいですか」

「やめてってば」

 いつものような仁科のふざけた態度に、春日はため息をついて保健室を後にした。

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