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覚醒

 少女の骨は硬い。だが、小路は一つの可能性に行き着いていた。


(この糸、魔力の流れを阻害すると見た)


 魂があるとされる胸に魔力を止める糸が貼り付けば、全身の魔力が封じられたも同義。加速も強化も使えない理由にも説明がつく。だが、それがわかったところで何ができるか。糸の効力が消えるまで、素の身体能力だけで耐えねばならない。


 少女の腕は止まらない。華奢な見た目に似合わぬ膂力で、小路を少しずつ後退させている。鉈で受け止め、半身で躱し。その繰り返しだった。


「晴香、避難誘導はどうだ」


 少しばかりできた間隙で、彼は確認の一言を飛ばす。


「晴香?」


 返事がない。過る、可能性。


「青井さん、晴香の状態、わかりますか」

「……生体反応、ない。避難してきた人たちが言うには、悪霊に食べられた、って」

「そうですか。遺体の収容、頼みます」


 怒りと悲しみに手が震える。


「悪霊とは、どこまでいっても下らんものだ……!」


 その胸に灯った炎が、糸を焼く。


「オコッテル? オコッテル?」

「ああ、怒っているさ。だからまずはお前から殺す!」


 身体強化も加速も帰ってきた。全速力で、左胸に鉈を刺す。


 小路の加速は、便宜上そう呼んではいるものの、名称はない。単純ながら強力。相手の反応速度を超える一撃を繰り出せば、それだけでアドバンテージを得ることができる。


 しかし、身体強化を併用しなければ加速Gや空気抵抗で肉体が深刻なダメージを負うリスクもある。その限界を突破させたのは、類稀なるセンス。順手で刺した鉈を逆手に持ち替え、一気に斬り下ろす。そういう細かい判断の積み重ねだ、戦いとは。


 吹き出した紫の血を浴びて、唾を吐き捨てる。


「イタイ、イタイヨォ……」


 魔力を纏わせた一撃は、確かに魂に響いているはずだった。それが何ともないように癒えていくのを見て、嫌な事実に彼は気づく。


「貴様、魂を修復できるな? 埒外クラスの能力だぞ」

「シラナイ、シラナイ!」


 喚く顔に、銃弾。死なない。


「デモ、アリガトウ」

「何?」


 向けた銃口は逸らさないまま、睨みつける。


「私、進化する」


 急に流暢になった言葉。


封絶織界ふうぜつしょっかい


 晴れていた空が、一瞬にして暗くなる。天には巨大な白い布がかかり、地には幾本もの糸が張り巡らされている。


「虚獄……!」


 あまりの成長。彼は思わず笑っていた。その僅かな驚愕の間に、脚に糸が絡みついていた。動けない。加えて、天井から伸びた糸が腕を縛り上げて、さながら磔のようになった。


「俺にもできんというのに……恐ろしいな、一級というのは」


 状況は元通り。移動もできない。首に糸が巻き付く。そんな彼の顔面に、拳が入った。頬骨が折れる。腹に入る。肋骨も折られる。飛び回し蹴りがクリーンヒットして、頭蓋骨が陥没する。意識が朦朧とする。


「キャハハ! 馬鹿みたい!」


 糸が解かれ、投げられた。虚獄の外に出て、熱いアスファルトの上に転がる。


(俺は、なんのために戦っているんだろうな)


 言葉が浮かんでくる。


(親友だと思っていた人間は悪に堕ち、かわいい後輩は殺され……全て捨ててもいいのかもしれんな)


 少女がニヤついた顔で寄ってくる。


(……違うな)


 胸のあたり、何かが拍動している。


(だからこそ、だ。喪ったから、もう戻らないから、せめて未来だけでも手にしなければならない)


 痛みが引いていく。


(立て、間小路。こいつは、こいつだけは全てを賭けて殺さねばならない)


 燦々と輝く太陽の下、出血の止まった頭を持ち上げて、鉈についた血を振るって落とす。


「続きをやるぞ。俺は、俺の役割を全うする」


 全身に魔力を巡らせる──と意識することもなく、力が湧いてくる。真正面から向かってくる少女をいなし、背後へ。冷静に首筋を狙って斬りつける。頸椎に深いダメージ。


 小路の目には、今、少女の心臓の近くにもう一つの塊が映っていた。それが何なのか、はっきりとした答えは見えない。だが、それでよかった。


「死にぞこないがあ!」


 少女の裏拳。当たらない。何もない所を過ぎて行った右腕を、彼は切断する。大きく空いた胸に、一突きを。見えている謎の塊へ。


「学習しなって──」


 それを貫いた刃を引き抜けば、彼女は崩れ落ちた。


「治ら……ない……?」


 魂への攻撃。魔力を伴うだけでも魂に響く攻撃は可能だが、魂そのものが変形したり修復されたり、そもそも魂が頑強、魔力出力が十分でないなどの様々な理由から致命傷にはなりにくい。


 しかし、現在の小路は、魂の輪郭を捉える特殊な知覚能力と、死の淵から帰還したことによるボルテージの上昇で高まった魔力とで決して癒えない傷を与えた。


「嫌、嫌、死にたく──」


 泣きだした少女の首を、刎ねる。深呼吸。


「次だ」


 そう呟いた彼の視線の先で、爆発が起きていた。





 回転する車輪を、鏡磨は全身全霊で受け止める。脚を踏ん張り、火花を散らす太刀に魔力を流す。


「どりゃああ!」


 そのまま得物を引き、車輪に罅を入れ、その横に回った。最大出力の身体強化を乗せて、蹴撃だ。横倒しになった直径三メートルのそれの中央、人型の核に、太刀を突き立てる。黄色い障壁に止められるが、彼女には策があった。


(対結界中和術……門扉開もんぴびらき!)


 鏡磨の紋は、魔力の譲渡。相手に魔力を渡すことができる。それを応用し、結界や障壁を対象として魔力を受け渡し、内側から中和するように魔力の壁を無力化する術が、門扉開だ。


 だが、万能ではない。一級の魔力から展開される防御壁を中和しきるには、やはり相応の時間が必要だ。その間に、車輪は起き上がろうとしていた。


(やっぱりそう上手くはいかないか……でも、手応えはある。時間はかけたくないけど、攻め続ければいつかは……!)


 時速二百五十キロの突撃を躱し、ブロック塀を蹴って跳躍。空中から魔力の斬撃を数発飛ばした。しかし、ダメージを受けているようには見えなかった。


 着地の瞬間を目敏く狙った体当たりが来る。そこで、彼女は


嵐神轟破らんじんごうは!」


 と竜巻を生成し、悪霊を打ち上げた。細かい風の刃に晒され、その車輪には無数の傷が付く。


「コモンもアッパーも得意じゃないからさ、あんまり使いたくないんだよね」


 安全に足を地に着けた彼女は、刀の様子を見る。まだ刃毀れはしていない。魔力で包み込んでいるからだ。しかし、それも時間の問題かもしれない、と思うと恐ろしくなってくる。


 鏡磨は、特殊な魂の持ち主だ。人並外れた魔力を持って産まれたにも拘わらず、魔術の行使を苦手とする紋が刻まれているのだ。一般魔術コモン・マジック上級魔術アッパー・マジックも、大規模行使によってその質を補っているに過ぎず、武具の召喚もできない。


 故に、魔術ではなく魔力操作の範疇である身体強化や飛ぶ斬撃を軸にしている。


 軸足を固定し、斬撃を連続して飛ばす。ついに、車輪が割れる。


「終わりだよ!」


 ふらふらと落ちる、小さな人型。


「ゴハン、ゴハン……」


 譫言も聞こえてくる。


「ごめんね、ご飯なんてないよ!」


 その体が地面に触れる、直前。踏み込んだ彼女の顔の左半分に、熱き霆が飛ぶ。貫通はしないものの、左頬が赤黒く焼けた。


「やるじゃん」


 痛みと熱さに顔を歪ませながら、彼女は腰を落とした。


「でも、ここからだよ。おいで、祓ってあげる」


 車輪の中に入っていたのは、背丈百五十センチほどの少年だ。鏡磨とそう変わらない。


「ゴハン、ホシイ」

「ないってば」

「クウ、オマエ」

「筋肉ばっかで美味しくないよ」


 少年が手を叩くと、転がった車輪の破片が一振りの打刀と成る。


「クウ!」


 向かってきた刃を受け、彼女は相手を蹴り飛ばす。それが転がるより速く駆け、追撃。だが、速かったのは少年も同じことだった。当たると確信して振り抜いた太刀は躱され、熱を持った雷霆で両脚を射抜かれる。


「このっ……!」


 倒れ伏した鏡磨に、少年がゆっくりと近づく。首を掴まれ、上に放り投げられる。何が狙いか、全身に魔力を──その前に、右腹部に腕が刺さった。引き抜かれる、肝臓。噴き出る血液。


 飛びかけた意識を繋ぎとめていると、今度は腸を引きずり出された。死ぬ。このままでは。しかし、そのまま彼女は闇に落ちた。動かなくなった彼女を置いて、少年は取り出した臓器を食む。


 食事を終えた彼が鏡磨に背を向けると、


「酷いじゃん」


 という声がした。

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