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第562話

「ねぇ鈴さん、私達の箱庭はいつ頃完成すると思いますか?」


 あの木の上で千尋がそんな事を鈴に尋ねてきた。


「それは……」


 鈴は少しだけ考えて千尋に寄り掛かると静かに呟く。


「きっとずっと完成なんてしません。私達がこの世を去っても、また誰かが私達の箱庭を創り続けてくれます」


 鈴の言葉に千尋は満足したように頷いて鈴を抱きしめてくる。


「そうですね。永遠に完成しないのかもしれませんね。私達がまた出会ってこの箱庭に携わるかもしれませんし」

「はい!」


 また出会った時と同じ、鈴と千尋と雅、そして喜兵衛と弥七だけの神森家になってしまったけれど、楽は毎日やってくるし子どもたちだってしょっちゅう顔を出してくれるだろう。


「鈴さん、私はずっと孤独でした。誰からも愛されず、どこへも行けず、認められるのはいつだってこの力だけ。そんな私を見つけ、認め、愛してくれたのはあなただけでした。だから私は一生あなたを大切にしようと心に決めた。けれどたまに思うのです。あの時、もしも私達の道が何らかの理由で別れてしまっていたとしたら、今の私達はどうなっていたのだろう、と」


 夕日を見つめながらそんな事を言う千尋の横顔は、とても儚げで今にも消えてしまいそうなほど美しかった。


 まるでガラス細工のような繊細な横顔に見惚れながら、鈴は言う。


「それでも、いつかどこかで交わったと思います。だって私達は運命の番ですから。死ですら離れさせる事が出来ないのが運命の番です」


 その言葉に千尋がハッとしたようにこちらを向いたかと思うと、鈴の顔をじっと見て微笑む。


「そうですね。そうでした。それについては羽鳥達で証明されたのでした」

「はい!」


 ようやく安心したように微笑んだ千尋の着物を鈴はそっと掴むと、ぐいっと引っ張った。


 するとバランスを崩した千尋の驚いたような顔が鈴の目の前にやってくる。


 鼻先が触れ合いそうな距離で千尋を見つめるなんて、昔の鈴には絶対に出来なかっただろうけれど今はもうそんな事はない。


 それは慣れたからじゃない。愛しさが照れより勝っているからだ。


 鈴は千尋の着物を掴んだまま、今にも触れそうな唇に軽い音を立ててキスする。


「っ」


 突然の鈴の行動に千尋が驚いたような顔をしたかと思うと、途端に今度は悔しそうな顔をした。


「これはしてやられましたね。慰めるのは私の役目だと思っていたのに」


 冗談めかしてそんな事を言う千尋に鈴も笑う。


「私だってたまには寂しがりやな千尋さまを慰めたいです!」


 子どもたちが家を出た事を、もしかしたら案外千尋の方が寂しく思っていたのかもしれない。


 確かに寂しいけれど、いつか孫でも連れてくる日がやってくるのかと思うと楽しみでもある。


 鈴は千尋にしがみつくと、その胸に昔のようにおでこを擦り付けて子どものように甘えた。


 そんな突然の鈴の行動に千尋がどう思ったのかは分からないが、千尋は嫌がる素振りも見せずにそんな鈴を抱きしめて耳元で囁く。


「今日からまた二人です。出会った頃のように、また色んな話しをしましょう」

「はい。実を言うと、あの子達が出ていって寂しい気持ちもありますが、実は少しだけ楽しみでもあるんです」

「楽しみ?」

「はい! だって、また千尋さまを独り占め出来るんですから。昔の私はこんな風に千尋さまに甘える事が出来ずに居ましたが、これからはもう思う存分千尋さまに甘えられると思うと少しだけ楽しみです。だから千尋さま、これからも私を、鈴だけを可愛がってくださいね」


 流石にこれは言いすぎただろうか? そう思って千尋を見上げると、千尋は耳まで赤くして声を失っている。


 その顔にはうっすらと婚姻色が浮かび上がり、それを見て鈴は思わず微笑んだ。


 しばらくしてようやく千尋が口を開く。


「どうしてあなたはそんな可愛い事を——」


 そこまで言って千尋は我慢出来なくなったのか、鈴の後ろ頭を掴んで珍しく荒々しいキスをしてくる。


 鈴はそんな千尋に身を委ねて少しの寂しさと愛しさ、そして幸せを噛み締めていた。


 ようやく千尋の唇が離れると、鈴はそっと千尋の胸元に頬を寄せる。


「千尋さま、愛しています。いつまでもずっと」

「私も愛していますよ。今までも、これからもずっとあなただけを」


 やがて夕日が沈んで静かに闇が訪れて空に月が輝いても、二人はいつまでもその場で語り合っていた。


 今日までに至る愛しい日々の事をいつまでも、いつまでも。


 そしてここからまた始まるのだ。千尋と過ごす愛しい日々が。



 都で一番のオシドリ夫婦と呼ばれた人間の少女と水龍は、運命の番という言葉を体現するかのように片時も離れる事は無かった。


 どこへ行くにも二人はいつも手を取り合い、悲しい事があった時には共に嘆き悲しみ、嬉しい事があった日には二人分喜んだ。


 彼らが都にもたらした物は数えきれないほどあったが、誰もが憧れたのは二人の在り方だ。


 種族の壁を乗り越えて互いを支え尊敬し合う姿は、皆に少々の呆れと尊敬を抱かせた。


 二人が丹精込めて作り上げた屋敷は今もずっと龍の都の一等地に建っていて、そこからはいつも美しい音楽と歌声が聞こえてくる。


 モダンでレトロな佇まいの屋敷の事を二人が箱庭と呼んでいたからか、いつしか人々はその屋敷の事を敬愛を込めて『龍の箱庭』と呼ぶようになった。 


                        完  




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