─── episode.1 コンタクト・ジャグリング
クリスタルボールがユウの両手の中で自由自在に動き出した。
それはシャボン玉のような浮遊感で、透明な煌めきを放ちながらクルクルと回る。指は微かにボールの一部に触れているか、いないか。
透明のボールは七つの光を取り込み、
舞台ではプロジェクション・マッピングが炎を上げ、ゆらゆらとファンの鼓動の高鳴りを加速させる。
華やかなジャグリングで盛り立てるダンサーたちを従え、真っ赤な旗を振る孤高の闘牛士のように、熱く攻撃的なユウの顔はクライマックスを迎えた。
*
「ひゃあぁ」
「すごい、何これ。ボール浮いちゃってるじゃん」
「どう、どう? ふみちゃん! ユウくん、ヤバいでしょ。カッコイイでしょ!!」
「うん、格好良すぎ~ しかも、この曲もめっちゃいい!」
「でしょう。この曲はね、『ホワイトタイガー』っていってユウくんの代表曲なの。一昨年の秋、歌手として再ブレイクしてからずっとファンの人気投票ナンバーワンの曲だよー」
ここはマンションの一室、礼美の部屋である。こたつにみかん。素朴な冬の風物詩に気持ちが和む。礼美は全国コンサートのBlu-rayケースを私に渡し、裏を読めと目で言った。
「……コンタクトジャグリングっていうんだ。ユウくんが手で浮かしてたボールのやつ。ホント、すごかったよね~」
「昔はね、大道芸やサーカスで行われてた芸らしいの。今はスポーツにもなってるんだって。ふみちゃん、言っとくけどあのボール。浮いてはないのよ、マジックじゃないから」
「もういきなりマジにならないでよ」
全く礼美ったら。
あ、申し遅れました。私の名前は、
コットンカフェという小さなカフェのオーナーで、パートナーの
カフェの一角では『ふみの
対面の鑑定ではカフェメニューも一品頼んで頂くというシステムだ。オーナーも大変喜びますので、コットンカフェ共々よろしくお願い致します。
Blu-ray片手にみたらし団子を食べている彼女は、私の幼なじみであり大親友。
ミルクティーブラウンのロングヘアと艶のある白肌が美しい。長い睫毛が魅惑的な彼女は幼なじみであり、もうほとんど家族と言ってもいいくらいの間柄。
誰もが振り返る美貌とたぐい
……居ずまいを正した、そこのあなた。緊張する必要は一切ありませんよ。
なぜなら、普段の彼女はすでに殿堂入りと言っていいほどのファッションセンス(ダサい方)を持っており、私たちを常に困惑させているのだから。
さて話を戻すと、一年半ほど前。
琥珀ユウという芸能人と私たちは知り合った。夏の終わりのまだ暑い日のことだ。
彼は俳優として一度はブレイクしたものの、本人のやりたがっていた歌ではなかなか芽が出ず、舞台役者としてかろうじて活動していた頃だった。
思い起こせば
あの日とは、
デビュー当時からユウを支えていた女性と、その恋人が殺害される事件が発生した。被害者の女性は彼の後援会役員でエステサロン社長、
自宅で陶器の人形のようなもので頭を殴られ死んでおり、当時は
しかも、その事件に琥珀ユウが関係しているという報道が流れ、マスコミ関係者やメディア各社にユウは随分追い回された。それは図らずも、連日のテレビ出演という結果になったのだが。
そしてその際、ユウの誠実な対応と紳士的かつ色気のあるイケメンっぷりが高く評価され、瞬く間にその存在はお茶の間の皆様に知られることとなる。
それは、彼の時代が再来することを意味していた。
「ユウくんがテレビで話題になったあの後すぐ、『ホワイトタイガー』のCDをリリースしたじゃん。あれは本当に衝撃的な再スタートだったよ。ダンスも歌声も超セクシーだし。格好良すぎて、苦節何年のブランクがすべて良い方向に帳消しだもん。あの地道な日々は無駄じゃなかったってね。ねぇ、ふみちゃん……これってまさかの恋かな?」
頂き物のブルゴーニュ産赤ワインのグラスを手に、礼美が瞼をとろんとさせる。
「は? 礼美ちゃん。それ、違うよ。ただのお熱だから。日射病みたいなものだよ。しかもユウくんはアイドルじゃん。そんな惚れっぽくてどうするの。礼美ちゃん、高級クラブのナンバーワンホステス(ちょっと盛ってみた)なんでしょ?」
「いや、それはそうなんだけどー(否定しないし)。でもね、そうは言っても連絡取れるアイドルな訳じゃん? 可能性感じちゃうよ。私たち、ユウくんの恩人な訳だし」
「礼美ちゃんは恩売ってないじゃ~ん。謎解きしたのは、伊織くんでしょ」
「まぁそうとも言うけど、伊織くんだって別に否定はしないと思うんだ。だって私たちがいないと伊織くん、他人のプライベートに絶対介入出来ない派だもん」
「ああ、それは間違いない……」
今、話題になっている人物、伊織くんとは、何を隠そうこの湘南界隈では知る人ぞ知る! ペット探偵・
ゆるいくせ毛、トイプードルのような黒目がちの瞳が可愛い。それなのにハードな体力仕事をこなすしなやかな筋肉を隠し持った、寡黙な青年なのだ。
ペット探偵の裏?表では、ペットのお散歩業という地味な仕事を辛抱強く続けている。
まさに彼は草食系、引っ込み思案、内弁慶……。あ、いえいえ、失礼しました。推理においてだけ、彼は全く違う思考を操る。
鋭い洞察力、先見の明、絶対知性でミラクルに謎を解く、天才ペット探偵なのだ!
さっきから礼美の様子がとても気になる。小中高と何度となく見てきた、例のあの顔だ。
「礼美ちゃん、今すっごくスケベな顔してるよ。何か私に言いたいことあるんでしょ?」
「ちょっと、ふみちゃん。何よ、もう失礼しちゃう。思わせぶりな顔って言ってよね」
礼美はそう言うが今までの統計からいくと、この場合九十九パーセントの確率でやらしいことを考えてるに違いない。
程なく礼美が意味深な笑みを見せ、スマホの画面を自慢げに私に向けた……。
* 『琥珀ユウ☆冬のスペシャルサンクスパーティー』 ~プレミアムご招待~ *
「何それ!? えっ、もしかしてユウくんのパーティーチケット当たったの?」
嘘でしょ?
「どう、ふみちゃん。私すごいでしょう。し・か・も、ジャ~ン! なんと、四人分なの」
ありえない!! それは本当にすごい。
「礼美ちゃん、やったじゃん! ユウくんのスペシャルパーティーは、ファンクラブに入ってたってなかなか行けないって噂のレアチケットだよね!」
琥珀ユウのコンサートはこの一年で、今や絶大な人気のアーティストに並ぶ規模のものになっていた。行きたくても、チケットが取れない場合がある。
そして夏と冬、年に二回のスペシャルサンクスパーティーと呼ばれるこのイベントは、通常のコンサートとは違い定員をギリギリに抑えたファン感謝祭のようなものだった。まさにコアなファンや、義理のある関係者しか参加することが出来ない。
しかもこちらのパーティーはコンサート会場のような広い空間ではなく、ホテルのイベントホールやモダンな結婚式場でラグジュアリーに行われるのが常だった。
今期は、箱根。
芦ノ湖を見下ろす山の中腹の別荘地を少し行くと、会員制リゾートホテルに生まれ変わったというその洋館はある。フランスの宮殿を小規模な日本サイズに模したと言われるそれは何度か持ち主が代わりつつ、その度話題を振りまく建物だった。
古きを重んじる代々の所有者によって丁寧に存続され、逞しい木々に守られた白亜の洋館は侵入者を威圧する。
しかしながら、私たちは選ばれてしまった!
エレガント&クラシカルな
以前からこういった感謝祭は行われていたそうだが、現在のユウの人気はレベルが違う。とどまるところを知らない。チケットは幻とまで言われるようになっていた。
「ふみちゃん、それだけじゃないの~」
礼美が下手な泣きマネをしながら言う。
「パーティーの前日、スタッフはリハーサルのためにそのホテルに泊まるんだけどね。実は私たち、それにお手伝いで参加出来ることになったの!!」
「礼美ちゃんっ!」
なんかスゴすぎる! 私たちはしっかり手を取り合っていた。
「まさかのチケットが当たったから、ユウくんに箱根のパーティー行きますってメールしたの。そうしたら、すぐに返信くれて。で、お手伝いすることがあったら……って何気なく聞いたら、ユウくんね、ご迷惑じゃなかったら前泊でリハーサルもどうぞって!!」
礼美の恐るべき執念は、やっと実を結んだ。
四枚のパーティーチケットを当てるためにどれほどの労力を払ったか、誰も知るよしもない。
「四人ともリハーサルに参加していいって言ってたよん」
鼻の下を伸ばしながら、礼美は言った。そしてこたつから顔だけ出すと、健やかな眠りに入るため静かに瞼を閉じた。
*
「琥珀ユウのパーティー? リハーサルの手伝い? 俺、行~かない。そんなの面倒くせぇし」
「はぁ!? ちょっと真綿、何言っちゃってんの! 旅行気分で行けばいいじゃん。素敵なホテルにお泊まりしたくないわけ?」
私は思わず、大きな声を出した。
「ふみちゃんとダブルベッドの部屋なら考えてもいいけどさぁ~」
「もう、ここでそんなこと言わないで! ……礼美ちゃんと伊織くんを一緒の部屋には出来ないでしょ」
「ここらで、二人くっつけたらどうかな? 案外うまくいくんじゃない?」
「しーっっ!」
本日のコットンカフェの朝は、私たちの
キッチンで伊織のモーニングを用意している真綿と、開店準備をしている私の日常の風景とも言えるが。
真綿はすぐに面倒臭がる。パーティの手伝いだけでなく、そもそも湘南を離れるのを嫌うのだ。多摩川を越えると緊張するという神奈川県民の話は確かによく聞くが、それにしても湘南の人は地元を愛しすぎている!
「伊織くんは行くでしょ? ユウくんのパーティーとリハーサル。すっごいプレミアチケットなんだけど!」
私は伊織のいるテーブル席の椅子を引き、軽く腰掛けた。
「あーはい。あの……そうですね。たぶん、えっと……」
伊織がのらりくらりとスマホの画面をスワイプさせ、スケジュールを確認する。指が止まった。
「あー、そっか。そうだった……あのう、残念なんですが……パーティーは何とか大丈夫みたいですが……前日はちょっと抜けられない仕事が、ありまして……そのう」
「はぁ!?」
私の
「ごきげんよう。皆さん、お元気ですか~」
「元気だよ。昨日も会ったじゃねーか」
グレーのスウェットに黒のニット帽とダウンジャケットを羽織り、青白い薄ぼんやりとした素顔で現れた礼美に真綿が返事をした。
「それは何よりです~」
心ここにあらずと言った調子だ。
「礼美ちゃんは今ね、夢うつつなの。琥珀ユウのパーティで頭がいっぱいだから。……ねぇ、ねぇ真綿、お願いっ。前日の夜、リハーサル終わってからでいいから伊織くんと一緒に箱根に来て! ユウくんも、皆さんに会えるの楽しみにしてますって言ってくれてるの」
めずらしく私が必死な声と可愛らしいしぐさで真綿にお願いすると、割と簡単に向こうが折れてくれた。毎回は無理だが、時には使える手だと私は学習する。
数分後、伊織にも半ば無理矢理了承させ、琥珀ユウのスペシャルパーティーにこれで四人が無事参加する運びとなった。
前日は私と礼美が電車移動で昼過ぎにホテルに到着。真綿と伊織は、夜に車で到着予定。
真冬のロマンティックなパーティーに私たちは浮かれて、何も知らず笑い合った。
――そう、この時までは。
私たちはこれから起こる悲劇を、誰もまだ知らなかったのだ。