それから二人で校舎から出ると外はもう薄暗くなっていて、通り過ぎる公園で小さい子供は誰も遊んでいなかった。
「天羽さんってさ」
「何で委員会に遅刻したかって?」
僕が話しかけようとしたところ、彼女は僕の質問を予測したのか、僕が言い終える前にそう訊いてきた。
「え、いや、そのことじゃなくて」
「そうなの」
どうやら彼女には独特のペースみたいなものがあって、彼女と会話するにはそのペースに上手くのる必要があるようだ。
「何で、僕の名前知ってたの?」
僕が以前彼女と会った時に不思議に思ったことを訊いてみたところ、彼女は「なんだ、そんなこと」と言って答えてくれた。
「職員室で、二階堂先生が水瀬君の名前呼んでたの聞いたから」
言われてみれば単純なことで、疑問に思うほどのことでもなかった。
「そうだったんだ。急に名前呼ばれたからびっくりしたよ」
「ごめんね。でも、びっくりしたのは私も同じだよ。話したこともない人から知られてたんだもの」
「それもそうだな」
僕らはお互いに顔を見合わせて笑った。思えば書店で彼女を初めて見かけてから、彼女と鉢合わせする機会が多くて、こんな偶然も重なるものだなと感じる。
「そういえばこの前会った時、天羽さんは職員室で何してたの?」
「うーん、あの日は数学の問題で分からないところがあったから先生に聞きに行ってたかなぁ。実は今日も、どうしても分からない問題があってね。それを聞いてたら委員会に遅刻しちゃって」
「へぇ、さすが主席だ。真面目なんだね」
「遅刻しちゃったけどね」
「ははっ。やっぱり遅刻はダメだな」
「もう水瀬君、私のこと褒めてるのかバカにしてるのか分かんない」
そう言って頬を膨らませる彼女は、三宅君や皆が言うように愛想がなくて近寄りがたい女の子ではない。
「夕日、綺麗ね」
「ああ、綺麗だ」
「呑みこまれそうなくらい」
学校からの帰り道、沈んでいく夕日を見て瞳を輝かせながら感動できる女の子を、彼女以外で僕は知らない。
「キャンバスないから、目に焼き付けとこ」
「美術部、なんだっけ?」
「うん、そうよ。よく知ってたね」
「友達がそう言ってたんだ」
「ふふっ、何か知らないところで色々言われちゃってるのね」
「あ、ごめん。気悪くしたよね」
言った後に、「しまった」と思って謝る。僕が彼女の立場だったら、自分の知らないところで自分の個人的な情報が知られていたら嫌だ。
「ううん、全然。むしろちょっとドキドキした」
「ドキドキ?」
「うん、自分のこと知ってくれてたら嬉しいかなって」
「そうかな? 僕だったら気分悪くなるかも……」
「……水瀬君だからだよ」
「え」
不意に、つい本音が漏れてしまったようにポツリと呟いた彼女の言葉に、僕は驚いてその場に立ち止まってしまった。
「なんてね」
立ち止まったままの僕に向かっていたずらっぽく笑う彼女の姿は、夕暮れのまばゆい光の中に溶けて、美術部でなくとも、まっさらなキャンバスに描き留めておきたいと思うほど美しかった。