「いいよ」
その日の晩、そろそろ寝床につこうかというときに、夏音に沢田さんと会ってくれないかと頼んだところ、嘘みたいにあっさりとした返事が返ってきて、僕は逆に戸惑う。
「え、本当に大丈夫? てっきり嫌がるかと思ってたんだけど……」
「今までは、嫌だと、思ってたわ。桃に会ったら、何か変わってしまうかもしれない。なんで自分が京都にいるのかも、分かるのかもしれないって。それが判明してしまうのが怖かった。でも最近、自分のことが少しずつ分かってきたかもしれなくて……。まだ予想だし、あんまり良い予想でもないけれど……知らなくちゃいけない。それに、もしかしたら、この嫌な予想が外れてくれるかもしれないって、ちょっとした希望も、あるから」
どうやら夏音は、僕の知らない間に、彼女なりに自分自身について、深く考えていたらしかった。だからこそ、沢田さんに会う決意ができたのだろう。
「でもやっぱり、ちょっと怖いから、桃に会う直前で少し躊躇ってしまうかもしれないわ」
「それは大丈夫。僕がずっと側にいるから。それに、沢田さんのことだ。久しぶりの再会だって、ちゃんと夏音のこと、受け入れてくれるはずさ」
「そうよね……ありがとう、友一」
彼女は、僕の目を見ながら優しく微笑んだ。昨晩はどこか少し思いつめた様子だったため、彼女がまた笑ってくれたことが、僕にとって十分な安心材料になった。
「それじゃあ明日、沢田さんと三人で夕食でも食べに行こう」
「ええ、分かったわ」
明日、彼女の記憶の謎が判明してもしなくても、久しぶりの友人との再会だ。どうか二人が、何事もなくその再会を喜べますように。
心の中で、そっと祈りを呟いて、その日僕は眠りについた。
翌朝、目が覚めると外ではシトシトと雨が降っていた。
「おはよう。今日は雨みたいね」
「ああ、そうみたいだ。夕方までには止むといいけど」
僕はそうぼやきながら、忘れないうちに沢田さんに今晩夏音と会いに行く旨を連絡しておく。
夕方の約束の時間まで、今日は僕も夏音も予定がなかったため、僕たちはテレビを見たり、ネットで動画を見たりして
沢田さんからメールで返信が来たのは、午後3時頃だった。夕方、5時ごろに指定した待ち合わせの駅に来てくれるらしい。
夏音は相変わらず、細かく降り続ける雨を、部屋の中からぼんやり眺めていた。何もすることがなくなった僕も、彼女と同じように薄暗い外の光景を何となく見やる。
そうやって二人で同じ空間にいながら、お互いに口を開くことなく外の様子を眺めているのだから、他の人から見ると何とも奇妙な光景だっただろう。幸い家の中だったので、誰にも見られずに済んだわけだが。
「夏音、そろそろ行こう」
何もしていないなりに、時間というのは意外と早く進んでいくもので、気が付くと午後4時半を回っていた。待ち合わせの駅まで歩いて20分程かかる。そろそろ出かけなければなるまい。
「うん」
やはり彼女は何となくうわの空という感じで返事をした。それでもちゃんと出かける準備をして、一足先に玄関で僕を待ってくれていた。良かった。多分この様子なら、約束の時間までには、きちんと沢田さんとの再会の心の準備もできているだろう。