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第44話 その腹黒、本当に気落ちしてるんですか?

 ――クルクルクル……


 二人の上空にが回転しながら舞う。


 観客も審判も、そしてエーリックとトレヴィルも、目が宙を舞う剣を追った。その数瞬の間、闘技場から全ての音が消え鎮まり返る。


 ――カランカラン


 弾き飛ばされた剣が闘技台の石畳の上に落ちる。静寂の中にあって剣が床を転がる音が異様に響いた。


 主審が右手を挙げる。


「勝者、トレヴィル・トリナ!」


 観客席からわっと黄色い歓声と、ああと落胆のため息が聞こえてきた。


「ハァハァ……」

「……」


 勝ったはずのトレヴィルは余裕の表情が抜け落ち息を切らせ、負けたエーリックの方は静かに床に転がった自分の剣を見ていた。


(僕は……負けたのか……)


 落胆はある。

 疑念もある。


(兄上との対戦時と同じ足場の隆起……)


 剣闘の部で魔術の行使は反則である。当然だが主審が目を光らせているし、闘技台の外から魔力測定器で観測もされている。


 魔術が使用されれば即座に待ったが入るはずだ。だが、オーウェンの時も今も主審は止めに入らなかった。


(トレヴィルが犯人だったのか……)


 だが、間違いなく魔術は行使された。どうやってかは知らないが、トレヴィルは主審の目も測定器も欺いてみせたのである。


(審判が判別できなかった以上、抗議しても無駄なんだろうなぁ)


 敗北を認めてエーリックは一つ息を吐くと視線をトレヴィルへと戻し、彼が主審の勝利宣言に応えるのを待つ。敗者であるエーリックは意外と落ち着いていた。


 だが、逆に勝者のはずのトレヴィルの表情が悔しげに歪んでいた。そして、じっとエーリックを睨みつけている。


「トレヴィル・トリナ?」


 反応が無い勝者に主審が訝しげに声をかけたが、凄まじい怒りの形相を敗者に向けるトレヴィルに気圧された。


 数瞬の沈黙が流れる。


「くっくっ、俺の勝ちだ」


 急にトレヴィルは押し殺したように笑い、右手を挙げて勝利を宣言する。そこに先程まで浮かべていた憎悪の表情の残滓は微塵も無い。


 二人の健闘を讃えて再び観客席が沸いた。その万雷の拍手喝采の中、主審に呼ばれて二人は闘技台中央へと戻る。


「努力の甲斐もなかったな、エーリック」

「別に結果が出なくても、努力した意味はちゃんとあるんですよ」

「負け惜しみを」


 主審に促され握手を交わす二人。しかし、その思いはすれ違ったまま、重なることはない。


「結果の出せない努力に何の価値がある」

「あなたは悲しい人ですね」


 エーリックの瞳は寂しげに揺れる。


「努力は己の中に積み上がっていくんです。それは確かな力となるし、だからこそ僕はこの決勝戦の場に立つ事ができたんです」


 手を離し踵を返したエーリックは一度立ち止まって肩越しに振り返る。


「試合に負けても勝負には勝てましたし」

「ちっ!」


 トレヴィルから再び貼り付けた薄ら笑いが剥がれ落ちた。それがエーリックの負け惜しみではないと知っているのは不正を働いたトレヴィル本人だから。


「それに、大切な人に分かってもらえていれば、それで良いんですよ」


 エーリックが闘技場の出入り口へと視線を向ければ、その先には白銀の髪の美しい少女が微笑んでいた。


 勝ったはずのトレヴィルが何故か悔しげで、負けたはずのエーリックの方が晴れ晴れと笑顔で愛する婚約者に手を振っている。


 これではどちらが勝者か分からない。


「ウェルシェ!」

「エーリック様!」


 ウェルシェが可愛く小走りに闘技台へと上がってくる。


「ごめん、負けちゃった。ウェルシェには情け無い姿ばかり見せてしまうね」

「いいえ」


 ウェルシェは首を横に振って優しく微笑んだ。そして、彼女はいつだってエーリックの欲しい言葉をくれる。


 今だってウェルシェは……


「試合の結果は残……」

「リッ君、試合残念だったねッ!」


 エーリックに言葉を投げかけようとして、横から薄桃スエズィリ色の頭が割り込んできた。


「でも、勝てなくてもリッ君は凄かったわ!」


 言わずと知れたマルトニア学園の迷惑娘、『スリズィエの聖女』ことアイリス・カオロ男爵令嬢である。


「それに、痛みに耐えてよく頑張った。感動した!」

「あ、あなたは何を言って……」


 アイリスが一方的に捲し立て、エーリックは戸惑う。しかし、アイリスの無礼よりもウェルシェは別の事が気になった。


「エーリック様、痛みというのは?」

「ふふん、何? 気がつかなかったの?」


 アイリスは勝ち誇って胸をそらした。


「試合中リッ君が足を庇っていたでしょ。きっと前の試合で足を挫いていたのね」

「あっ、あの時!?」


 オーウェンとの準決勝、エーリックは最後にバランスを崩してよろめいた。その時に足を痛めていたのだ。


「ほらほら、足を出して」

「ちょっと、カオロ嬢!?」

「私が聖女って言われる所以を教えてあげる」


 アイリスは有無を言わさずエーリックのズボンの裾を捲って魔術による治療を始めた。露出したエーリックの足首がかなり腫れ上がっており、ウェルシェの素人目にもかなり悪化しているのが分かる。


「うわぁ、これは酷いわ」

「わ、私……ぜんぜん気がつかなくって……申し訳ありません」


 みるみるウェルシェの顔が青くなる。


「ウェルシェ、気にしない……」

「婚約者のくせに気づかなかったの?」


 エーリックの言葉を遮りアイリスが悪意ある非難をウェルシェに浴びせた。


「わ、私は……」


 いつものウェルシェならやり返していただろう。


「ぼ、僕はホントに大丈夫……」


 だが、エーリックの晴れ上がった足を見て、それに気づいてあげられなくて、アイリスの治療を眺めるしかできなくて……それが申し訳なくて、情け無くて、ウェルシェは泣きそうな顔になった。


「何もできないならあっち行って。治療の邪魔よ」


 ウェルシェは治癒術が使えないし、この場にいてもどうする事もできない。それに、喚きながらも仲が良さそうに見えるエーリックとアイリスを見ていると胸がつきりと痛む。


 無力な自分にショックを受け、ウェルシェは肩を落としてトボトボと闘技台を離れた。


(私……何も役に立てないし……もうこのまま帰ろうかな?)


 気弱な思考にウェルシェは囚われ、知らず知らずのうちに心に隙が生じていた。


 いつになく無防備になってしまったウェルシェ……


「えっ?」


 だから自分に不穏な影が急接近しているのに気がつくのが遅れてしまったのだった。

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