「あなたは私のお嬢様に暗示をかけましたね?」
「ふふふ、そんな恐い顔をしては、せっかくの美しいレディが台無しだよ」
カミラの殺気にトレヴィルは気圧されていた。それでも何とか取り繕い、軽口を叩いて余裕を見せる。
(大丈夫だ。俺にはまだ切り札が——)
残されているはずだった……
「そんなちんけな術は私に通用しませんよ」
「……」
そう、トレヴィルは暗示と幻術によって人の心を操れる。だが、先程から暗示をかけ続けていたのに、カミラには全く効いている感じがしない。ウェルシェや他の令嬢達にはちゃんと効果があったのに。
「本来ならお嬢様にだって効くような術ではありませんが……ずいぶん長い時間をかけて毒を流し込んでくれたものです」
「他の女と違ってウェルシェはなかなかガードが堅かったからな」
隙だらけの未熟な若い令嬢は暗示をかければすぐ堕とせる。だが、ウェルシェはどうにも簡単には
「あそこまで心を掌握するのに苦労させられた」
そこでエーリックとの不和を誘って揺さぶり、心の隙を作りながら徐々に暗示を浸透させたのである。
「もう少しでウェルシェを俺のモノにできそうだったんだがな」
「まさかあの娘に助けられるとは私も思いもしませんでした。あのエセ聖女、意外とモノホンなんでしょうか?」
トレヴィルの術は強くはない。だが、時間をかけてきた分、容易には解除できないはずだった。それをアイリスは一瞬で掻き消したのである。
「それにしても、随分と手の込んだ真似をされましたね」
「男ならウェルシェほどの女を欲するのは当然だろ?」
「ですが、本来の目的はお嬢様ではなかったはずでしょう?」
「ああ、マルトニアの国力を削ぐのが俺に与えられた使命」
トレヴィルはすらすらと疑問も感じず口を割る。
「マルトニアとトリナの国力差が徐々に開きつつある事を
「
「俺はマザコンじゃない!」
「トリナの国力を上げなければ
痛いところを突かれてトレヴィルは口を噤んだ。
「まあ、トリナの王妃やあなたがどんな愚者であっても私には関係ありませんが」
「重要なのはお嬢様だけってか?」
「ええそうですよ」
それまで無表情だったカミラがにこりと笑った。それがあまりに美しく見惚れたが、同時にトレヴィルにはそれが何よりも怪しくて背筋が凍った。
「あなたが個人的にお嬢様にちょっかいをかけていたのだと分かれば聞く事はもうありません」
「えっ?」
パチンッとカミラが指を鳴らすと、トレヴィルは一瞬呆けてから自分が侍女に全てを暴露したのに気がついた。
「ど、どうして俺はこんな事まで喋って……まさか俺に術を!?」
「いかがですか、逆に自分が術にはめられた気分は?」
術をかけようとして術をかけられていた。なんという間抜けな話か。
「……俺をどうするつもりだ?」
「どうもしませんよ」
トレヴィルは気取られぬよう、ジリジリとカミラとの間合いを詰め始めた。それに気が付かないのか、カミラはいつもの両手を前で揃えるポーズから微動だにしない。
「ただ、今後もお嬢様を悲しませるような真似をするなら……王族だろうと何だろうと私が殺します」
「はっ、侍女風情が俺を脅すか?」
女性を口説く甘いマスクが剥がれ、口の端を吊り上げたトレヴィルの人相が悪人のそれになる。
「君のような美人を喪うのは甚だ遺憾だが」
トレヴィルはすらりと剣を抜く。刀身が魔力灯の光を反射してキラリと光った。
「俺の目的を聞かれた以上、ここで始末する」
トレヴィルは自分の能力に絶対の自信があった。それもそのはず、彼は剣武魔闘祭で優勝する腕の持ち主。
剣を見ても無表情で怯えた表情を微塵も見せないカミラに不気味なものは感じる。自分を術にはめた腕も見事だ。だが、しょせんは女。
「ここに一人で来たのは間違いだったな」
周囲には他に気配は無い。カミラは帯剣しておらず丸腰。トレヴィルに負ける要素は無かった。
「必要ありませんから」
「俺が何もしないとでも思ったか?」
「逆ですよ」
「は?」
カミラがスカートの裾をたくし上げた。まず、黒いヒールブーツが全容を現し、次にこれまた黒い靴下、そして続いて白い膝頭とガーダーベルト……
次々に披露される美しい侍女の魅惑の領域に、トレヴィルは色仕掛けかとも思った。実際、トレヴィルは思わず見入ってしまい、ごくりと唾を飲み込んだ。
だが、更に捲り上げたスカートの中から太ももに巻かれた短剣に、トレヴィルはサッと曲刀を構えた。
「そんなオモチャで俺と戦おうと言うのか?」
「戦う?」
カミラの口の端が吊り上がる。
「違います……蹂躙です」
「なっ、消え……たッ!?」
刹那、カミラの姿がトレヴィルの視界から消えた。と思った瞬間、トレヴィルの手に痛みが走り、曲刀が飛ばされた。
「今回は未遂でしたので命まで取るつもりはありません」
「あっ、うっ……」
そして、いつの間にか背後に回られ、短剣の刃を喉元に突きつけられていた。
「あなたの目的をバラすつもりもありませんし、王家に密告する気もありません」
これからも好きに動いてください、とカミラは興味無さそうにトレヴィルの耳元で淡々と囁く。
「ただ一つだけ許されない行為があります」
「ウェルシェに……近づくな……と?」
「ええ、私にとってお嬢様以外はどうでもいいんです」
だからウェルシェに無体を働こうとすれば殺す、と短剣の殺気が語っている。
「いいですね、今後お嬢様に術をかけたら殺します。抱きしめたら撲殺します。キスをしようとしたら切り刻んで殺します」
「わ、分かった……もう手は出さない……」
トレヴィルはカミラの要求にコクコクと頷いた。カミラが自分の手に負えない相手だと痛感したのである。
「お嬢様に触れたら殺します。お嬢様に言葉をかけても殺します。お嬢様の前で息をしても殺します」
「む、無茶を言うな、ウェルシェと俺は同じクラスだぞ」
「これは冗談です」
トレヴィルは全く笑えず、顔が引き攣った。無表情に淡々と告げられて、とても冗談に聞こえない。
もう用は無いとカミラはスッと離れると、短剣が喉元から離れてトレヴィルはホッとした。本当に殺されそうで生きた心地がしなかった。いや、今だっていつ殺されるか分かったもんじゃない。
「それでは私はこれで」
もう用は無いとばかりにカミラは最初の時と同様に綺麗な一礼を披露する。確かに美しいが、トレヴィルには目の前の侍女が何ものよりも恐ろしい化け物に見えた。
「お、お前は……いったい何者なんだ?」
たかだか侯爵家の侍女がこれほど圧倒的な武力を有しているのか?
カミラという存在がとても恐ろしくトレヴィルは身体が
「あら、最初に申し上げたではありませんか」
だが、先程までの殺気が嘘のようにカミラはにこりと笑って答えた。
「私はただのウェルシェお嬢様の忠実なる