目次
ブックマーク
応援する
4
コメント
シェア
通報

閑話ネーヴェの雪④ 妾、雪薔薇の女王、いま王都へ向かう馬車の中にいるの

 ルインズと王都を結ぶ街道を一台の馬車が西へとゆっくり進む。


「いやぁ、ほんっと驚いたねぇ」


 その御者台の上で中年の男が手綱を握っていた。


 歳の頃は四十も半ばくらいだろうか。彼は各地を回って商売をしている行商人のマテウという者だ。


「あんな場所にまだうら若い異国の娘っ子が一人でうろうろしてんだからなぁ」


 マテウ肩越しに振り向けば、荷台に座る白髪の美女が顔を上げた。その顔はマルトニア人とは雰囲気が異なる。少しずり落ち色っぽい肩を露出させた白い衣服も、バスローブのように前合わせでマテウも見たのは初めてだ。彼女がマルトニア王国の者ではないのは明白である。


「異国……まあ、そうじゃな」


 その異国の風貌をした白き美女――ネーヴェは少し考えてから答えた。


 彼女の祖国ロゼンヴァイスは位置的には今いるマルトニア王国と一致する。しかし、長い月日は距離以上に祖国を遠いものとしてしまった。もはや異国と言われても仕方がない。


「お国は遠いのかい?」


 ネーヴェの隣に座る中年女性が話に乗ってきた。マテウの妻ミーシャだ。二人は夫婦で連れ立って行商を営んでいる。


「そうじゃのぉ……遠いと言えば遠い、近いと言えば近いかの」

「何だい、その禅問答みたいなのは」

「馬を駆り、幾百幾千の日を数えようと辿り着けぬところにあるのじゃ。故に遠い、しかしながら周囲を見渡せばそこに故郷の姿がある故に近いのじゃ」


 ここは確かにネーヴェの古里ふるさと。変わらぬ景色はネーヴェの胸に焦がれるほど狂おしい郷愁を呼び起こす。しかし、変わった部分がここがネーヴェの知る祖国ではないと告げ、冬の冷たく乾いた一陣の風が心の中を吹き抜ける。


「やっぱり分からないねぇ」

「ばーか、住めば都って事だろ」


 俺ら行商人と同じだなと訳知り顔のマテウに疑わしい目をミーシャは向けた。


「あたしらは馬車で行ける範囲ばかりじゃないか」

「うっ、まあ……そうだが」

「そんな意味じゃないだろ?」

「そうじゃな……全く違うのぉ」

「それ見な」


 否定されてマテウがバツの悪い顔をするとミーシャがからりと笑う。その明るさに釣られて、氷の彫像のように無表情だったネーヴェも僅かに口角を上げた。


「おぬしらはほんに仲が良いのじゃな」

「やめておくれよ、こんな宿六とだなんて」


 そう言いながらも二人は長年連れ立って行商をしている。マテウとミーシャの中年夫婦の人の良さにネーヴェは小気味良い牧歌的な温もりを感じた。


(いつの世も、どの国にも、気持ちの良い者はおるものじゃな)


 矢の如く時は移ろいロゼンヴァイスが滅びマルトニアになっても、変わらないものは必ずある。時代が変わろうと、国が変わろうと、ネーヴェは人が愛おしい。


(これは早急に『約束の薔薇プロメスローゼ』を見つけねばならぬの)


 急に黙り込んだネーヴェをミーシャは訝しんだ。


「どうかしたのかい?」

「おぬしらのような善良な者達に拾われて良かったと考えておったのじゃ」


 氷の牢獄から出たネーヴェが最初に出会ったのが、この行商人の夫婦だった。ルインズの異変のせいで近辺の村々の物流が滞っており、村人達が難儀しているらしい。マテウ達はそんな困っている村々を回っているとの事だ。


「おいおい、俺は売れるものならカカァだって売っぱらう商人様だ。あんまり信じ過ぎねぇ方がいいぜ」

「なーに悪ぶってカッコつけてんだい。だいたい、売られる前にあたしがあんたを売っぱらってやるよ」

「はっはっは、残念だったな。こんな大樽みたいな中年男じゃ売り物になるほど価値はねぇよ」

「そんなんが自慢になるかい!」

「ふふふ……」


 二人の夫婦漫才にネーヴェの氷の彫像のような顔が綻んだ。


「おやおや、やっと笑ったねぇ」

「美人は笑顔が一番だぜ」

「まっこと、おぬしらはお人好しじゃ」

「はっ、よしてくんな。俺は利益を愛する商人だぜ」

「困っている村々を回って商いしておるようじゃが?」

「誰も行かない場所は利益を独占できるからな」

「無一文の妾を見返りなく乗せておるが?」

「ちょうど王都へ戻るところだっただけだ」

「それでは利益がないじゃろう」

「それはだな………」


 言葉につまりマテウがうんうん唸る。


「ほら、あれだ、こんだけの美人を旅の間ずっと拝めるってぇ利益があんだろ」

「ふふふ、そうか、それは美人に生まれた甲斐があったというものじゃ」


 マテウの苦しい言い訳にネーヴェは笑って返した。


「何バカ言ってんだい」


 呆れ気味のミーシャが両手に林檎を持って片方をマテウに手渡した。


「ほら、あんたもお食べ」

「いや、それは売り物であろう?」

「どうせ売れ残りさ。腐らせるだけ損ってもんだろ」

「それは……うむ、かたじけない。馳走になる」


 気持ちに負担をかけないようにしてくれるミーシャの心遣いにネーヴェは感謝して林檎を受け取った。


 ――シャクリ


 齧りつけば林檎の独特な風味が鼻腔をくすぐる。そして、ネーヴェの口いっぱいに酸味と甘味が広がった。


「美味い」


 その味は時を経ても変わらぬものの一つだった.


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?