――なんて美しい
目の前の白い貴婦人を一目見たトレヴィルは瞬く間に心を奪われてしまった。いや、魂を囚われたと言った方がよいかもしれない。
――まるで奇跡のような白だ
腰まで届く真っ直ぐな髪も、長く豊かなまつ毛も、整った美しい顔や曝け出した艶かしい肩も、そして胸に咲く薔薇も、全てが一点の穢れもない純白。ただ、鉛色の瞳だけが光を失い、それがとても物悲しかった。
言葉に表せない美貌にトレヴィルの黒き瞳には他のものが何も映らない。
「そなたは……いや、そんなはずはない……」
口から漏れ出た声もまた天上の調べの如く耳に心地良い。
「トリスタンは妾の力で……」
――トリスタン?
だが、その美しき調べが知らぬ男の名を
「その黒い髪、その黒い瞳、その容貌……ほんにトリスタン?」
トレヴィルを見て驚く美しき女性は幾度となくその男の名前を呟く。トレヴィルは我慢の限界だった。もう彼女の口から他の男の名前など聞きたくないと本気で思った。
――俺はトレヴィルだトリスタンではない!
そう告げようとした矢先、白き佳人はトレヴィルの横を走り抜けて行った。
「妾は……妾はいつまでも愚かじゃ」
「あっ、待ってくれ!」
慌ててトレヴィルは手を伸ばしたが、白き美女はトレヴィルの手をするりとすり抜けた。
まるで触れる事の叶わない夢か幻の如く。
「今の女性は現実なのか……」
追って店外へ出たトレヴィルは走り去っていく白い背中を見送りながら呆然と呟いた。その白さがとても儚く、触れれば消えそうで、触れてはならない絶対不可侵のような存在に思える。だが、横をすり抜けていった時に彼女の胸に咲く白き薔薇から漂い、トレヴィルの鼻腔をくすぐった芳香は本物だった。
――俺は彼女に遭う為にこの国に来たんだ。
何の疑問も抱かずトレヴィルはそう感じた。
あの女性こそ運命の出会い、運命の恋だと。
「ちょっとあんた、ネーヴェ様に何したのよ!」
その時、店の仲からイーリヤの怒鳴り声が聞こえてきた。
「私はなんもしてないわよ!」
「嘘おっしゃい、泣いていたじゃない」
「うっさい! 元はと言えば、あんたがあの女を連れて来たのが悪いんでしょ!」
「あの女とは何よ!」
「まあまあ二人とも落ち着いて」
イーリヤとアイリスが大声でいがみ合い、それをウェルシェとキャロルが仲裁しているようだった。
「あんたら、あの女の正体知ってんでしょ」
「正体って何よ」
「しらばっくれるんじゃないわよ」
「校内で困ってたから声をかけただけよ。ネーヴェ・ローザリア様としか聞いてないわ」
「ネーヴェ・ロゼンヴァイス、雪薔薇の女王でしょうが!」
「「「えっ!?」」」
――雪薔薇の女王!?
その名前にイーリヤ達は驚愕したが、それ以上にトレヴィルはショックを受けた。
「あの美しい
トレヴィルは頭を
「彼女が俺の運命だと思ったのに……」
だが、彼女が雪薔薇の女王だというならトレヴィルの恋は絶望的。何故ならば雪薔薇の女王を陥れ、彼女の国を滅ぼす原因を作ったのはトレヴィルの先祖なのだ。
マルトニア王国で有名な童話『雪薔薇の女王』はトリナ王国の建国にも関わる。それについての伝承はトリナ王家にも伝わっていた。故に当然トレヴィルもその事実を知っている。
つまり――
「彼女にとって俺は仇敵……」
何という運命の悪戯か……
いや、雪薔薇の女王は伝説の存在。
きっとアイリスの戯言に違いない。
トレヴィルはそう思おうとした。が、不思議と彼女が雪薔薇の女王だとすんなり信じられた。さっきの白い薔薇の香りがトレヴィルの本能に彼女は本物だと告げている。
「きっと、彼女が俺の真実……」
それはトレヴィルが生まれて初めて知った恋。
それはトレヴィルに胸を締めつけるような甘酸っぱく、切なく、ふわふわしたような幸せを与えた。だが、それと同時に失恋という喪失感とやるせなさという絶望を与えもした。
「俺はどうすれば……」
初めて恋した瞬間に恋が敗れてしまったトレヴィルは、失意の中どこへともなくトボトボと歩き出したのだった。