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7話 リゴット夜戦(3)

▼夜戦


 その夜、辺りが暗くなると篝火が一斉に焚かれた。眩しくなるほどの光の中、白い甲冑を纏う白馬の人物が遠目に見える。さすがに遠くて顔までは見えないが、闇夜に煌めく銀髪に白という色は鮮烈にも映る。

 そして彼の前にはタニス軍の先鋭部隊が睨みをきかせていた。


「奴等、攻め込むつもりかな」

「そうだろうな」

「でも、どうやって? ここは難攻不落。籠城も十分にできる。何か、手を打ってあるのでしょうか?」

「分からない」


 ガレスの問いに、ルーカスは素直に答える。

 ユリエルが何を考えているのか、今は分からない。だが、攻め込むというならばそれなりに応戦しなければならない。何よりこの砦の後方には町がある。これ以上侵攻させれば民の生活に関わってくる。


「臨戦態勢、威嚇砲撃の準備。攻め込む動きがあれば、一斉砲撃を開始しろ」

「は!」


 部下がバタバタと動き出す。ルーカスはしばしそれを見た後、指令室へと戻った。


§


 その頃、本物のユリエルは森の中にいた。グリフィスの愛馬に跨り、銀髪を黒髪に染め、衣服も軽く黒い物を着て。


「ローラン、すみません。しばらく私に力を貸してくださいね」


 首元を撫で、擦り寄る頭を柔らかく撫でる。手に馴染む手綱、心が読めるような足取り。どこにも不安はない。


「さて、そろそろですか」


 ユリエルが呟くのと、爆音とともに土埃が上がったのは同じタイミングだった。威嚇射撃だろう。埃や小石がユリエルの所にまで飛んでくる。小さな石が、ユリエルの額に掠り傷をつけた。

 だがそれは同時に、既に敵の懐に入った事を意味している。口元を僅かに上げる。獅子の魂に火がついた。


§


 爆音と土埃、そして地を抉る破壊力は本陣の兵を恐怖させた。委縮したように言葉を失くす者を前に、クレメンスは溜息をついた。

 確かにこれは思ったよりも恐ろしい光景だ。あんなものを食らっては粉砕だろう。さすがは一撃で船を破壊し、砦の城壁をも突き破る大砲だ。

 だが、この雰囲気はよくない。前線を騒がせる彼らが手をこまねいては最前線を一人で走るユリエルが発見される可能性が高くなる。中途半端な挑発では効果が薄いだろう。

 ここは一つ声を掛けなければならないか。そう思っていた矢先、思いもよらない所から一喝が飛んだ。


「騒ぐな! 陛下の援護をするのが我らの役目、恐れる暇はないのです!」


 高くも低くもない、少年特有の声音はよく響いた。纏めるべく声を上げようとしたクレメンスすらも、その声には聞き入ってしまった。


「陛下は今、単身最も危険な場所にいる。その危険を少しでも減らすために、僕達はいるのです。どうか、力を貸してください」


 臆病風が吹き飛んだ。誰もがこの言葉に冷静さを取り戻しただろう。リゴット砦を睨むようなシリルの視線は頼もしくもある。


「ユリエル陛下がここに居るのかと思ったな」


 クレメンスの傍に来たグリフィスが苦笑しながらそんな事を言う。それに、クレメンスもまた苦笑して頷いた。


「まったく、大した度量だ。兄弟そろって頼もしい限りだよ」


 主と仰ぐには幼いと思っていた王子は、目に見えて逞しく育ちつつある。それを感じて、クレメンスは満足に笑った。

 グリフィスは砦を睨み、予備の黒馬に跨って騎士の顔になる。そしてクレメンスも、策士の顔に戻った。


「進め! だが、進み過ぎるな! 先の砲撃で距離は掴めた。そこより前に出ることはせず、周囲を挑発しろ。この本陣から犠牲者を出すわけにはいかない!」


 たった一人で敵陣突破などと、無謀もいい所の作戦に出たユリエルの望みはそれしかない。臣として、あの人の心に一点の曇りも残さぬ事が求められる事と心得た。グリフィスも、クレメンスもその点で意見を合わせた。

 グリフィスが剣を抜き、高々と掲げ振り下ろす。その合図に、勇猛果敢な第一部隊は戦場を駆ける。そこへ砲撃は容赦なく浴びせられた。土埃があがり、轟音が轟く。グリフィスはその間を縫い、踏み込まず、引かず、注意を引き付けている。

 それを見たルルエ軍の砲撃は更に勢いを増す。前方四台の砲撃の全てが火を噴いている。

 クレメンスの目には見えていた。赤々と上がる炎と土埃の合間を縫って実に巧みに、漆黒の騎士が戦場を走り抜けていくのを。


§


 森の中、黒馬に乗ったユリエルは機を見計らっていた。もう少し中に、できるだけ明りの届かない所まで。土埃の視界不良を利用して一気に戦場を駆け抜けなければならない。

 その時、砲弾が大地を削り大きな土埃が起こった。


「はっ!」


 馬の腹を蹴り戦場へと駆けだす。煙が上手く身を隠してくれる。明かりもそう強くはない。単騎突入を押し切った時点で身の安全など考えてはいない。身を低くし、全速力で駆け抜ける。砦まで残す所、八十メートル。


§


 轟音が響く戦場を見ながら、ルーカスは思案していた。戦いが始まった事は音で知れる。だが、この状況でユリエルが何をしてもそう簡単に地理的優位は覆らない。何より、どうやってこの砦に入るつもりだ。扉は鋼鉄製だ。


「やはり俺は、恋人を選び間違ったのかな?」


 苦笑交じりにルーカスは鳥かごの中の鷹に話しかける。鷹はそれに首を傾げ、その後は知らんぷりをした。

 ルーカスだって、今更心をどうこうできるとは思っていない。それができれば彼の正体を知った時に終わっている。この心は一つ、無理に割けば身が裂けてしまうだろう。思う気持ちは離れれば離れるほどに狂おしい。近づけば苦しい。それを上回る程に愛しい。

 その時、扉がノックされて一人の兵士が入ってくる。彼は近況を報告した。


「敵は砲弾が届くか届かないかのところで進めずにいます」

「強行突破の気配は?」

「ありません」

「……」


 強行突破も考えたのだが。それは初戦のラインバールを見れば明らかだ。そのくらいの覚悟が彼にあり、彼の無謀を叶えられるだけの有能な者が揃っている。それが進軍の気配を見せないというのは違和感を覚える。砲撃を恐れるとも思えないが。


「双眼鏡を」


 引っかかって、ルーカスは戦場を見た。辺りは夕刻のような赤に染まっている。松明と砲撃の火がそう見せている。遠目でも騎馬が右往左往しているのが分かった。おそらくグリフィス率いる第一部隊だろう。双眼鏡を覗き、それらの動きを観察する。確かにギリギリのラインを進みかねているように見える。

 だが、それが更に変に感じる。グリフィスという男は一騎当千の騎士。このくらいの砲撃に臆病になり、手をこまねいているような男ではない。単騎でもこの戦場を渡るだけの技量はあるはずだ。


 妙だ。


 それを感じ、タニス本陣に目を向ける。そこには白馬に乗るユリエルの姿がある。白い装いに、銀の髪。だが、その体は知っているものより小さくないか?

 双眼鏡を覗き、ユリエルへと視線を向ける。顔までは見えないその像は、確かにユリエルに見える。だが、やはり体が小さい。抱き寄せた体はもっと大人の体をしていた。もっと、長身だったはず。

 確信を持って、ルーカスの胸を矢が射たような衝撃と痛みが走った。妙な胸騒ぎがして双眼鏡を置き近くの戦場に目を向ける。探したのだ、愛しい男の姿を。この胸騒ぎが間違いでなければ、どこかにいるはずだ。


「!」


 見つけた瞬間、心臓が強く締めつけられて息ができなかった。単身走り抜ける戦場。戦火の中、彼はまったく臆することなく砲撃の射程圏内を抜けて懐に入り込んでいる。これでは砲撃は届かない。


「弓兵配備! 懐に入り込まれている!」


 急な指令に連絡係の兵が慌てて出て行く。ルーカスは願った。こうするのが一国を預かる身として正しい選択だ。だが一人の人間として、彼の無事を祈らずにはいられない。どうか、この砦を手放してもいいから彼が無事であるように。

 矛盾した願いを胸に、彼はこの後の事を思案し始めていた。


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