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7話 リゴット夜戦(4)

 ユリエルは砦の門まで到達した。馬を降り、鉤手を投げ込む。砲弾を撃つには必ず方向を調整する用の小さな覗き窓がある。そこに向けてロープのついた鉤手を投げ込み、引いて確認してから登りだした。ロープは切れないように細い鎖でコーティングされている。

 ユリエルが登りだしたのを悟ったルルエ兵が顔を出し、矢を射かける。だが、それにたじろぎ歩みを止めるユリエルではない。まったく臆せず短剣を片手に払いのけ、時には身に受けても登り続ける。だが、さすがに登っているその窓から至近距離で矢を構えられたのにはユリエルも覚悟した。


「死ね!」

「っ!」


 瞳を強く瞑り、心の中で愛しい人の名を呼んだ。だが響いたのは、ユリエルの悲鳴ではなく他の悲鳴だった。

 落ちてきたのは矢ではなく、ルルエ兵の死体だった。それを上手く避け、辺りを見回す。するとどの窓からも頭を出した兵士の頭を掠めるように矢が的確に飛んでくる。射手を探して一瞬視線を巡らせるユリエルの目にも、その射手は見つけられない。だが、予想はできた。

 ユリエルは有難くそのまま登り目的の小窓へと手をかける。そして、混乱の中にある室内へと足をかけた。

 室内にはラインバールで相手をしたガレスという青年がいた。見開かれた瞳に一瞬の恐怖が浮かんだように見える。だがさすがは隊を預かる人物、すぐに槍を構えてユリエルへと向かう。それに、ユリエルも応戦した。


「どうしました、ガレス将軍。私を恐れてはその槍は折れますよ」


 迫力に圧されている感じがある。おそらく合わないと感じているのだろう。グリフィスと同じ匂いがする。あいつもユリエルとはやりづらいと言っていた。

 それでもガレスは槍を振るい、一合二合と鋭い音を響かせる。その間に周囲にも気を巡らせ、鋭く声を発した。


「他は逃げろ! いいか、手筈どりだ!」

「は!」


 突然の侵入者に惚けていた他の兵もガレスの声に我に戻ったらしい。バタバタと動き出す。これはむしろ願ってもない展開だ。後は目の前の彼をどうするかだ。

 鋭いガレスの攻めの一手が、ユリエルの脇をすり抜ける。一歩後退したユリエルを更に追い詰めるように槍が横薙ぎに切り付けてくる。その流れや戦闘センスは決して悪くない。ただ、室内という環境とユリエルとの剣の相性というものがある。

 飛び込むように懐に入ったユリエルの目は、飢えているようにギラギラと光る。完全にスイッチが入っている目だ。その瞳に臆したのか、ガレスの槍が僅かに鈍った。ユリエルは切り込む。それは槍の柄に受け止められたかが大きく軋ませた。耐えきれずに一歩後退したガレスを追い詰めるように、ユリエルは剣を振るった。

 思わず体を強張らせたガレスは諦めただろう。ユリエルも捕えたと思った。だがその寸前に、黒い影が差す。早い動きでガレスを背に庇い、ユリエルの鋭い剣を受け止めたその人は見た事のない鋭い瞳をしていた。


「陛下!」


 漆黒の衣服に大剣を構えたルーカスの視線がすぐ間近にある。興奮したものが一気に醒めるような気がしてくる。だが同時に、楽しくもあった。彼と剣を交えるのはこれが初めてだ。


「ガレス、お前も下がって退却の準備だ。ここは俺が引き受ける」

「ですが陛下!」

「早くしろ! 二人で立ち往生している場合ではないぞ」


 鋭い命令の言葉にガレスはその場を離れる。それを見届け、ユリエルはルーカスの剣を押して飛びずさった。


「は!」


 ユリエルの剣は鋭さを失っていない。容赦なくルーカスを狙って突き込む。だが、ルーカスもそれを華麗に受け流していく。そして一瞬の隙に距離が縮まり、剣を受けた。

 痺れるように重い剣だ。その力だって強い。瞳は鋭く、だがどこか甘く。こんな場面なのになんて魅力的な表情をしているのだろう。今にも甘い声で誘い込まれそうな、そんな予感さえあった。


「もう少し真剣にやれ!」


 剣を押し込み距離を取り、ユリエルの剣がその首を狙って突き込む。だが、ルーカスは余裕の表情でそれをかわし、逆に一歩踏み込んで手首を掴み上げる。腕を引かれバランスを崩したユリエルは抵抗できないままに彼の胸に納まり、深く口づけていた。


「んぅ!」


 いきなり深く侵入した舌が熱く絡み悪戯をする。弱い部分を掠めるたびに体から力が抜けていく。頭の中が甘く溶かされて、体の芯が熱くなって、騎士の顔から恋人へと変えられていく。


「ふぅ、ふぁ……」


 息が苦しくなるくらい長く感じる口付けにクラクラする。腰に回った力強い腕がなければ情けなくへたり込んだだろう。それくらい巧みで、甘くて、情熱的だ。

 唇が離れる。至近距離で見つめる瞳に、もう厳しさはない。あるのは大きく包むような優しさと、誘惑する甘い熱だ。


「無茶をしてくれる。こんなに傷がついて」


 額、頬、肩、腕。小石が掠ったり、矢が掠ったりした傷に気遣わしく触れたルーカスの瞳が悲しげに歪む。彼には悪いが、ユリエルはその顔を見るのが嬉しかった。


「大したことはありませんよ」

「痛まないか?」

「今は興奮状態ですからね。それよりも、貴方も早く逃げてください。ここは落としました。あまり長くタニス軍を足止めもできませんし」


 少し事務的に言ったユリエルに、ルーカスは困った顔をする。そして、重く溜息をついた。


「正直に言えば、ここを落とされるのは予想外だ。無茶な事をして。どうして攻めた?」

「物理的に戦いを停止させたかったので。貴方ならこちらが攻めれば背後の町を守る為に橋を落とすだろうと思いましてね」


 悪びれる様子もなく言うユリエルに、ルーカスはますます困った顔をして笑う。そして一つ、肯定のように頷いた。


「攻めあぐねているという状況は長く戦闘を停止させるには弱くて。とにかく、国内の事を整理するにも時間が必要だったのです。橋を落とせば物理的に行軍は不可能。短くても、数か月の猶予が出来ますから」

「爆薬はしかけた、俺が橋を渡れば爆破の予定だから気を付けろ」


 その言葉に、やはり彼とは考えが似ているのだと改めてユリエルは思い、安心した。

 互いに剣を納め、ユリエルはルーカスに誘われて執務室兼寝室へと招かれた。綺麗に片付けられたその部屋では、季節外れの暖炉に火が入っていた。


「君が単身攻めてくるのを見て、落ちるだろうと思ったからな。重要情報は諦めろ」

「用意のいいことで」


 呆れたように溜息をついたユリエルに、ルーカスはおかしそうに笑う。なんだかおかしな関係なのだが、とても自然に思える。

 ルーカスはそのまま窓際にある鳥かごへと近づいていく。そして、その中にいる一羽の鷹を腕に乗せて、ユリエルの前に連れてきた。


「名はフォレ。優秀な奴で、どこにいても俺の居場所を見つける。これを、君に預けたい」

「え?」


 ユリエルは戸惑った表情でルーカスを見た。彼の腕に掴まったまま、鷹のフォレも戸惑ったようにしている。


「あまり他人に懐かないんだが、お前なら大丈夫だと信じている。連絡用に」

「私は鷹の世話をしたことはありませんが」


 言いながら、ユリエルは真っ直ぐにフォレを見る。そして、ルーカスの腕に平行になるように腕を差し出した。その腕に、フォレは戸惑いながらも乗ってくれた。

 加わった重みがいっそ心地よい。小さな頭を摺り寄せるように下げるフォレを優しく撫でながら、ユリエルは微笑んでいた。


「よろしく、フォレ」

「問題ないみたいだな。それにしても薄情なものだな。育てた恩はどこにいったんだ?」


 恨みがましい声を作って言うルーカスに、ユリエルはクスクスと笑う。そうしてひとしきり笑った後でユリエルはフォレを鳥かごに戻し、名残惜しそうに抱き合って、別れを告げた。

 階下が僅かに騒がしい。


「切ないものだな。戦場で顔が見られるのは嬉しいが、同時に戦う事になるのだから」

「私も同じです。貴方と会える僅かな時間にときめき、剣を交えて苦しくなる。もしも貴方を傷つけたらと思うとゾッとする」

「そうなる事はないと誓おう。俺は決して、君の剣にはかからない」


 軽く笑い、大きな手が背を軽く叩く。その手が肩を叩いて、ユリエルの脇をすり抜けた。遠ざかる足音を聞いているのは切なくなる。その音さえも愛しくて離れがたい。瞳を閉じ、その音が聞こえなくなるまで動かないユリエルは、やがて瞳を開けて階下へと向かった。

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