▼レヴィン
シリルの精神的負担が大きい。ブノワなんて本当に小物だった。ブラムのかける負担はシリルを追い込んでいる。
レヴィンは許されるなら斬り伏せたい思いだった。晩餐の日に見せたシリルの様子はあまりに痛々しくて冷たくて辛かった。彼はあんな目をする子ではないし、とても優しいはずだ。それを、あんな言葉で傷つけるなんて。
思い出すだけで心が荒む。それでも奴の対応は正論だ。臣と主の間には明確で深い溝がある。今まではそれを当然のように超えてきたが、本来は踏み越えてはならない。それを言われるとレヴィンもどうしようもなかった。
その時、扉を叩く者がいた。開けると、そこにはアデルが立っていた。
「レヴィン将軍、父が貴方と話したいと言っております。どうか、ご同行願います」
「断る」
「よろしいのですか?」
アデルは父と同じ青い瞳をレヴィンに向ける。そこにこれと言った感情は浮かんでいない。だが、逃す様子もない。
「応じておくほうが無難です。シリル殿下に危害を加える事はありませんが、必要な協力を断られれば困るのは国のほう。お味方の少ないユリエル陛下の味方が更に減れば、窮地に立たされるのでは?」
アデルの言葉に奥歯が痛くなるほどに食いしばる。許されるなら切り捨てたい気持ちが更に増した。
「オールドブラッドの繋がりの強さは、知っているでしょう。父を殺せば今後一切、我らの協力は得られない。貴方がその引き金を引くので?」
「……分かった」
こいつらに勝てる見込みはない。ついていかなければユリエルが困窮する。それはレヴィンも望まない。
苦々しく部屋を出て、アデルの後についていった。
招かれた部屋に入ると、ブラムがワインを片手に待っていた。対面に座り、同じようにワインを注がれる。
「どうぞ」
「どうも」
少し酒でも入れないと舌が鈍りそうだ。レヴィンはワインを飲み干して置き、睨むようにブラムを見た。
「そのような目をされると恐ろしくなります、レヴィン将軍」
「喧嘩を売っているのはどちらだ」
「喧嘩など。国を思い憂えるからです」
食えない笑みを浮かべたブラムが更にワインを一口飲み込む。そして、ここからは笑みを消した。
「レヴィン将軍は、シリル殿下とはどのくらいの付き合いになる」
「半年ほどだ。王都陥落の際に随行してからだ」
「それにしては随分、仲が良いように思いますな」
レヴィンの心は強く鳴った。不安が胸を締めるのだ。この男が何を言いたいか、分かりかねる。
「窮地を共に乗り越えた故の信頼でしょう」
「よもや、あるまじき仲ではないだろうな?」
スッとブラムの瞳が細く鋭くなる。それに、レヴィンも堂々と見据えた。
「何のことだかわからないが」
「シリル殿下は随分と、お前を頼りにしている。片時も離さないと言わんばかりだ」
「トイン領での一件もあり、安心できないのでしょう」
「私の目を欺けると思うのか?」
ドキリとしてしまう。そして、やっぱりこういう相手は苦手だと思える。人の視線、表情の一瞬を捕らえてその心中を察する事ができる。そういう陰湿な駆け引きを長年してきたのだから。
「お前がシリル殿下を見る目は、実に切なげだ。案じていると言うには過ぎたものがある。熱のある瞳で主を見るなど、あってはならない」
「可愛い弟のように思える殿下の身を案じて何が悪い」
「弟! そのような感情を持つこと自体が不敬だ。あの方は王になる方。いずれ民を導く尊い方だ」
自分の感情を無遠慮に暴かれ踏みつけられるというのはこんなに不快なのか。レヴィンは睨み付けるようにブラムを見る。堂々とした男は、それにも怯むことはなかった。
「ユリエル陛下をさしおいて、貴殿も不敬だが」
「あの王は乱世の王。今はそれでも良いが、国が落ち着けば不要なものだ。あのような革新的な王が上に立ち続ければ、いずれ良くない結果を招きかねない」
「勝手な言い分だ。まるで自分たちこそが国を動かす王のようではないか」
「その通りだ」
隠す事もなく言いのけた男の顔を、レヴィンはマジマジと見る。王よりも偉いと、堂々宣言したようなものだ。怒りがこみ上げてくる。こんな勝手が許される謂われはない。
「民を平穏に治められぬ王は王にあらず。治世は短いだろう。乱世を治められればそれで十分だ」
「使い捨ての道具のような言いようをする事は許さない。俺の主はユリエル陛下だ。主に弓を引く者を臣が許す事はないぞ」
「臣? 自らを臣と思っているのか」
片腹痛いと笑うブラムを睨み付ける。レヴィンはずっと自らも臣であると思っている。政治に関わらなくても、戦う事しか出来なくてもあの人の側近のような存在であると自負しているのだ。
だが、ブラムは嘲るような瞳でレヴィンを見る。ともすれば憐れみまで含まれている。それが余計に腹が立った。
「哀れな天使よ、自らの足元を見てみよ。お前に何がある。腕が立つだけで国の中枢に立てるものではないのだぞ」
「!」
レヴィンの瞳が大きく見開かれる。それを見て、ブラムはニヤリと口元を歪めた。
「知らないと思ったのか? ダレンが天使を養子としたのは、古い者なら知っている。ダレンの養い子なら、天使だろう」
首を取ったかのような言いようだ。その中で、レヴィンの心は冷えていく。殺気が増し、父の側に控えていたアデルが恐怖するのが伝わった。
「身の程を知れ、あるはずのない者よ。お前に何が残っている。僅かな命と罪ばかりではないか。その手に染みた罪の数を忘れたのか?」
「……分かっていないのは、お前だ」
睨み付けるレヴィンは既に殺気を隠さない。殺すかどうかはまだ決めていない。この男が死ぬのは都合が悪いが、死んだことも分からないようにする方法は知っている。賊に襲われたように装う事も、失踪に見せかける事もできる。何度となくやってきたのだから。
「俺が天使なら、知っているだろ。素手の一つで人が殺せる者がいる。血など流さず声もなく殺し、字を真似て遺書をしたためる事も可能だ。声を真似、姿を真似る事すらも容易だぞ。お前の目の前にいるのは、そんな化け物だ。お前達が作り出した化け物だ」
こみ上げる怒りをぶつけると、側でアデルは一歩下がった。腰を抜かさないだけ強いだろう。そして目の前の男はそれでも笑みを浮かべている。
「知っている。命を食われ哀れにもがき、翼をむしる哀れな存在。幼くして死ぬ方が苦しまなかっただろうに、生き延びて絶望しているだろうな」
「なに!」
怒りに立ち上がる、その視界が急速に歪み崩れた。頭が痛む。体を保つ事ができない。
「長く闇を忘れた天使は牙を抜かれたのか。お前が天使であるのは知っていた。最初に手を打っていなければ、恐ろしくて相手もできない」
「くっ……そぉ…」
頭が痛む。最初のワイン……グラスに薬でも塗ってあったのか。
「殿下には理由をつけて言っておく。なに、少し側を離れて後を追うからと言えば納得してくださるだろう。お前の代わりには私の息子をつけておく。お前ほどには腕が立たずとも、これも並みの兵以上には手練れだ」
ガンガンと痛む頭をどうにかしようと振っている。意識が保てない事に苛立ち、腕に爪を立てて握りしめた。肌が裂ける痛みでも頭の痛みは消えない。打ち付けられるような痛みを引きずって、レヴィンは意識を手放した。