レヴィンの部屋を隣にと言った事には、応じてもらえなかった。レヴィンの「ここでは滅多な事はないから心配は無用です」と臣下のような丁寧な言葉に従うよりなく、側の部屋にはしてもらった。
不安がこみ上げてくる。ここの者の言葉は確かに正しいだろう。王族たる者の振る舞いや心得を重視し、交わることをよしとしない。それは正しいのかもしれない。
けれど違うのだ。今までとても側にいたのに突然離されるのは不安しか残らない。寂しくて、悲しくなる。けれどもう、それを口にして甘える立場にない。シリルはひたすらに耐えるしかなかった。
夜、シリルは晩餐に呼ばれた。ブラムとアデルとシリルだけと言われたが、流石にシリルはレヴィンを側につけた。同じ席に着くことは許されなかったが、側に控える事は飲ませた。
「国王陛下は息災ですか?」
大きくはないテーブルに腰を下ろし、品の良い料理を頂きながらの会話は緊張こそすれ楽しくはない。それでも精一杯に愛想良く、シリルは笑った。
「はい。日々の職務と先の戦場を睨みながらではありますが、息災に過ごされていました」
「それは何よりです。ルルエとの戦が起こり、案じておりましたもので」
「陛下は騎士としてもとても強い方です。それに、側には一騎当千の騎士グリフィスや、知将クレメンスもおります。心配には」
「それこそが懸念なのです」
ブラムの言葉に、シリルはまた嫌な感じがした。視線がレヴィンを見ている気がする。シリルの後ろに姿勢良く控えているレヴィンは知らぬ顔だ。
「戦場ということで側に臣もつけず、いるのは軍人ばかり。陛下も軍寄りの方だ。そちらにばかり目が行かねばよいのですが」
「陛下は民を考え、国を考えている。だからこそ僕を遣わしている。敵地のような国家の中で戦う主を、信じられぬというのか」
スッと瞳を細め、シリルは冷たい声で言う。胸の中でムカムカとした気持ちが沸き起こる。腹の中が熱くなる。声を荒げたり、力に訴える事はできない。否、それをしたら負けのような気がする。
ブラムが伺うようにシリルを見て、柔らかく笑った。
「年を取ると余計な心配が先に立つのかもしれません。現王陛下はとても優秀な方だということはよく存じております。これほどの戦が起こっていても国内は静かなもの。それどころか戦にも勝ち、長年攻略できなかったラインバールを平定した。あのように強き王があることは、誇らしい思いです」
これは本心か、見せかけか。この男の事が少しだけ理解できた。表情、言葉、どれも信じてはいけない。腹の中では何を思っているか知れない。
唯一本音があるとするならば、シリルやユリエルへの不満だ。試しているのか、苛立ちを煽っているのかは分からない。けれど、多少なりとも思うところがあるのだろう。
「ですが、陛下はまだお若い。見落とす事も多いだろうと案じているのですよ」
「では、領を出て陛下の前に進み出て臣下の礼を示すが先ではないか」
刺すようにシリルは見据えて口にする。背後でレヴィンが驚いたのが分かった。振り向いたりはしないが、僅かに空気が揺れたように感じたのだ。
「陛下が即位して、多くの腐敗役人や臣がその罪を問われ去った。それに際し、国政に携わるよう要請はなかったか」
「あったように思いますが」
「それを断り、臣として側近くに行かぬ者がいらぬ心配ばかりをするのか」
シリルのそれは追求だ。心が尖るのを感じる。尖った心は多くを傷つけるように刃を持つのかもしれない。それをこんな形で自覚した。
ブラムはほんのわずか驚いたように目を見開いた。だが直ぐに、穏やかな笑みを取り戻した。
「殿下の責めは最もなこと。ですが私は国政に関わるにはいささか年を取り過ぎました。陛下にはその旨を伝え、臣としての務めを辞退いたしたのです」
「ならば陛下の行いやその心を疑うな。あの方は民と国を思い、憂いながらも進んでおられる。傷を負いながらも戦い、兵を鼓舞し民に安心を与えようとしている。その心に、やましいものなどない」
ユリエルの苦しさを知らない奴に、痛みを知らない奴に酷く言ってもらいたくはない。あの人はとても辛いんだ。想う人と共にある事も叶わないんだ。
シリルはそれ以上何かを言うことを止めた。これ以上は本当に気持ちが沈み込む。心が苦しくなってしまう。思うのだ、ブラムにはシリルの言葉は届かないだろうと。
その夜、シリルはレヴィンを部屋に呼んだ。ブラムはいい顔をしなかったが、「今後の日程や経路を確認したい」と言えば煩く言わなかった。
食事を終えたレヴィンが部屋に入ってすぐに、シリルは彼に抱きつきその胸に顔を埋めた。心が安らぎ、緊張が解ける。尖った心が丸みを帯びて優しく緩むのが分かった。
レヴィンもそっと、背中に手を回して抱き寄せ、よしよしと背を撫でてくれた。
「苦しかったね、シリル」
「レヴィンさん」
「優しいからこそ、辛いね。怒ったんだよね」
頷いて泣いてしまいたかった。受け止めてくれる人がいる安らぎが涙を誘う。緊張が解けてしまった。
レヴィンは分かってくれたんだ、沢山の悔しさや怒りを。
「早くここを出たいです」
「分かってる。明日一日は仕方がないけれど、明後日には発とう」
「はい」
明日は領の視察がある。これは公務だからやらなければいけない。国王代理なのだから、これをおろそかにするのはユリエルの顔にも泥を塗る。
「明日はずっと側にいてください。ブラムに何を言われても、僕はレヴィンさんを離しません」
「あら、嬉しいな。そんなに熱烈に求めてくれるの?」
なんて、軽い調子で言ってくれる。分かっている、これはこの人の優しさ。硬く苦しい気持ちを和らげてくれようとしている。今甘やかしてくれるのもそうだ。
シリルは顔を上げて、ほんの少し伸び上がる。最近背がまた伸びた。昔は遠かった距離がまた少し縮まった。手を頬に添え、そっと寄せる。レヴィンも拒まなかった。自ら少し体をかがめてくれて、唇を触れあわせた。
優しくて、温かいものが溢れてくる。安心してしまう。じわりと痺れるように、震えてしまう。至近距離から覗いた紫の瞳は、優しく笑っていた。
「さぁ、お休み。ぐっすり眠るんだよ。疲れた顔をしていたら、心配になるから」
「はい」
出来れば触れるほど側にいてほしい。その腕に抱いて眠ってもらいたい。戦場のテントの中が一番安らいだなんて言ったら、困らせてしまうだろうか。狭い簡易のベッドの中で身を寄せ合って眠ったあの時が、今までで一番幸せだったかもしれない。
翌日、シリルは領地の視察を行った。本当に領地は豊かで民は笑っている。実りの良かった今年は特に潤い、店先には色とりどりの野菜や果物、肉や魚が並んでいた。
レヴィンは昨日の言葉を守ってくれた。シリルの側にずっと付き添ってくれた。横を歩いてはくれないものの、背に感じる暖かさは心強かった。
その夜、シリルはブラムに明日ここを発つ事を伝え、もう一度国政に携わってくれるよう伝えた。だが答えは予想通り「既に年ですので、お力には」というものだった。
要請しておいて言うのもなんだが、安心した。この人を側に置く事は、気が休まらなくて嫌だったから。