「さて、知っている事を教えてください。言わないなら、このままジュゼット領へと貴方を引きずって行きます」
「俺を人質にしても無駄だ。父はそんなものに応じる事は」
「国軍に囲まれ、目の前で一人息子が徐々に体を小さくしていっても、そう言いますかね?」
「え?」
信じられないものを見る目で、アデルはシリルを見た。まったく笑っていない目が見下ろしている。ゾクリと背に震えが走った。
「耳を、指を腕を。徐々に削がれていく様を見ても、国を正し、王を諫めるなんて言える者がいますかね?」
「冗談を……」
「冗談? 僕は冗談なんて言わない。本気です。あの男が五体満足にレヴィンさんを返さない時には、覚悟してください。失ったものを戻す事はできないので、僕は怒って貴方とあの男に八つ当たりをするかもしれません」
「そんな事! 王族たる身がそんな残酷な事をすれば民が!」
「民も王も関係ない! 加虐だと責めるなら責められたっていい。残酷だと陰口を叩くなら勝手にしていい。殺せと叫ぶなら、僕の胸に剣でも何でも突き立てればいい。失う怖さを前に、これ以上の痛みなんてない!」
叫ぶような言葉は痛みが強く苦しみが押し寄せてくる。シリルは泣いていた。泣いている事にすら気づかないほどに苦しみながら、曇った瞳を向けていた。
「レヴィンさんが消えて、苦しみに耐えられるとも思っていません。他にもいい人はいるなんて、想いを知らない者の言葉です。あの人がいるだけで、僕はどんなに辛くても戦える。痛くても耐えていける。けれど、あの人がいなくなったら世界は壊れてしまう。僕はその中で生きる事はしない」
静かに口にしたシリルが、剣を引いた。心の中を吐き出して、少し落ち着いたのかもしれない。
その時、ノックの音がしてもう一人男が入ってきた。優男のような男が身に纏っているのは国軍の制服。その男はアデルを気の毒そうに一瞥しただけで、直ぐにシリルの側へと来た。
「第三師団五百騎、いつでも動かせます。後、ユリエル陛下からの急使についても裏が取れています。ご本人には確認していませんが、昨夜レヴィン将軍らしき人物が砦を通過した記録はありませんし、急使を通した記録もありません」
「ご苦労でした、アビー将軍」
急速に進む事態にアデルは焦った。本当に国軍が五百もジュゼット領を囲えば、民はどうなる。シリルのこの様子では、簡単には終わらない。民が傷つく可能性すらもあるじゃないか。
しかもユリエル陛下を語った事を本人が知ったら、どうなる。情に厚い方だと聞いている。前線が止まっている今、動こうと思えば動けるだろう。国の使者を監禁なんて、知れたらこちらが謀反人だ。
いくらオールドブラッドが横の繋がりを持っているとは言っても、このような事情なら見放されるだろう。「王を傀儡にしようとした」と言われ、捨てられる。この辺はとても冷淡な者達だ。
「まったく、面倒な事をしたものだね。ブラム殿も老いて気が急いたかな」
アビーは気の毒そうにアデルを見下ろし、乱暴に前髪を掴み上げる。言っている事と視線と行動が一致していない。これも狂気だ。
「シリル殿下の狂愛に気づけないようじゃ、いらない目だね」
こいつもよほど狂気だ。アデルは身に感じる恐怖に目を見開いた。
「シリル殿下、俺から一つお願いがある」
ヒューイが手を上げ、僅かにシリルが表情を崩す。それに安堵してか、ヒューイはとても良心的な提案をした。
「ブラム殿をここに呼んではどうだ」
「なぜ?」
「流石に責のない領民に必要以上の恐怖を与えるのは、領主という立場から賛成しかねる。罪があるとすればこの親子だ」
「連帯責任ではありませんか?」
「共謀も出来ない民を相手に無茶を言うのは止めてください。それでは貴方はブノワの圧政を正せなかったとして、トイン領に住まう民にまでその責を負わせるのですか?」
これには流石にシリルも考えた。考えたうえで、穏やかに笑った。
「分かりました、聞き入れます。手紙を送りましょう。明日の、日の落ちる前までに来なければ乗り込みます」
「直ぐにその旨を認めて急使を送ります」
「それ、僕が持って行くよ。僕たちは早いし、腕も立つしね」
「僕も同行しよう。アルクース殿だけでは守りに不安が残る。国軍を相手に手を出すほど、あの御仁ももうろくしてはいないだろう」
シリルは丁寧に手紙を書く。それをアデルは絶望の眼差しで見た。こんなものに父が乗ってくるはずがない。子を見捨てる事など容易な人だ。
自分は殺される。それを無言のままに受け入れ覚悟していると、不意にその目の前に何かが落ちた。続けざまに指先に触れた痛みに、小さく呻いてしまう。
「おい、殿下! こいつも手紙に添えてやんな!」
腕を押さえ背に乗っている男が落としたのは、誰かの耳だった。その切り口に僅かに切ったアデルの指の血を塗りたくっている。冷たい他人の肉にゾワゾワと背が寒くなり、恐怖と嫌悪で叫びたくなる。
「脅しに手紙だけじゃ弱い。こっちは本気だってのを知らせてやれ」
「分かりました」
「うわぁ、血染めの耳入りラブレター。正直怖すぎてトラウマになりそう」
「優しいシリル殿下にここまでさせるなんて、ブラム殿はバカな事をしたものだ」
血濡れた耳を布で包み、それまで本当に封筒に入れて封蝋をしてしまった。異物が入っている分、封筒は歪な形をしている。それを受け取って、アルクースとアビーは出ていった。
「さてと、こいつは地下牢にとりあえずかな」
「お願いします」
シリルは言って出て行ってしまう。なぜだかこの瞬間が、一番安心出来た。