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2話 来訪者(1)

「私に客?」


 執務室に来訪を伝えた者は、恭しく礼をしたまま頷いた。


「リジョン公国の商人で、ツェザーリ・メンデスと名乗る者です。なんでも、陛下に忘れ物を届けに来たと言って大きな木箱を一つ持参しております」


 聞いた事のない商人だ。だが、なにか引っかかる。ユリエルは傍らのクレメンスを見た。


「箱の中身は改めたか」

「それが、とてもデリケートな物なので触れる事も見る事もできない。ただ、拾ったのだと言っております。陛下、いかがいたしましょう」


 リジョン公国は行商の国。海の先にある彼の国の商品はこの国にはない魅力のある物が多く、人気でもある。だが同時にそれらを扱う商人達は油断ならない。為政者に取り入り荒稼ぎしようという者も多くいるのだ。

 だが、何かが引っかかる。その人物の物言いと、謎の木箱か。


「分かった、謁見室に通せ」

「陛下」

「箱もそのまま持ち込んで構わない。中身も改める必要はない」


 クレメンスは渋面を作ったが、ユリエルはこの妙な引っかかりが気になってしかたがなかった。見過ごせば災いになる。そのような気がしてならないのだ。


 謁見の間で膝を折って待っていたのは、なんとも食えない様子の商人だった。

 薄い色合いの金の髪は顎のライン辺りで切りそろえられ、ほんの僅か顔を隠している。年の頃もいまいち分からない。若くて二十代の前半、上に見れば三十代にも見える。青と緑の中間辺り、リジョンの者に言わせると「国の色」と言われる明るい色合いの服に白いズボン、薄い水色のローブを緩く革編みのベルトで固定している。


「お前が、リジョン公国のツェザーリか」

「はい」

「表を上げろ」


 行儀良く膝を折り垂れていた頭が上がり、瞳が開く。細い瞳はそのくせ実に鋭い光を宿している。日に照らされた海のような澄んだ青の瞳は、ユリエルを捕らえて僅かばかり呆けたように見開かれた。


「わいはツェザーリ言います。麗しの陛下のご尊顔をこの目で見ることが出来ました事、実に恐悦至極でございます」


 実に奇妙な言葉とイントネーションだが、ツェザーリのタニス公用語はこれでも丁寧で上手い方だ。リジョン公国という国の人間がタニスの公用語を話すと、どうしてもこのような奇妙な言葉になる。酷い者など聞き取る事が難しいレベルになるのだ。それを思えば、この男は上手い。


「社交辞令も前置きも必要ありません。本題を問います。その箱はなんですか」


 冷たいとも取れる凛とした声に、ツェザーリの細い瞳が僅かに開き口元に笑みが浮かぶ。鋭さと腹の黒さが窺えるものだ。


「陛下はせっかちやな」

「意味のない長たらしい口上が嫌いなだけです」

「ほんまに気持ちのいいお人や。ほな、お受け取りください。先にも伝えた通り、わいは拾い物を届けにきよっただけです。これは元々陛下のもの。どうか、お納めください」


 「失礼を」と先に断りと入れ、ツェザーリは立ち上がって木箱へと歩み寄る。丁寧に箱の上を開け、横の奇妙な留め金を外すと正面に見える側壁が前へと倒れ、中が露わとなった。


「!」

「どうか、お納めくださいませ」


 立ったまま慇懃に礼をするツェザーリなど、もうユリエルには見えていない。立ち上がり駆け寄るようにして近づいたユリエルは、箱の中に蹲る女性の肩に触れた。


「フィノーラ、どうしたのです! ヴィオは? 貴方の仲間はどうしたのです」

「陛下……」


 白い髪に透き通るような青い目の女性は、美しい人形のような瞳に憔悴と絶望と悲しみを沢山にため込んでいた。それがユリエルを見ると緩み決壊したのだろう。見る間に溢れた涙を恥じるように俯き、手で強引に拭う。その手をやんわりと止め、ユリエルは胸に納めて背を撫でた。


「何か、あったのですね」


 問えば静かに頷く。だが、緊張が切れて一度しゃくりあげ始めた胸はそう簡単にはおさまらない。顔を隠し背を撫でて、ユリエルは存分に彼女を泣かせた。


「今は構いません。大丈夫、私は貴方の味方です。今は思うままに吐き出しなさい。その後で、何が起こったのかを話して聞かせてください」

「申し訳、ありません」

「いいのですよ。辛かったのですね」


 柔らかく穏やかに言うユリエルの側で、ツェザーリはとても意外そうな目をしていた。


「クレメンス、奥の部屋を用意してください。それと、シリルとレヴィンにも声をかけて。何か温かなものを用意してあげてください」

「かしこまりました」


 丁寧にクレメンスが礼をして去って行った後、ユリエルは表の顔を脱ぎ去ってツェザーリを見た。


「彼女を連れてきた事には礼を言います。ですが、ここから先は覚悟なく踏み入れれば身の破滅。礼金を手にして全てを飲み込むか、私に加担するかをこの場で決めなさい」


 鋭い視線に一瞬気圧されたようなツェザーリは、だが次にはニンマリとキツネのように笑う。なるほど、まっとうな商人ではやはりないようだ。


「お付き合いさせて頂きます、陛下。わいもここまで乗りかかっとりますし、思いのほか面白いお人のようや。深く関わるのも、また一興」

「物好きめ。だが、いいでしょう」


 フィノーラの手を引き、ツェザーリを連れて奥へと下がったユリエルの目は終始厳しく引き上がったままだった。

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