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5話 仲間であり、友であり(1)

 キエフ港へと寄港してすぐ、ユリエルは借りていた屋敷にヴィオを運び込みロアールへと治療を命じた。

 服を脱がせるとその傷が露わとなり、思わず目を背けたくなる。顔にはそれほど傷がなかったが、腹や背中、腕、足といった部分は何度殴られたのか、青あざが痛々しく広範囲に広がっていた。


「これは、拷問にしても酷いな」

「ロアール、絶対に助けてくれ。彼は私のかけがえのない友だ」

「あぁ、分かっている」


 万が一を考えてロアールを呼んでいて正解だった。

 彼は丁寧に触診をし、骨を診たりしている。それらを一通り終えて、ほっとした顔を見た瞬間にこちらも気が抜けた。


「とりあえず、骨に異常はなさそうだ。内臓も触診の感じは大丈夫だが、胃の方は少し反応が鈍そうだ。軽い所からだな」

「よかった」


 本当は甘い物を食べさせてあげたかった。彼は素朴な焼き菓子などが好きで、子供みたいに嬉しそうに笑うから。

 そんな子を、こんなにした。それだけで怒りは湧いてくる。


「指先とかは骨折まではいってなくても、ヒビはありそうだな。治療するから、陛下はフィノーラ嬢に伝えてやって」

「分かりました」


 これで彼女も安心するだろう。

 ロアールの言葉を受けてユリエルは退室し、そのまま一階へと降りた。


 一階の食堂はまるで葬式会場だった。机に肘をついたフィノーラは眼光鋭く不穏な空気を漂わせ、それをアルクースが宥めている。そしてツェザーリはこれをオロオロ見ているのだ。

 ユリエルが入ると皆がそれに気づいた。特にフィノーラは立ち上がり、片足をやや引きずりながら駆け寄って胸ぐらを掴んだ。


「陛下! ヴィオは!」

「姐さん、その掴み方は間違いなく喧嘩上等やで」

「ツェザーリ、ツッコむ元気があるならアルクースを助けなさい」


 まぁ、思い切り喧嘩を売られている時の掴み方であるのは確かだが。

 でもそれだけヴィオが心配なのだろう。ユリエルは微笑み、彼女の頭をポンと撫でた。


「ロアールが治療しています。命に関わるような怪我ではないそうですよ」

「っ! よか……」


 途端、彼女は両目にたっぷりと涙を溜め、両手で口元を隠して静かに泣いた。

 悲劇の夜を生き延び、今まで支えあって生きてきた姉弟だ。それほど、互いの存在は大切なものなのだろう。だからこそ彼女のこの涙は綺麗で、とても温かく思えた。


「無事やったか。よかったな」

「本当に。これで何かあったら僕、フィノーラをどう慰めていいか分からなかったよぉ」


 今まで気を揉んでいたらしい二人にも安堵の様子が見られる。これにも素直に苦笑して頷き、まだ涙が止まらない彼女を促して食堂に椅子に腰を下ろした。


「打撲痕などは酷いものでしたが、幸い骨や内臓に異常は今の所みられていません。時間が経たないと分からない事もあるとは思いますが、ひとまずは。今はロアールが治療をして、側についています」

「あのブタ、いびり殺してやる」


 地を這うような声のフィノーラがそれは恐ろしい形相をしている。普段は上品な淑女だからこそ、こんな時は怖いと思えるのだ。


「グリオンの処遇については……まぁ、既に国家反逆罪で死罪は確定しているのですが、どうしますか?」


 これはフィノーラへの問いかけだ。彼らバルカロールの面々は元々捕らえた大商人グリオンに個人的にも恨みを持っている者が多い。特にフィノーラとヴィオの姉弟は両親と使用人を殺され、私財を奪われ家に火を付けられ、更に奴隷商に売られたのだから。

 元々バルカロールとの契約はこいつを捕らえ、引き渡す事。その後あの男にどれほどの凄惨な事が起こってもユリエルは関知しない事としていた。


「どうしますかて……陛下、もしかして罪人を私刑にするつもりか?」

「あの海戦で死んだことにすればいい。あの男が乗っていたのは敵国の船ですし、反逆罪は確定しています。余罪は調べればいくらでも。そんな者、どうなろうが私的にはまったく興味がありませんね」

「一国の王様のすることやないで?」

「おや、今の私は私人ですよ? 国王ユリエルは今頃、城でこれまでの疲労が祟り寝込んでいるはずです」

「無茶苦茶やな……」


 ふふん、と笑ってやるとツェザーリはガックリと肩を落とす。こいつといい、レヴィンといい、軽口を叩くわりに真面目なのだ。


「陛下」


 そんな会話をしている間に考えていたのか、フィノーラは静かな声で呼んだ。視線を向けると、彼女はもう決めた顔をしていた。


「公的に裁けますか? あの男の罪を全てつまびらかとし、父様と母様の無念を晴らし、私達を生きた人間として戻したうえであいつを死刑にすることは出来ますか?」


 声はまるで交渉のようだ。静かで落ち着いて、けれど彼女達の願いを全てその静かな声の中に閉じ込めている。ユリエルは考え、少しして頷いた。


「少なくとも、罪をつまびらかにして死刑にすることは可能です。その過程で必ず、マコーリー家に何があったのかはつまびらかとなるでしょう。そして、これらの証言を行った姉弟の存在も公とできます。そのような事情があり、実際二人は生きているのですから、当然戸籍を戻さなければなりません」


 実はもうクレメンスを通じてある程度行っている。最初からグリオンについては真っ黒と考えていた面々は仕事の合間にこれらを行っていた。普段はこうした諜報などは苦手というグリフィスすら手伝ったのだ。どうやらヴィオに少し目を掛けているらしい。


「ですが、そうなるともう海賊行為はさせられません」


 きっぱりと、ユリエルはそう彼女に伝えた。

 バルカロールの面々は全員が戸籍が曖昧であった。ほとんどがいらない子として奴隷商に売られてしまった人や、元々海賊だったのが敗れた後で仲間になって今の大きさになっている。更に聞けばヴィオが困窮する人や子を船に連れ込んだりもしていた。

 故に皆、戸籍があるのかどうなのかも分からない状態にある。

 幽霊を取り締まる法はないと、ユリエルは今まで彼らの海賊行為を敵国相手にだけ許可していた。


 だが戸籍を得て正式にこの国の一員となるなら、それはもうさせられない。この国の民になればこの国の法で裁かれる。盗賊行為は罪だ。


 フィノーラはやや考えてから静かに頷いた。


「潮時でしょう。それに、一番の目的は果たしました。これで、皆に納得してもらいます。この後の仕事などに関しても、陛下が面倒を見てくださるのですか?」

「ある程度そちらで職種の希望や得意な事などを聞き込んで持ってきてください。それを考慮して、こちらで斡旋できそうな所はそうします」


 これからの人生をどこでどう生きたいかは彼らが選ぶ事なのだから。


「ちなみにフィノーラはどうしますか?」

「私ですか?」


 虚を突かれた様子で目を丸くする彼女は真剣に考えて……小さく願いを口にした。


「マコーリーの商会を、再興したいです」

「尽力しましょう」


 おおよそ、予想通りの返答にユリエルも頷く。一度は失ったものを、志を継いで再び。フィノーラなら大丈夫だと何処か思える。

 そして他のバルカロールの面々もまた、多くは彼女についていくのではないか?

 そんな気がする。


 でもひとまずはこれでいいのだろう。軽い確認のみで、後は皆で穏やかな会話が続いたのだった。

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