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5話 仲間であり、友であり(2)

 ヴィオが目を覚ましたのは、その日の夜も更けてからだった。

 明るくないように離れた机にランプを置き、そこで本を読みながら様子を見ていたユリエルは僅かな声に気づいて席を立ち、そっと側へと近づいた。

 ロアールの触診の結果、指の骨にヒビが入っているだろうとなり今は固定されている。

 それよりも、精神的な面が心配だと彼は言った。

 当然と言えば当然かもしれない。目の前で自分の船を沈められただけでも辛かっただろうに、一人で耐えていたのだから。


 僅かに汗の滲む額。それをタオルで拭っていると、不意に頼りなく瞼が開いた。


「ヴィオ」


 驚いて声を大きくしてしまいそうだったが、なんとか押し込んで穏やかに呼ぶ。それでも最初は上手く焦点が合わないのかぽやっと虚空を見つめ、その後でゆっくりとこちらへ視線が流れた。


「陛下?」

「えぇ、そうですよ」


 掠れた声は子供のように頼りない。それに痛ましさを感じながらも、ユリエルはそっと彼の額に張り付いた髪を払い、微笑んで見せる。すると途端に、彼は沢山の涙を浮かべ始めた。


「どうしたんです、ヴィオ! どこか痛みますか?」

「ごめ……なさい」

「ヴィオ……」

「ごめん、なさい」


 僅かに震えながら、ヴィオはその言葉を何度か繰り返した。声を震わせ、僅かに詰まらせながら。そんな姿を見ていたら、苦しくてしかたがなかった。

 布団の上からギュッと彼を抱きしめると、ヴィオは驚いた顔をした。謝るべきはユリエルの方だ。海上という特殊な環境故に彼らに一任しすぎてしまった。引き入れ、仲間としたのはこちらなのに。


「すみません、ヴィオ。私がもっと貴方達に気を配っていればこのような事にはならなかったのに」


 頭を撫で、謝罪をする。ヴィオは驚いたように目を丸くしていたけれど、徐々にそれが緩まっていく。傷つき、包帯で巻かれて動かない手で、そっとユリエルの頭を撫でた。


「陛下は、優しい」

「ヴィオ」

「だから、好き。僕の事も、みんなの事も大事にしてくれる。僕を、人として扱ってくれる」

「当たり前ではありませんか!」


 彼らを人道的に扱うのは当たり前の事だ。協力者であり、仲間でもある。ヴィオとフィノーラについて言えば友でもあると思っている。だから。

 でも、ヴィオは悲しそうに首を横に振った。


「違う。沢山の人にとって海賊の僕達は、人と扱われない。だから、怖かった。姉さんも仲間も、海に落ちた。あのまま死んじゃうって」

「助けに行きますよ! 当たり前です」


 実際助けに行ったのだ。でも……起こった事は知らなかった。もしもツェザーリがバルカロールの面々を救助しなければ、今頃彼らは海に消えていたのだ。

 ヴィオがギュッと身を固くする。そして次にはまた、泣きそうな顔をした。


「きて、ほしくなかった」

「え?」

「陛下、捕まえる餌だって、言われた。僕は陛下の邪魔に、なりたくない。陛下が怪我するの、嫌だから」


 そう、子供のように泣くのだ。その気持ちが苦しいほどに伝わって、ユリエルは無言で彼を抱きしめた。


 しばらくそうしていると、不意に蚊の鳴くような音がした。ハッとすると腕の中のヴィオは少し恥ずかしそうにもじもじしている。それを見て、ユリエルは小さく笑った。


「粥を作ってきますね」

「でも」

「ちゃんと食べて、休んで、元気なヴィオに戻ってもらわないと」


 申し訳なさそうなヴィオを置いて、ユリエルは一階のキッチンへと降りてきた。


 もう誰も起きていないだろうと思える時間だったが、明かりが僅かについている。中を覗くとアルクースがいて、こちらに気づいて顔を上げた。


「陛下? どうしたの?」

「ヴィオが目を覚ましまして、お腹がすいたようだったので」

「本当! あっ、じゃあ作らないと。粥でいいかな?」

「お願いできますか?」

「勿論」


 そう言うとアルクースは手際よくパン粥を作り始める。パンを食べやすい大きさにちぎり、今夜のスープの残りを少し薄めて煮込んでゆく。徐々にいい匂いが漂い始めた。


「というか、俺がいなかったら陛下どうしてたの?」

「この程度は自分でも作れますよ」

「王様なのに?」

「現役の軍人ですよ。野営も当然するのですから、自分の食事くらい自分で作れなくてどうするのです。手の込んだものは無理でも、基本的な事はできますよ」

「王様らしくないよね」


 呆れた様子ではあるが否定はしない。小さな鍋の中でコトコトと、パンが柔らかく煮えてくる。

 その鍋を見つめて、アルクースは何やら考え込んでいた。


「どうしました?」

「ん? そうだな……なんていうか。陛下に出会えて良かったとか、この人を信じた自分の目は確かだったなとか、こんな人だから付いて行きたいんだよなとか、色々」

「なんです、それ」


 突然恥ずかしくてむず痒くなるような事を言われ、ユリエルは眉根を寄せる。これにアルクースは苦笑して、鍋を火から下ろした。


「嘘でも冗談でも、おべっかでもないよ。仲間を大切に思って自ら動いてくれる上司なんて、どんな稀少な宝石よりも大切だなって思ったんだ」

「お前が囚われても、私は助けにゆきますよ」

「……それなんだよね、悩むの」

「?」


 いい事しか言っていないのに浮かない顔をしていたのは、どうやらこの辺らしい。粥が冷めるまでもう少し、アルクースは難しそうに苦笑した。


「大事な上司だからこそ、俺程度の為に危険を冒してほしくないんだ。陛下はこの国にとって……ううん、これからの世界にとって大切な存在になると思う。理想を理想のまま終わらせない為にも」

「アルクース」

「だからこそ、危険を減らしたい。その為の駒として自分はいると思っているのに、逆に危険に晒したらダメだよなって」


 ツェザーリも言っていた。ポーンの為にキングが動くようなものだと。

 でも、それを理解したうえでユリエルはきっと動くのだ。


「この世に、アルクースという人間は一人だけです」

「え?」

「友であり、仲間であり、大切な参謀の一人でもあり。そんな、大切な者なのです。助けられるかもしれないのに、どうしてそれを捨て置けるのですか? しかも理由が自分の保身だなんて」

「いや、世の人は自分の保身が上位でしょ。どうして陛下はその辺低いんだろう」

「嫌だからですよ。何かをして、それでも守れなかったと言うよりも、何もせずに失う方が嫌なんです。どれだけ口で『仕方が無かった』などと言っても自分が納得しない。動けば助けられたかもしれないのに、そうしなかったことで後悔なんて……悔しくて苦しくて嫌なんです」


 そしてもっと嫌なのが、いつしかそんな後悔や苦しみに慣れて様々な事を「仕方が無い」で片付けるようになる事。そうなってしまってはもう、大切なものは零れて行くばかりだ。

 もう、母を失った時の後悔をしたくない。


 アルクースは考えて、程よく冷めた粥を皿に移し、盆に乗せた。


「陛下の考えは分かったよ。そうだね……俺も何もしないまま失うのは嫌だな」


 そう苦笑したアルクースがお盆をユリエルへと差し出す。そして苦笑をしてみせる。心配そうに。


「仕方が無いな。じゃあ、陛下がそんな無茶しないように頑張らないと。ヘマできないや」

「アルクース」

「大丈夫、みんな強いから」


 お盆を受け取ったユリエルに、彼はそう言って今度はニッコリと笑い背中を押す。

 まだほんのりと温かなそれを見つめて、ユリエルは二階へと戻っていった。

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