二階に戻ると、ヴィオは所在なげに上半身を起こしていた。こちらを見て頼りなくしている彼の側に腰を下ろして、ユリエルは皿から粥を掬った。
「冷めていると思いますが、熱かったら言ってください」
「自分で……」
「その手では無理ですよ」
彼の指は今固定されている。包帯でグルグルにされているのでは指先を動かすなんて不可能だ。
掬ったスプーンを口元に持っていくと、少しして彼は食いついた。そして次にはほっとした顔をして、またポロポロ泣いた。
「美味しい」
「ヴィオ」
「ご飯、美味しい」
そう言って泣く彼に、ユリエルは何度も掬って食べさせていく。
ずっと、最低限の物しか与えられていなかったのだろう。取り調べを任せたレヴィンによると、奴等はヴィオかフィノーラを捕らえるつもりだったらしい。そして、それを餌にユリエルをおびき寄せて殺すつもりだったと。
だがここで意見が二極化している。
ヴィオを殺して構わないと主張する奴等と、あくまで人質なのだから生きて居てもらわなければ困ると主張する奴等だ。
そして、ヴィオに乱暴を働いていた若い聖騎士達は既に処刑を決めている。こいつらは殺すと主張する者達だ。
だが後者については処分を保留にした。彼らがヴィオに食事を与え、最低限でも治療をし、休ませてと世話をしたおかげでヴィオは今も生きている。また、彼らが若い聖騎士を諫めた事も生存に一役かっていた。
おそらく何かがある。今回の突然の襲撃と、その襲撃者達の二極化。もしかしたらこれが、ルーカスの助けに繋がるかもしれない。そんな予感がするのだ。
すっかり粥を平らげたヴィオに痛み止めの薬を飲ませておく。これには解熱や腫れを抑える効果もあり、食事が出来たら飲ませておけとロアールから預かっていたものだ。
これらを済ませても、ヴィオは酷く苦しい顔をしている。だから痛いのかと問うと、そうではないと彼は首を横に振った。
「もう、陛下のお手伝いができない」
そう、ヴィオは悲しそうに言った。
「船、沈んじゃった。もう、お手伝いができなくなった」
布団を握り締め、その間にもポタポタ涙が落ちる。俯いて悔しそうに背を丸める子を、ユリエルはそっと包むように抱きしめた。
「船は用意します」
「でも」
「大丈夫です。それに、もう貴方の復讐は終わりました。フィノーラとも話したのですが、グリオンは余罪を突き詰めて国の方で公的に処刑することに致しました」
これに、ヴィオは驚いた顔を上げる。パチパチと瞬きをして。
「捕まえたの?」
「えぇ」
「姉様、それでいいと言ったの?」
「そのかわり、失われた皆の戸籍を戻します。ないなら作ります。皆、この国の民ですよ」
これにも目を丸くして……やっぱり泣いた。どうやら涙腺が崩壊しているようだった。
「うれ、しい。これでみんな、ちゃんと仕事ができるね」
「えぇ」
「……じゃあ、やっぱりもうお手伝いは出来ないんだね」
そう、ヴィオは寂しそうに呟いた。
幼い語り口のせいで勘違いされやすいが、ヴィオは頭がいい。一度戦士となれば表情も口調も違ってくる。これは未だにユリエルも驚くのだ。
「もう、曖昧な立ち位置じゃない。働けるのは嬉しいけれど、罪を犯せば裁かれるようになる。幽霊から人間に戻るんだから」
「そうですね」
「そうなったら、もう陛下は僕とお話してくれない?」
寂しそうな視線がこちらを見ている。これに、ユリエルは柔らかく微笑んで首を横に振った。
「どんな立ち位置になろうとも、貴方は私の仲間で友人です。だからいつでも会いにきていいんですよ、ヴィオ」
伝えたら、不自由な手で彼は背中に手を回してくる。胸に顔を埋めて小さく「うん」と何度も言って。
そんなヴィオを、ユリエルはずっと優しく慰めるのだった。
◇◆◇
ヴィオ救出の翌日、早速イレギュラーが起こった。
「……お前、なんでいるのです?」
屋敷に来客があり出迎えると、仁王立ちしたグリフィスが私服姿で立っていた。だが、その迫力たるやユリエルすら射殺しそうなものだった。
「クレメンスから聞きました。陛下、ヴィオは無事ですか?」
「無事ですよ。命に別状もありません。指先は不自由ですがね」
これを聞くとグリフィスは眉根を寄せて入ってくる。これにユリエルは驚きを覚えた。
ヴィオは城に来るとグリフィスに会ってから帰る。どうやらユリエルが対応できない合間、彼が話し相手になっていたようだ。
そこから稽古を付けてもらうようになり、毎回負かされて「悔しい」と漏らしていた。がっ、それでもめげてはいなかった。
グリフィスもそんな熱意ある弟子が出来たからか気を遣い、来る日には夕飯を食べに出る程度の事をしていた。
付き合いの長いクレメンスはこの様子を見て「古木にも花が咲くものですね」なんてからかっていたが……冗談ではなかったか。
「ヴィオの部屋は二階の奥から二番目です。少し前に薬を飲ませたので今は眠っているかもしれません。静かに」
「分かりました」
硬い声で言って二階へと静かに上がって行く。こうした気遣いなど苦手な男が、何やら面白い事になっている。
ニヤリと笑ったユリエルは後をグリフィスに任せて、自分は事後処理の為に動く事にした。
▼グリフィス
最近、熱心な弟子ができた。
初見はなんというか、ちぐはぐな印象だった。
見た目は立派な成人なのに話すと幼げな少年なのだ。視線や口調、仕草までもが十代前半の少年のようにあどけない。
だが同時に、剣を持つとその表情は一変して身が軽く早く、恵まれた体躯からの攻撃は思いのほか重いものだった。
ヴィオという青年は、そんな不思議な人物だった。
最近では前線が停滞している事もあり手が空いて、月に数回相手をしていた。ヴィオは熱心で、日増しに強くなっていく。視野も広いのだろう、こちらの隙をよく見ている。相手がグリフィスだからその攻撃は通らないが、相手が並の人物であればおそらく殲滅もできるだろう。
だが剣を収めると途端に幼げな表情となり、屈託のない笑みを向けてくる。無防備にされ、懐かれて。こういうのは初めてなグリフィスはどう相手にしていいか分からず戸惑うばかりだ。
だが同時に、微笑ましくも嬉しく思う。役職も武人としての経歴も、なんなら見た目も怖いグリフィスは遠巻きにされる事も多い。無駄に怯えられる事も。
だからだろう、無条件に好意を示してくれるヴィオが可愛く思えるのは。
彼が眠っている部屋へとゆっくりと入ると、部屋は簡素ながらも清潔で、気持ちのいい風が入ってくる。そこでヴィオは静かに寝息を立てていた。
だが、なんとも痛々しい痣と手の包帯に、グリフィスは眉根を寄せた。
こんな傷を負わせた奴を許せない。それと同時に、助けに行けなかった自分が悔しい。
別件で出ていたグリフィスがこれを知ったのは一昨日前の夜のこと。ユリエルが長期不在であるのをクレメンスに聞いて、理由を問うてからだ。
直ぐに馬を走らせてマリアンヌ港まできたが、流石に距離があって一日での移動は無理だった。その間、事の結果は知らないままただ不安だったのだ。
小さな頭をそっと撫でると表情が緩まる。どうやらこうして行為が好きなようで、普通にしていても頭を撫でると嬉しそうにする。その様子もまた、愛らしく思えていた。
「すまない、ヴィオ。助けに行けなかった」
伝えて、少し項垂れる。包帯だらけの手に優しく触れて、もう二度とこんな不甲斐ない事がないようにと心に決めて。