リゴット砦の石橋が復旧するよりも前、アルクースはユリエルの密命を受けて動いていた。バルカロールの操船で降り立ったルルエという国は、タニスとそう大きく風景が変わる様子もない。少し川が多そうだ。そのくらいだった。
「事前にバートラムに向けて報告書を送っている。タニス王に近い者がこちらへ寝返りを前提に、内部の情報を渡すと」
「本当にそれでつれるの?」
バルカロールの一件でユリエルの食客となっていた聖教騎士団のクララスは、部下と一緒に解放された。そしてここに送り届けた船は奴らから奪ったものだった。怪しまれずに入るための目くらましと言えた。
「小心なくせに欲が深い人間というのは、目の前に美味しそうな餌があると迂闊になる。それが自身のテリトリーの中では余計にだ」
「僕には信じられないけれどな。第一、あんまり好きじゃないんだよね、こういうやり方」
とは言え、レヴィンだと胡散臭すぎる。それに、役回りとしては少し長身で逞しすぎるのだ。
今回アルクースがやる役はタニス王の陰間、つまり性的な相手というものだ。その為見た目が華奢で綺麗な顔立ちの彼が選ばれた。
更にこの配役はもう一つ理由がある。どうやら相手のバートラムという男は、アルクースのような華奢で小柄な青年が好みなのだという。そういう相手にはより口が軽くなり、気前がよくなるという。まさにうってつけだった。
「直ぐに答えは見える。まずは俺が世話になっている教会に案内する」
そう言って前を歩くクララスに連れられて、アルクースは纏っている外套のフードを目深に被った。
動きがあったのはその翌日。逗留している教会にバートラムの使者だという騎士が来たのだ。アルクースはこの国のシスターが纏う白い外套を纏い、フードを被ったままでその使者と会った。
「聖教騎士団長、バートラム様の命によってタニスからの客人を迎えにきた。速やかにこちらへとお越し頂きたい」
アルクースは側に立つクララスを見上げ、背に隠れて首を横に振った。
「なにゆえ拒む!」
「知らぬ場所で、信頼出来る人がいない状態で会うのは怖いのです。どうか、この方も一緒に連れて行ってください」
使者は明らかに舌打ちをする。おそらく間にクララスが立っていなければ、強引に腕を引いただろう。
「その前に顔と名前を拝見したい」
言われ、アルクースはそっとフードを取った。途端、使者の男が息を呑んだのが分かった。
アルクースの顔立ちはとても端正だ。黒髪は艶やかで、大きく丸い瞳は少年のようでもある。肌の色は白く、小さな頭にパーツがバランス良く配置されている。額にある刺青もどこか神秘的に見える、そんな人物なのだ。
使者の男は手に持っていた紙束を落とした。それは兵士などからの証言を元に作られた似せ絵だった。ユリエル、クレメンス、グリフィス。そしてレヴィンもあった。これを見て、ここに来たのがレヴィンでなくて良かったと思う。彼だったらここでアウトだ。
いや、これも予想してだったかもしれない。アルクースは主に国内で動いていたから、戦場に出る事がない。だからこそ似せ絵もなかったのだろう。
「名は、アルクースと申します。北の民、シャスタ族の者です」
それだけを告げると、使者の男は慌てて「もう一度来る」と言って出て行った。
◆◇◆
その使者がアルクースを尋ねてきたのは、同じ日の夕刻だった。バートラム本人が会うこと、クララスの同席を認める事を伝え、表には立派な馬車が停まっていた。
「あんたの勝ちだな」
聞こえないようボソリとクララスは言ったが、アルクースは正直有り難くなかった。
目隠しのされた馬車に乗り、到着したのは一つの教会だった。クララスが教えてくれたが、ここはバートラムがお気に入りを物色するのに使っている場所の一つだという。ここで目を付けた者を抱く代わりに、見返りを渡す。それで出世できるのだからと断る者も少ないと言っていた。なんとも反吐の出る話だ。
応接室のような場所に通されたアルクースは、目の前にいた男を見てある意味で納得した。
おそらく四十代半ばから後半だろう男は、雄々しい大人の色香が確かにあった。エラの張った顔は男らしく、強い金の髪は艶やかに顔を縁取る。瞳は青く、眉は男らしく太く色っぽくは見える。体も大きく鍛えられていて、肉体的に充実しているのも見て取れた。
だが、いかんせんアルクースの側には様々な種類の美形がいる。グリフィスだって若く精悍な顔立ちの美丈夫だし、クレメンスは少し神経質そうな文系の美形だ。レヴィンだって怪しげな雰囲気を纏う毒の様な色香を持つ。何よりユリエルのそれは一瞬言葉を忘れ見入るような至上の芸術品のようなのである。この程度の男、ファルハードくらい魅力を感じない。
だが男、バートラムの反応は違った。扉を閉めた事でフードを取ったアルクースを見て、喉仏が大きく上下するほどに見入っている。上から下までを舐めるように見られる不快な視線に内心「殺す」と思いながらも、一切出さずに微笑んだアルクースは丁寧に頭を下げた。
「北の民、シャスタ族のアルクースと申します。こうしてお目通りが叶いまして、正直安堵しています」
「あっ、あぁ。ルルエ聖教騎士団団長、バートラムだ」
虚を突かれたように反応の遅れたバートラムに、アルクースは弱い表情で笑う。いっそ抱きしめてその憂いを取り払ってやりたいと思えるほどの弱々しい様に、バートラムは腰を浮かせた。
「このような突然の申し出、しかも敵国の者とは会って頂けないと、半ば諦めていました。話を聞いて頂けるのですよね?」
「勿論だ! 聞けば貴殿はタニス国王ユリエルを恨んでいながら、一族の者を人質に取られ体の関係を強要されているとか。なんと惨い」
まるで演技がかったような大仰な言いように、アルクースは苦笑したくなる。勿論そんな事一切顔には出さず、悲壮感溢れる傷ついた顔で頷いた。
勿論これは事前にユリエルと示し合わせた事。そんな事実は一切ない。だが、後で調べられても信憑性のあるものにした。ユリエルがかつてシャスタ族を先祖伝来の土地から追った事も事実であり、現在その土地に住まわせているのも本当。しかも取り立てる税は破格だ。その裏にこのような取引があってもおかしくはない。そのようなものだ。
「ルルエの神はそのような非道を許しはしない。さぁ、まずは座ってもらいたい」
「有り難うございます」
招かれるままにソファーに座ったアルクースの対面にバートラムが座る。クララスはそっと、戸口に控えた。
「詳しく話してもらえるだろうか、アルクース殿」
「はい。我らシャスタの民はタニスの北の森に住んでいました。そこに突然タニスの軍が攻め入り、先祖からの土地を追われました。俺はみなしごでしたが、育てて貰った恩のある人がいました。その人もまた、現タニス国王ユリエルの手によって殺されてしまったのです」
本当は老衰で、それまでユリエルは大事に面倒を見てくれて、死後も手厚く葬ってくれたのだが。ここには本当に感謝しかない。
「土地を流れ、残された一族と流浪の旅をしていた俺達は、再びユリエルに捕らえられました。そこで、先祖の土地に一族を住まわせる代わりに、俺を差し出せと言われたのです」
実際は短気なお頭が無謀な決闘を受けて負けたのが切っ掛け。土地は国を取り戻す手伝いをする対価に貰ったんだけど、かなり破格だったと思う。