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9話 密告(2)

 バートラムは青い瞳に涙を浮かべて頷いている。それが少し気持ち悪い。哀れみの視線がいっそいやらしくて怖い。


「なんて卑劣な」

「一族は元の土地に戻りはしましたが、俺は常にユリエルの側にいる事を強要されています。もしも俺が逆らえば一族に害が及ぶと脅されては、どうにもなりません。戦場暮らしのあの男は、その熱を俺にぶつけることで憂さを晴らしているのです」


 顔を背け、口元を手で隠し俯けて肩を震わせる。演技派を語れるだろうアルクースは違う意味でのってきた。


「何度、死ねば楽になると思ったか……。恩師を殺した憎い男に身を委ねねばならない夜は心が死んでいくようです。ですが俺が死んでは一族はどうなるのか。違う誰かが同じような目にあうのか。思えば儚む事もできず、ただ揺さぶられ男の欲望を受け入れるしか……」


 どうだ名演技! と言わんばかりに涙声を作り、自らの体を抱きしめる。すると不意に動く様子があり、抱きしめる自分の腕ごとごつい男の腕に抱き込まれた。


「なんて辛い! なんて非情な男なんだ!」


 一瞬鳥肌がたったが、この反応は上々だ。いや、少しやりすぎた感じもある。だがここまできては突き進むのみ。アルクースは覚悟を決めて男の厚い胸に顔を埋めた。


「やはりタニスの王は悪魔の王だ。大丈夫です、アルクース殿。我ら神の使徒が必ずや地上の悪魔を討ち滅ぼし、貴方を自由にいたしましょう!」

「バートラム殿……」


 涙声で名を呼び、おずおずと背に腕を回す。そうしてしばし縋るようにバートラムに抱かれていたアルクースは、やがておずおずと体を離し弱く笑みを浮かべた。


「貴方の温かな気持ちに感謝します。このような汚れた俺にも優しい言葉をくださって、俺は幸せです」

「アルクース殿」

「俺は今、ユリエルに囚われた状態です。今も一族に会いたいと嘘をつき、ここにいるのです。耐えられず、海に身を投げようとしていたところをクララス隊長が助けてくださり、貴方に相談する事を勧めてくれなければ俺は今頃海に消えていました。この出会いに、感謝いたします」


 これでもかと幸せな笑みを浮かべたアルクースは、男の欲望を滾らせる瞳を見ていっそ怖くなったが、ここにはクララスもいる。いざとなれば助けてくれると信じているし、言い逃れる方法はある。キス……くらいは我慢しなければならないかもしれない。


「お願いします、俺を解放してください。俺の一族を解放してください。その暁には、俺は貴方にこの感謝を一生の恩としてお返ししたいと思います」

「あぁ、任せてもらいたい! 聖教騎士団は神の剣。この世界から悪を払い、真に神の国とするためにあるもの。この世の悪を必ずや討ち滅ぼし、貴方の憂いを取り除いてさしあげましょう!」


 まんまと引っかかった。それを確信したアルクースは懐から一枚の紙を取り出した。そしてそれを、バートラムへと手渡す。


「これは」

「前線で、俺が漏れ聞いた情報です」


 そこには、石橋があと一ヶ月程度で完成すること。その後、タニスは砦を背に距離を取って平原に野営を張る事。そこに参加する将の名前と、大まかな兵力が箇条書きになっていた。


「このような物しか手土産にできず、心苦しいばかりですが」

「そんな! これだって、もしもバレればどうなるか」


 弱く頭を振って、アルクースは微笑む。見上げる瞳に儚さを乗せたそれは、すでに命ない事を覚悟した人間のようだった。


「俺はもう、この生活にも疲れています。これがバレて殺されたとしても、それが運命だと思っています。それよりも、どうか一族を救ってください。ユリエルの首を、どうか」

「勿論だ!」


 力強く言ったバートラムに再び抱きしめられながら、アルクースは第一段階が成功したのだと確信した。


◆◇◆


 その後、バートラムはアルクースにこの国に留まるように言ってきたが、これがバレると一族の命がないと言って断った。クララスにお願いして、怪しまれないよう商船に乗ってタニスに帰ると告げれば、「安全な商船に乗せるように」とクララスに言って帰してくれた。

 馬車で近くの港町まで送ってもらい、朝一でタニスに向かう商船を探す。そして示し合わせたように、一艘の船と交渉ができた。


「ほな、確かにお代は頂きました。その人をマリアンヌ港までやな?」

「あぁ、頼む。出港までの時間、俺も彼についていたいんだが」

「えぇで。部屋案内したるわ」


 そう言って船の船底部分へと二人を誘導しているのは、当然全てを知っているツェザーリだ。

 やがて一室へと到着した三人は、そのままたまらずに笑い出した。


「アルクースの演技には舌を巻いた。バートラムが本気で落ちていたぞ」

「もぉ、抱きしめられた時なんて鳥肌たっちゃった。気持ち悪いよ」

「そないな事したんかいな」

「ちょっと、金持ちのおじさん誑かす悪い人の気分だったよ」


 なんて楽しげに言うアルクースは、それでも上々の反応に手応えを感じていた。


「これでこっちの情報を元にバートラムの配下が動けば、グリフィス将軍やクレメンス将軍が動く切っ掛けになる。俺も第二段階だね」

「それにしても、ようやるわあのお人。自分の布陣を敵に渡すなんて、おっかない事やで」


 これにはアルクースも同意見だった。諸刃の剣……と言えばいいのか。本来布陣や兵数なんてものは伏せて当然。そこを読み解くのが戦術の初歩であり、腕でもある。それを懇切丁寧に教えたのだ。

 それでも優位は変わらないだろう。奇襲を掛けられる事を望んで流した情報だ、無防備にみせかけても対処できる。何よりこの作戦を知っているのはユリエルとクレメンス、レヴィンのみ。レヴィンは前線には出ずにリゴット砦だし、クレメンスは前線にいる。どちらに攻撃を受けても対処出来る人間がいるのだ。


「動いてくれるかが、問題だけれどね」

「おそらく問題ない。欲の深い男だ、タニス王の寝首をかけるかもしれないと思えば人を出す。何よりお前が前線にいるなら、あの男は欲しがるはずだ」

「俺、そろそろ貞操の心配したほうがいい?」


 なんて言えば、周囲が笑う。今までそんなこと考えたこともなかったけれど、あの男のあの目はそういう光に満ちていた。そこに飛び込むような事をすれば、当然考えなければ。

 少し考えて、やっぱりそれは嫌だと素直に思った。


「おそらく、タニス軍が布陣したのを見計らって聖オーキン教会に駐留しているリチャード隊が動くだろう。同時にアルクースを保護するように指令が出ているかもしれない。この場合は気を付けてくれ」

「ん?」

「リチャードがあんたを害するかもしれない。嫉妬深い男だ、バートラムの寵愛があんたに向き始めたと知れば邪魔に思って殺そうとするかもしれない。あんたを保護しても、直ぐにバートラムが出てくる事はない。あいつを引き寄せる事が出来なければ、あんた達にとっては失敗だろ」

「そうだね」


 全てはあの男を堅牢な自分の屋敷から、部下を連れて出て貰う事。そしてあの男を捕らえる事だ。


 翌早朝、船はタニスへ向かって出航した。クララスとはここでお別れだ。

 船の甲板に立つアルクースの側にツェザーリが来て、同じように風に吹かれている。


「上手くいくんかいな」

「どうかな。でも、押し込むんじゃないかな」

「怖ないんか?」

「ん?」

「あのお人の手の中や。あのお人がもしもいなくなれば、タニスって国は瓦解するで」


 危機感のあるその言葉は、アルクースも感じている。現状、国の事も軍の事もユリエルが行っている。全てを把握しているのはユリエルだ。その状態で彼に何かがあれば、事が滞るかもしれない。

 思って、でも大丈夫と言える要素も彼は確かに残していると知る。


「平気だよ。国政についてはシリル様が、軍に関してはグリフィス将軍とクレメンス将軍が把握している。シリル様も育ったからさ、多分平気なんだ」

「なんや、抜け目ない」


 抜けがあったらどうするつもりだったのか。どこか不穏に言ったツェザーリに溜息をつきつつ、アルクースはふと思ってしまった。


「あの人を俺達が信じられるのはさ、きっと全てが自分の為じゃないからなのかな」

「はぁ?」

「だってさ、考えると面倒じゃない? 沢山の人に認められないまま王様になって、毎日胃の痛くなるような嫌味言われて、毒まで盛られてさ、それでも留まってる理由ってなに?」

「そら、金とか、贅沢とか、権威とか」

「そんな人に見えた?」


 問えば「うーん」とツェザーリは悩み、やがて困った様に首を横に振る。そう、そうなんだ。王様になったその利をあの人はほとんど受け取っていない。それどころか、富を大いに分けている。


「俺なら逃げたいな。そんな苦しい思いするくらいならさ、さっさとシリル様に譲ってさっさと他国にでも行ってさ。あの人なら他国だって十分やっていけるし」

「美貌だけで国を傾けられるんちゃうか? シンドリア王国の王にでも近づけば、一生寵愛されて生きられるで」

「シンドリア王国?」

「一夫多妻制、つまりはハーレムの文化や。今の王は美しく若い精力的な王様で、沢山の妻をもっとる。男色の気もあるお人や、ユリエル陛下を見たら速攻で口説くで」

「うわぁ、苦手だなそういうの」


 一人を大切に慈しみたいという思考の強いアルクースには理解できない文化と感覚に思えた。


「国を捨てずに、理想だけを見て進んでる。その理想が荒っぽいなら困るけれど、平和な世を見ているならさ、つぶし合いじゃない共存を見ているならさ、俺は従って良いと思うんだ。それに俺達の言葉を聞けないわけじゃない。踏み外しそうならさ、引き戻せばいいんだよ」

「それ、王様と部下の関係とちゃうわ」


 なんて言いながらツェザーリも楽しそうに笑う。これが心地よい、そう分かる表情にアルクースも笑っていた。

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