タニス、ルルエ両陣営がぶつかり、タニスが奇襲を受けたその夜、アルクースは色々な意味でドキドキしながらユリエルの前にいた。
「すみません、アルクース。こんな役回りを頼んでしまって」
秀麗な顔を辛そうに歪めるユリエルを見ると少し心が痛む。そんな顔をする必要は無いと思っているのだが、優しい主は酷く辛そうだ。
「ううん、いいよ。それより早くやらないと、効果が薄くなるよ」
薄い衣服に夜風から身を守るだけの外套を纏ったアルクースは、そう言ってユリエルに背を向けた。
グッと、覚悟を決めたような地をならす音がしたその直後、「いきます」という声の直後に背に鋭い痛みが走り、アルクースは数歩たたらを踏んだ。トクットクッと心臓がなり、血が流れ落ちて体を濡らすのを感じる。浅く息を吐き出すと、背後の人は駆け寄って触れようとした。
それを、アルクースは手で制した。
「平気! はっ……ちょっと痛かったけど、流石だよ陛下。手加減絶妙」
痛みは徐々に引けていく。血も最初こそ多量に出ただろうが、今はそれほどではなくなった。
ユリエルの瞳が揺れている。青い顔をしたユリエルを見て、アルクースは笑った。
「それじゃ、お仕事してくるね」
そう言うと、歩き出していった。
◆◇◆
夜闇が薄らと明ける頃、アルクースは一人平原を渡りきってとある教会へと辿り着いた。背を濡らした血は乾いて張り付いてゴワゴワと感じるし、それでも僅かにまだ流れていくのも感じる。足がフラフラして、意識が揺らぎ始めた。
そうして門扉の人を見た途端に、本当に気が抜けて倒れてしまった。冷や汗が出る。
「おい、どうした!」
「大丈夫か!」
門を守る二人の衛兵が駆け寄ってきて、アルクースを見て血相を変える。一人がすぐに中へと駆け込んでいき、もう一人がアルクースの濡れた背を支えるようにして抱き起こした。
「どうした!」
「俺は、シャスタのアルクースと、申します……。お願いです、助けてください……」
涙ながらに訴え出ると、衛兵がハッと息を呑む。それを感じて、自分の名が衛兵にまで伝わっている事を知ったアルクースはそのままゆるく気を失った。
◆◇◆
目が覚めた時、柔らかなベッドの中にいた。見下ろしている清純な様子のシスターがゆったりと微笑み、アルクースの頭を撫でた。
「平気ですか、アルクースさん」
「もしかして、フェリス?」
「今はこの姿ですのよ」
そう、貞淑な女性の笑みを浮かべる彼女のまったく違う顔に驚きながらも、アルクースは体を支配するけだるさに勝てずに沈み込んだ。
「傷は治療いたしました。少し縫いはしましたが、直ぐによくなりますわよ」
「縫ったんだ」
確かに後遺症の残らない場所、でも派手に被害者と分かる傷をと選んで切られたはずだから、そのくらい深いのも覚悟済みだったけれど。思っても、やっぱりまだ痛む。少なくとも体を起き上がらせるのが億劫ではあった。
「ちなみに、この部屋の盗聴穴は塞いでおきましたわ」
「ははっ、仕事早いな」
「後で司教様がお話をしたいと。とても心を痛めておりましたわ」
目的の司教が来る。これにアルクースはまず安心した。どうやら尋ねていったり、近づくのに苦労する事はなさそうだった。
「それと、こちらの指揮を執っているリチャード将軍も顔を見たいと言っていました。どうか、お気をつけを」
そう言いながら布団の中に小ぶりのダガーを入れてくるあたり、シスターにあらずだ。苦笑したアルクースは聞いておくべき話だけを詳しく聞く事にした。
「司教さんって、どんな人?」
「とてもお優しく、慈悲深い方ですわ。そして、血が流れる事を憂いています。やはり相手が軍人でも、この場で血が流れる事は避けるのがよろしいかと」
「うーん、難しいよね」
とはいえ、ユリエルは最初からこの教会の敷地内で血が流れる事を望んでいない。宗教家がそうした事を嫌うのはどこの世界も同じ。血濡れた教皇アンブローズならば知らないが、真に神を敬う者は自国他国を問わず人の死を憂えるものだ。
「やっぱり初期案だね。フェリス、平気?」
「準備は出来ておりますわ。アルクースさんこそ、リチャード将軍にご注意を。相当嫉妬深い、子供の様な方ですわ」
「うわぁ、面倒。でもごめん、もう少し寝てもいい? けっこうクラクラする」
「出血が多かったですもの。こちらの薬をどうぞ。造血作用がありますわ」
そう言って渡されたものを水と一緒に飲み込む。そして再びゆるゆると、アルクースは眠りに落ちていった。