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10話 聖オーキン教会(2)

 穏やかに再び目が覚めるとフェリスが尋ねてきて、改めて人が紹介された。

 リチャードはなるほどと言える綺麗な顔立ちの青年だった。薄い色合いの茶色の髪に、人の良い柔らかな緑色の瞳をしている。

 だがアルクースには分かった。彼の内心は嫉妬の嵐が吹き荒れている。時折、アルクースを見る顔が引きつって見えた。

 一方のハウエルは穏やかな白髪混じりの、五十代後半といった人物だった。全身から穏やかさと優しさが滲み出ている。だが、頑固そうだ。


「アルクース殿、私はこの教会に駐留する聖教騎士団のリチャードと申します。貴殿の事はバートラム様より伺っております。辛い思いをなさったと」

「リチャード様。優しいお言葉、感謝いたします」


 狐と狸の化かし合い。そんな事を思いながらもアルクースは悲壮感を漂わせる。悲劇のヒロインを演じるのが最近楽しくなってきた。案外性に合っているかもしれない。


「何故このような事になったのか、お辛いとは思いますが話していただけませんか」

「はい。昨日、予期せぬ奇襲を受けたタニス王はどこからか情報が漏れた事を勘ぐり、怪しいと俺を責めたのです。他の者は身元も確かな腹心の部下、裏切りはないと。そうして責められ、耐えきれずに逃げ出した所を背中から……」


 目元を隠し涙に震えるアルクースをハウエルは気の毒そうに見つめて歩み寄り、そっと手を握ってくれる。穏やかなその温もりは心安らぐ気がするが、同時に嘘をつく醜さも知らされるようでいたたまれなくなった。


「夜陰に紛れ、どうにか逃げ出し、クララス隊長より教えられたこの教会だけを目指して来たのです」

「そうでしたか」


 お気の毒に。という様子を滲ませるリチャードだが、アルクースの事を信じてはいない。いや、嘘を感じてはいなくても目障りなのだろう。衛兵にまでアルクースの存在を知らしめ、もしもの時は保護するようにと通達されていた事はフェリスから教えられた。バートラムの関心が移った。そう感じるには十分なはずだ。


「幸いこの教会には私の軍が駐留しております。ここは前線にあるため、教会と言えど砦としての機能も果たしております。門を開けないかぎり、敵の侵入など不可能です」

「有り難うございます。安心いたしました」


 ヨロヨロと体を深く折り曲げ、丁寧に礼をするアルクースを嫉妬の目では見ても敵愾心を向ける事はできないのだろうリチャードが、なんとも言えない顔で退室していく。

 残されたのはアルクースとハウエルのみだった。


「遅れましたな、アルクースさん。私はこの教会の司教をしております、ハウエルと申します」

「クララス隊長よりお名前は伺っておりました。若い頃にお世話になったと」

「あれも荒れておりましてな。ここ数年会ってはおりませんが、元気でやっていましたか?」

「はい、息災にしておりました。俺の身の上を聞いてくれ、ルルエ聖教会へ助けを求める事を勧めて下さったのもクララス隊長です。自分も助けられた、俺の事も助けてくれるだろうと」


 伝えれば、まるで教え子を思う教師のように柔らかく穏やかな笑みをハウエルは見せる。それと同時に、アルクースを案じてもくれた。


「タニス国王は、貴方にこのような非道を行う暴君なのですね」

「捕虜の身の上はどこへ転んでもあまり良くはなりません。俺一人の犠牲で一族の暮らしを保証してもらえただけでも良心的だと、考えておりました」


 悪し様にユリエルの事を思ってもらいたくない。だがまだ、ユリエルに味方をするような発言はしたくない。ギリギリのラインがここだろう。アルクースの思い悩む姿はハウエルにも伝わった。


「憎い人では無いのですか?」

「育ての親を殺され、このような非道をされているのです、憎くて仕方のない相手ではあります。ですが、約束を反故にされた事はありません。俺が大人しく従えば一族は心安らかに暮らしているのです」


 ハウエルはとても複雑そうな顔をしている。そしてそっと、アルクースに穏やかに頷いた。


「安心なさい、アルクースさん。誠実でも、貴方に行ったこれらの非情な振る舞いは許されません。必ず、何かしらの報いがあるでしょう。それに、貴方の事は私が守ります。どうか心安らかにお過ごしください」

「温かなお言葉、有り難うございます」


 心からの感謝と……謝罪を。ユリエルはそんな人ではない。部下の小さな傷にも悲しみ、自らの傷を厭わない人だ。嘘をついてごめんなさい。その気持ちで一杯になる、そんな感覚にアルクースの心は痛んでいた。


◆◇◆


 カラスが一羽、こちらを目指して飛んでくる。足に銀の筒を付けたそのカラスはクレメンスを見つけると、その側に降下した。


「ご苦労だったね」


 言って筒を外してやり、代わりに餌を与える。カラスというのはどこにでもいて、そして賢い。餌をもらえる行動をしっかりと覚えてくれて、尚且つ人の顔も認識している。もしかしたら言葉も分かっているかもしれない。だからクレメンスはこのカラスの前で決して侮辱の言葉を言わない。


「しばらく待っていてくれ」


 筒の中に入っていた手紙を手に、クレメンスは作戦用のテントへと入って行った。

 テントの中にはユリエルが落ち着かない様子でいた。側にはグリフィスも控えている。


「クレメンス、知らせですか?」

「えぇ」


 ソワソワとした様子のユリエルを前にクレメンスは手紙を開き、そしてほっと目を緩めた。


「アルクースは無事に教会に辿り着き、治療をされたようです。命に別状もなく、意識もあり、食事も取っていると」


 その一言に優しい主がどれほど安堵するのか、クレメンスは知っている。この顔を見るからこそ、この主に仕えて良かったのだと思い知る。非情な選択もこの人の為ならと思わせる、そんな部下タラシな主だ。


「聖オーキン教会より使者が出たようです。バートラムの屋敷に向かっているもよう。アルクースを保護した旨を知らせる為でしょう」

「では、次の動きです。クレメンス、頼みますよ」

「お任せを」


 丁寧に礼を取ったクレメンスの口元には笑みがある。国内の大捕物は案外手応えがなかった。次はもう少し楽しませてもらえそうだ。そう思うと笑みが浮かぶのだ。


「クレメンス」

「グリフィス」


 呼び止められて振り向けば、心配性の友人がこちらへと近づいてくる。分かっている、心配なのは。だが今回は時間との勝負。今行かなければ全ての苦労が水泡に帰す。


「気を付けていけ」

「分かっている。グリフィス、お前も頼むぞ」

「あぁ」


 短いやりとりは少し拍子抜けだ。だがあの男も事態を分かっている。そして、クレメンスを信じてくれるのだろう。

 出遅れてはならない。クレメンスは急ぎ軍を仕立て始めた。

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